第40話 炎上するプロジェクト
ザルタン王子が、そして勇者パーティ全員が、俺の前に深々と頭を下げた。
その光景は、この「勇者パーティ再教育プロジェクト」が、ようやく本当の意味でキックオフされたことを示す、何よりの証だった。
訓練場には、朝の冷たい空気と、若者たちの覚悟が入り混じった、新たな緊張感が満ちていた。
やれやれ。
俺は、彼らの頭上から、いつもと変わらぬ、体温の感じられない声で告げた。
「……顔を上げてください。あなた方が頭を下げるべき相手は、私ではない。あなた方が、これから守るべき、この国の民です。そして、何より、互いに背中を預ける、仲間に対してであるべきだ」
俺の言葉に、彼らは、ハッとしたように顔を上げる。その目には、もはや以前のような反発の色はなく、ただ、真剣な光だけが宿っていた。
「よろしい。では、改めて、研修を再開します」
俺は、そう言うと、背後に控えていたエララとルナに、目配せをした。
「エララ君、ルナ君。君たちには、今日から、彼らのアシスタントインストラクターを務めてもらう。君たちが、この一ヶ月で何を学び、どう変わったか。それを、身をもって示してやってくれ」
「ああ、任せておけ!」
エララが、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「は、はい! 全力で、サポートします!」
ルナも、力強く頷いた。
こうして、王都の訓練場を舞台とした、俺の奇妙な「研修」が、本格的に始まった。
俺が彼らに課した訓練は、彼らが想像していたような、剣の素振りや、魔法の的当てといった、単純なものではなかった。
「まず、あなた方には、チームとして戦うための、最も基本的な『陣形』を、体に叩き込んでもらいます」
俺は、地面に、魔法でいくつかの線を引いた。
「これが、基本陣形『トライアングル・フォーメーション』です。前衛のタナカ君を頂点とし、中衛に王子と【格闘家】のサトウ君(俺と同姓だが別人だ)、後衛に【大賢者】のマツモトさんと、【聖女】のイトウさんが位置する。この陣形を、いかなる状況でも、絶対に崩さないこと。それが、第一のルールです」
俺は、彼らに、ただひたすら、その陣形を組んだまま、訓練場を歩き回らせた。
右へ、左へ、前へ、後ろへ。俺の号令に合わせて、彼らは、ぎこちなく、しかし、必死に、隊列を維持しようと努める。
「違う! 王子、あなたはタナカ君との距離が近すぎる! それでは、範囲攻撃を受けた際に、二人まとめて被害を受けるリスクが高まる!」
「マツモトさん! あなたの位置は、そこではない! 常に、イトウさんの半歩前を維持し、彼女への直接攻撃を防ぐ壁となりなさい!」
俺の、容赦ない指摘が、訓練場に響き渡る。
最初は、戸惑い、何度も隊列を乱していた彼らも、数時間が経つ頃には、ようやく、無意識に、その陣形を維持できるようになった。
次に俺が課したのは、「時間管理」の訓練だった。
俺は、宮廷魔術師に頼んで、一体のゴーレムを召喚してもらった。
「このゴーレムは、10秒ごとに、強力な攻撃を一度だけ放ちます。そして、攻撃後の3秒間は、完全な無防備状態になる。あなた方のタスクは、その3秒間の隙を突き、全員で一斉に攻撃を叩き込むこと。それ以外のタイミングでの攻撃は、一切禁止します」
「た、たった3秒……!?」
「そうだ。戦場において、好機というものは、一瞬で過ぎ去る。その一瞬を、チーム全体で共有し、最大限に活用する。それができなければ、あなた方は、格上の相手には、決して勝てない」
彼らの挑戦が、始まった。
だが、結果は、惨憺たるものだった。
タナカ君の剣が、コンマ数秒早く、あるいは、マツモトさんの魔法が、コンマ数秒遅く、ゴーレムに叩き込まれる。彼らの攻撃は、決して、一つの「塊」になることはなかった。
「なぜだ……! なぜ、合わないんだ……!」
ザルタン王子が、悔しそうに叫ぶ。
「王子。それは、あなた方が、まだ『時計』ではなく、『自分の感覚』で戦っているからです」
俺は、冷徹に指摘した。
「あなた方は、互いの呼吸を、タイミングを、読もうとしていない。ただ、自分の準備ができたから、という理由だけで、攻撃を放っている。それでは、永遠に、タイミングが合うことはない」
俺は、エララとルナに、再び手本を見せるよう指示した。
二人は、頷くと、ゴーレムの前に立った。
彼女たちの間には、言葉はない。ただ、視線が、一度だけ、交錯した。
そして、ゴーレムが攻撃を放ち、無防備になった、その、わずか3秒の間に。
エララの剣と、ルナの放った小さな魔法の矢が、寸分の狂いもなく、全く同時に、ゴーレムの核に突き刺さった。
その、あまりにも完璧な連携を、勇者たちは、ただ、息を呑んで見つめていた。
その日から、勇者パーティは、まるで生まれ変わったかのように、訓練に没頭した。
彼らは、俺が設計した、非情なまでに合理的で、そして、効率的な訓練メニューを、文句一つ言わずに、ただひたすら、こなしていった。
ミスをすれば、互いに声を掛け合い、原因を分析し、改善策を話し合う。かつてのような、責任のなすりつけ合いは、もはやどこにもなかった。
そして、一週間が経った頃。
俺は、彼らの「卒業試験」として、再び、ゴーレムとの模擬戦をセッティングした。
ただし、今度の相手は、一体ではない。三体のゴーレムが、同時に、彼らに襲いかかる。
「……やれるのか、俺たちに」
タナカが、不安そうに呟く。
その肩を、ザルタン王子が、力強く叩いた。
「やれるさ。俺たちには、サトウ先生が教えてくれた、『戦術』がある」
いつの間にか、俺の呼び方は、「貴様」から「先生」に変わっていた。
「……始め!」
俺の合図で、最後の試験が始まった。
三体のゴーレムが、一斉に動き出す。
「陣形、トライアングルを維持! タナカ、中央の個体のヘイトを取れ! サトウ(同姓の格闘家)と俺で、左右の個体を抑える!」
王子の、的確な指示が飛ぶ。
「了解!」
「応!」
彼らは、まるで一つの生き物のように、滑らかに連携し、ゴーレムの猛攻を凌いでいく。
そして、俺が教えた通り、敵の攻撃の隙を、寸分の狂いもなく突き、的確にダメージを与えていく。
その光景は、もはや、一週間前の、あの烏合の衆の姿ではなかった。
そこにいたのは、互いを信じ、己の役割を完璧に理解し、そして、一つの目標に向かって戦う、真の「チーム」の姿だった。
やがて、最後の一体のゴーレムが、大きな音を立てて崩れ落ちる。
訓練場には、若者たちの、荒い呼吸と、そして、歓喜に満ちた雄叫びが、響き渡った。
「や、やった……! 俺たち、勝ったんだ!」
「すごい……! これが、チームで戦うってことなのか……!」
彼らは、互いに肩を抱き合い、初めて掴んだ、本物の「勝利」の味を、噛み締めていた。
やれやれ。
俺は、その光景を、少し離れた場所から、静かに眺めていた。
どうやら、この炎上しかけていたプロジェクトも、ようやく、鎮火させることができたらしい。
俺の、面倒で、そして、奇妙な「研修」は、こうして、幕を閉じた。




