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第4話 解放と手切れ金

 広間は、嘲笑と憐れみが入り混じった奇妙な空気で満たされていた。玉座の王は俺に一瞥をくれたきり、興味を失ったように隣の宰相と何事か囁き合っている。高校生たちは、俺という「ハズレ」の存在を忘れ、自分たちの輝かしい未来について語り合うのに夢中だ。


 やれやれ。最高の状況じゃないか。誰も俺に期待していない。これほど交渉しやすい環境はない。

 俺は心の中で「プロジェクト離脱交渉、フェーズ1:現状認識の共有」を完了させ、「フェーズ2:離脱メリットの提示」へと移行した。


 俺は一歩前に進み出て、その場にいる全員に聞こえるように、しかしあくまで恭しく、深々と頭を下げた。長年の社畜生活で培われた、完璧な角度のお辞儀だ。


「陛下、並びに王国の皆様。この度は、かくも偉大なる召喚の儀に、図らずも末席を汚してしまいましたこと、誠に申し訳なく存じます」


 俺の芝居がかった口上に、広間がわずかにざわつく。なんだこいつは、という視線を感じるが、構わない。プレゼンの冒頭で、聴衆の注意を引きつけるのは基本中の基本だ。


 俺はゆっくりと顔を上げ、王の目を見据えて続けた。

「ご覧の通り、私に授けられました【業務効率化】なるスキルは、勇者様方がこれから挑まれるであろう、魔王軍との苛烈な戦いにおいて、何ら貢献できるものではございません」


 俺はそこで一度言葉を切り、悲壮感すら漂わせる表情を作ってみせる。

「このような私が勇者様ご一行に同行することは、チーム全体のパフォーマンスを著しく低下させるボトルネックとなり得ます。移動速度の遅延、戦闘時における保護コストの発生、そして何より、食料や装備といった貴重な国家リソースの無駄遣い……。プロジェクトマネジメントの観点から申し上げますと、私という存在は、この『魔王討伐プロジェクト』における完全な負債デットでしかございません」


「ぼとるねっく……? ぷろじぇくと……?」

 王が怪訝な顔で俺の言葉を反芻している。高校生たちも、ぽかんとした顔で俺を見ていた。


 俺は構わず、畳み掛ける。

「つきましては、陛下。この国家的な最重要プロジェクトの成功確率を最大化するため、私を本プロジェクトから除外していただくことを、謹んでお願い申し上げる次第でございます。これは、私自身の保身のためでは断じてなく、あくまで王国全体のROI(投資対効果)を最適化するための、最も合理的な判断であると確信しております」


 俺が言い切ると、広間は再び奇妙な沈黙に包まれた。

 意味不明な横文字の羅列に、誰もが思考を停止しているようだ。


 最初に口を開いたのは、意外にも、いかにも頭が切れそうな宰相だった。

「陛下。この男の言葉は奇妙ではございますが、言わんとするところは理解できます。要するに、『自分は足手まといだから、置いていってくれ。その方が皆のためだ』と、そう申しておるのでしょう」


「うむ……」

 王は顎に手をやり、思案顔で俺を見つめる。

「確かに、そなたの言うことも一理ある。戦えぬ者を戦場に連れて行くのは、無駄であるばかりか、危険ですらあるからのう」


 よし、食いついた。俺のロジックは、ファンタジー世界の王族にも通用するらしい。


「それに陛下」と宰相が続ける。「この男、自らの無力さを恥じ、卑下するでもなく、あくまで『王国のため』という体で辞退を申し出ております。その物言いは奇妙ですが、卑屈なだけの男よりは、いくらか骨があるやもしれませぬ」


 その言葉に、王は大きく頷いた。

「よし、分かった! サトウとやら、そなたの申し出、許可しよう! 勇者としての任を解き、望み通り自由の身とすることを許す!」


「ははっ! 陛下の英断に、心より感謝申し上げます!」

 俺は再び深々と頭を下げた。内心では、安堵のため息と勝利のガッツポーズが炸裂していた。


「ただし」と王は続けた。「そなたも我らの呼びかけに応じてくれた者の一人。このまま無一文で放り出すのは、王国の沽券に関わる。これまでの礼として、ささやかだが支度金をやろう。者ども、あれを」


 王の言葉に応じ、屈強な近衛兵の一人が、小さな革袋を持って俺の前に進み出た。ずしりと重い。中から、銀色の硬貨が擦れ合う音がする。


「ありがたく、頂戴いたします」


 俺がそれを受け取ると、王はもう俺に興味はないとばかりに、高校生たちの方へ向き直った。

「さて、勇者たちよ! これより、そなたたちにはこの城で休息をとってもらい、後日、改めて魔王討伐への旅路について説明する! 今宵は歓迎の宴だ、存分に楽しむがよい!」


「「「おおーっ!!」」」


 高校生たちの歓声が、俺の背後で響く。彼らはこれから、英雄としての道を歩むのだろう。だが、知ったことか。俺の道は、ここから始まるのだ。


 俺は誰に会釈するでもなく、静かにその場を後にした。

 広間の巨大な扉に向かって歩いていると、高校生たちの囁き声が聞こえてきた。


「なんだよアイツ、結局逃げただけかよ。根性ねえな」

「まあ、仕方ないんじゃない? 普通のおじさんみたいだったし、戦いなんて無理でしょ」

「でも、なんか変な人だったね。ROIがどうとか……」


 憐れみ、侮蔑、困惑。様々な感情が入り混じった視線が背中に突き刺さるが、俺の心は凪いでいた。他人の評価など、俺のKPI(重要業績評価指標)には含まれていない。


 重い扉を衛兵に開けてもらい、俺はついに謁見の間から解放された。

 外の廊下は、窓から差し込む陽光で明るく、喧騒から切り離されて静かだった。


 俺は革袋の口を開け、中身を確認する。銀貨が10枚。この世界の物価はまだ分からないが、当面の生活資金にはなるだろう。いわば、退職金、あるいは手切れ金といったところか。


「さて、と」


 俺は誰に言うでもなく呟き、革袋を懐にしまった。


「まずはこの世界の『仕様』を把握するところから始めますか」


 面倒なことから解放された今、気分は最高だった。

 前職を円満退社し、退職金も手に入れた。ここから先は、俺自身のプロジェクトだ。

 目標は、早期リタイアと、誰にも邪魔されない平穏なスローライフの実現。


 俺は城下町へと続く長い廊下を、確かな足取りで歩き始めた。

 アラフォー社畜、佐藤健司の、異世界での第二の人生が、今、静かに幕を開けた。

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