第44話 プロジェクトの再定義
クレッセン砦の司令室は、俺という異質な「マネージャー」の登場によって、その様相を一変させていた。
それまでの、絶望と混乱に満ちた空気は消え失せ、代わりに、冷徹なまでの効率性と、明確な指示系統に支配された、巨大な情報処理センターのような緊張感が満ちている。
「南壁、敵の攻城兵器が接近中! 距離500!」
「慌てるな。それは、こちらの注意を引くための陽動だ。無視しろ。それより、東壁の守備隊長に伝令! 3分後、ザルタン王子の第二波攻撃に合わせて、一斉に矢を放ち、敵の指揮官クラスを狙えと伝えろ!」
「は、はいっ!」
俺は、眼下に広がる戦場と、目の前に投影されたリアルタイム戦況マップを交互に見比べながら、矢継ぎ早に、しかし、一切の無駄なく指示を飛ばしていく。
守備隊長や伝令兵たちは、もはや俺の言葉に一切の疑問を挟まない。ただ、俺が設計した完璧な「業務フロー」に従って動く、優秀な歯車と化していた。
その時だった。
敵陣の後方で、再び大きな火の手が上がった。ザルタン王子率いる別動隊の、第二波攻撃が成功したのだ。
補給物資を焼かれ、混乱する魔王軍。その動揺は、さざ波のように、最前線にまで伝播していた。
「よし。フェーズ1、完了。敵の心理的脆弱性は、計画通りに増大している」
俺は、静かに呟いた。
「これより、プロジェクトはフェーズ2に移行する。目標は、敵将ボルガの『誘導』だ」
俺は、隣に控えていたエララとルナに向き直った。
「エララ君、ルナ君。君たちの出番だ。準備はいいな?」
「ああ、いつでもいける!」
「は、はい……!」
「エララ君。君は、砦に残っている兵士のうち、まだ動ける者を全員集め、城門の裏に待機させろ。そして、俺の合図で、一斉に鬨の声を上げさせろ。できるだけ、大軍がいるように見せかけるんだ。声の大きさ、タイミング、全て君に一任する。君の『統率力』を見せてみろ」
「任せておけ! 私の家名に懸けて、完璧にやってみせる!」
エララは、力強く頷くと、司令室を駆け出していった。
「次に、ルナ君」
俺は、まだ少し緊張の面持ちのルナに、優しく声をかけた。
「君のタスクは、一つだけだ。砦の正面、あの渓谷の入り口の上空に、君が使える最大規模の、光の魔法を放ってくれ。攻撃力は不要だ。ただ、派手に、できるだけ多くの光の玉を、長時間、滞空させ続けること。できるか?」
「……はい!」
ルナは、俺の目を見て、力強く頷いた。
「ケンジさんが、私を信じてくれるなら……私、できます!」
彼女は、そう言うと、司令室の窓辺に立ち、静かに詠唱を開始した。その横顔には、もはや以前のような、怯えの色はなかった。
やれやれ。
部下の成長を見るのは、悪くない気分だ。
俺は、内心でそう思いながら、再び戦場へと視線を戻した。
数分後。
俺の合図と共に、作戦は実行された。
まず、砦の城門の裏から、地鳴りのような、凄まじい鬨の声が上がった。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
エララが指揮する、数百人の兵士たちの声が、一つに重なり、まるで数万の軍勢がいるかのような錯覚を生み出す。
そして、それと同時に。
砦の上空に、ルナが放った、無数の光の玉が出現した。
それは、まるで、真昼の太陽が、一度に百個も現れたかのような、眩いばかりの光だった。光の玉は、空中で複雑な陣形を描きながら、煌々と輝き続けている。
この、あまりにも唐突で、そして、あまりにも大規模な「演出」。
それは、戦場の全ての者の、注意を引いた。
「な、なんだ、あれは!?」
「光の……軍勢……!?」
「まさか、王都からの、本隊の援軍が到着したというのか!?」
砦を守る兵士たちからは、歓喜の声が上がる。
そして、その光景は、魔王軍の本陣にいる、ボルガの目にも、はっきりと映っていた。
「ぐぬぬ……! 援軍だと……!? この、俺様の完璧な包囲網を、いつの間に、かいくぐったというのだ!」
ボルガは、怒りに肩を震わせ、巨大な戦斧の柄を、ギリギリと握りしめた。
「ボルガ様! お待ちください! 何か、罠かもしれません!」
副官らしき魔族が、彼を諌める。
「ここは、一度、退いて、状況を……」
「黙れえええっ!」
ボルガの咆哮が、副官の言葉を吹き飛ばした。
「罠だと!? この、四天王である俺様が、そのような小細工を恐れるとでも思うか! むしろ、好都合よ! 王都のヒヨっ子どもも、まとめて、この俺様の斧の錆にしてくれるわ!」
彼の、単純な思考回路は、俺の【分析】通りだった。
後方の補給部隊を奇襲された焦り。そして、目の前に現れた「援軍」に対する、プライドを傷つけられた怒り。
それらが、彼の冷静な判断力を、完全に麻痺させていた。
「全軍に告ぐ! 目標は、正面の渓谷にいる、敵の援軍主力!」
ボルガは、高らかに命令を下した。
「あの、生意気な光を、叩き潰せ! 俺に続けええええっ!」
ボルガは、自ら先頭に立つと、砦の包囲を解き、主力の精鋭部隊を引き連れて、一直線に、俺が設定した「キルゾーン」である、渓谷へと突撃を開始した。
地響きを立てて、怒涛のように押し寄せる、魔王軍の主力。
その光景を、俺は、司令室の塔の上から、冷徹な目で見下ろしていた。
眼下のマップ上では、敵の主力部隊を示す赤いアイコンが、俺が描いたシナリオ通りに、見事に、罠の中へと吸い込まれていく。
「……フェーズ2、完了」
俺は、静かに呟いた。
「敵将の誘導、成功。これより、最終フェーズに移行する」
俺は、傍らに控えていた伝令兵に、最後の、そして、最も重要な命令を下した。
「ザルタン王子に伝えろ。『舞台の準備は整った。最高のショーを、始めよう』、と」
やれやれ。
いよいよ、この面倒なプロジェクトも、クライマックスだ。
俺は、これから始まるであろう、一方的な「殲滅戦」を思い浮かべ、誰にも気づかれないように、静かに、口の端を吊り上げた。




