第43話 プロジェクトの再定義
馬車がクレッセン砦の裏門に到着した時、俺たちの鼻をついたのは、血と、鉄と、そして絶望の匂いだった。
城壁のあちこちから黒い煙が立ち上り、絶え間なく響く鬨の声と金属音が、砦がまさに今、死闘の最中にあることを物語っていた。
「……ひどい」
ルナが、青ざめた顔で呟く。
エララも、さすがにいつもの威勢はなく、固唾を飲んで城壁の外から聞こえる戦闘音に耳を澄ませていた。
俺たちを出迎えたのは、ボロボロの鎧を身につけ、片目を眼帯で覆った、初老の騎士だった。彼が、この砦の守備隊長らしい。
「お待ちしておりました、サトウ殿! それに、勇者様ご一行! まさか、本当に、あなた方だけで救援に来られるとは……」
彼の声には、安堵と、そして、それ以上に深い絶望が滲んでいた。
「状況は?」
俺は、挨拶もそこそこに、単刀直入に尋ねた。
「……最悪です。ボルガの軍勢は、我が方の三倍以上。城門は、もはや時間の問題かと。兵士たちの士気も、限界です」
やれやれ。想定以上に、状況は悪いらしい。
だが、プロジェクトというものは、常に、最悪の事態を想定して計画を立てるものだ。
「ご心配なく。全て、計画通りです」
俺の、あまりにも落ち着き払った言葉に、守備隊長は、怪訝な顔をした。
俺は、彼に構わず、勇者パーティに向き直った。
「さて、皆さん。これより、プロジェクト『クレッセン砦防衛戦』を開始します。各自、ブリーフィング通り、担当のフェーズに移行してください」
俺の言葉に、勇者たちは、こくりと力強く頷いた。
その目には、もはや、馬車の中にあったような不安の色はない。
「ザルタン王子。あなた率いる別動隊は、直ちに、砦の地下通路を通り、敵軍の背後へ回り込んでください。目標は、敵の補給部隊。破壊と、それに伴う混乱の創出が、君たちのミッションです」
「了解した、サトウ先生!」
王子は、力強く答えると、タナカ君や、足の速いメンバー数名を引き連れて、闇の中へと消えていった。その背中は、驚くほど頼もしく見えた。
「エララ君、ルナ君。君たちは、俺と共に、この砦の司令塔へ向かう。俺の護衛と、いざという時のための、遊撃部隊としての役割を担ってもらう」
「ああ、任せろ!」
「はい!」
二人も、それぞれの役割を理解し、即座に行動を開始する。
俺は、守備隊長に案内され、砦で最も高い塔の上にある、司令室へと向かった。
そこからは、眼下に広がる戦場の全てが、一望できた。
無数のオークやゴブリン、そして、巨大なトロールたちが、蟻のように城壁に取り付き、砦の兵士たちと、絶望的な攻防を繰り広げている。
「……これが、戦争か」
俺は、その光景を、冷徹な目で見下ろしていた。
これは、もはや、ダンジョン探索のような、小規模なプロジェクトではない。数千の命が、リアルタイムで失われていく、巨大で、そして、複雑なシステムだ。
だが、俺は、恐れなかった。
どんなに複雑なシステムも、分解し、分析し、その構造を理解してしまえば、必ず、攻略の糸口は見つかる。
俺は、司令室の地図の上に、魔法で、リアルタイムの戦況マップを投影した。
【情報収集】と【分析】スキルを、最大出力で稼働させる。
敵味方の配置、兵士一人一人の疲労度、武器の損耗率、そして、敵将ボルガの感情の起伏まで。全てのデータが、俺の脳内に流れ込み、再構築されていく。
「守備隊長。北壁の第三部隊、消耗が激しい。直ちに、予備兵の半分を、そちらへ回してください」
「は、はい!」
「西の櫓の弓兵隊、矢の残数が、残り20%を切っています。無駄撃ちはせず、指揮官クラスの個体のみを狙うよう、伝令を」
「りょ、了解!」
俺の、矢継ぎ早だが、的確な指示に、最初は戸惑っていた守備隊長や伝令兵たちも、次第に、その有効性を理解し、無駄のない動きで、命令を遂行していく。
司令室の混乱は、徐々に収まり、俺という「マネージャー」の下で、一つの、効率的な組織として、機能し始めていた。
その時だった。
戦場の、遥か後方で、大きな爆発音と共に、火の手が上がった。
ザルタン王子の、別動隊だ。
「やったか……!」
俺は、マップ上の、敵の補給部隊を示すアイコンが、赤く点滅し始めるのを確認した。
『敵補給部隊、損害率30%……40%……機能停止!』
その報告は、瞬く間に、魔王軍全体に、動揺となって広がった。
「な、なんだ!? 後方で、何が起きているんだ!」
「補給が、断たれただと!?」
最前線で戦っていた魔物たちの動きが、明らかに、鈍くなる。
そして、その報告は、敵の本陣にいる、ボルガの元へも、届いていた。
「なんだと!? 補給部隊が、奇襲されただと!? 馬鹿な! どこから、敵が回り込んだというのだ!」
ボルガの、怒りに満ちた咆哮が、戦場に響き渡る。
「よし。フェーズ1、成功だ」
俺は、静かに呟いた。
「敵は、混乱している。だが、まだだ。本当の勝負は、ここからだ」
俺は、次の「タスク」へと、意識を切り替えた。
フェーズ2、『誘導』。
あの、単純で、誇り高い、脳筋の四天王を、俺が用意した、最高の「舞台」へと、おびき寄せるための、準備を始める。




