第38話 汚職の「エビデンス」
ザルタン王子が叩きつけたボールが、乾いた音を立てて訓練場の地面を転がっていく。
その光景を、俺は冷めた目で見つめていた。
「……はい、失敗。一回目からやり直しです」
俺の、体温の感じられない声が、静かな訓練場に響き渡る。
「き、貴様……!」
ザルタン王子は、屈辱に顔を歪め、俺を睨みつけた。
「こんな子供の遊びで、我らを愚弄するのも大概にしろ!」
「愚弄などしていません。これは、あなた方のチームが抱える、最も根源的な欠陥を可視化するための、極めて有効な診断ツールです」
俺は、転がったボールを拾い上げると、再び王子の足元に、ぽとりと落とした。
「さあ、続けてください。あなた方が『子供の遊び』と断じるこのタスクを、10回連続で成功させるまで、今日の訓練は終わりません」
俺の言葉に、勇者パーティの面々は、顔を見合わせた。彼らの目には、反発と、そして、わずかな好奇心が入り混じっている。
「……ちっ!」
王子は、大きく舌打ちをすると、再びボールを拾い上げた。
「いいだろう! やってやろうじゃないか! 今度こそ、一発で決めてやる! よく見ていろ!」
こうして、勇者パーティによる、地獄のボール回しが始まった。
そして、その結果は、俺の予測を寸分も違わぬ、惨憺たるものだった。
「おい、タナカ! 次は貴様だ! しっかり受け取れよ!」
王子が投げたボールは、まるで剛速球のような勢いで、【聖剣】の勇者タナカへと飛んでいく。
「うおっ!? は、はい!」
タナカは、慌ててそのボールを受け止めるが、勢いを殺しきれずに、数歩よろめいた。
「……ルール違反です。ボールを持った者は、その場から動いてはならない。やり直し」
俺の無慈悲な宣告。
「くそっ! 次は、マツモト! お前だ!」
タナカが、今度は【大賢者】の少女、マツモトへとパスを出す。
「は、はいっ!」
マツモトは、緊張のあまり、ボールをファンブルし、あえなく地面に落としてしまった。
「……失敗。やり直し」
「も、申し訳ありません……」
「しっかりしろ、マツモト! 次は、俺が投げる!」
「待て、ザルタン! 今のパスは、明らかに速すぎた! マツモトのせいじゃない!」
「なんだと、タナカ! この俺に、指図する気か!」
彼らは、ボールを回すたびに、ミスを犯し、そして、その責任を互いになすりつけ合った。
声も出さない。アイコンタクトもない。ただ、自分のことだけを考え、自分のタイミングで、ボールを投げる。
それは、チームワークなどという言葉とは、最もかけ離れた光景だった。
一時間が経過した頃には、彼らの連続成功回数は、未だに「2回」の壁を越えられずにいた。
訓練場の空気は、もはや最悪だった。誰もが苛立ち、互いを非難し、その顔には疲労の色が濃く浮かんでいる。
やれやれ。
俺は、潮時だと判断し、パン、と手を叩いた。
「……そこまで」
俺の言葉に、彼らは、ハッとしたように動きを止める。
「どうやら、あなた方には、なぜ自分たちが失敗し続けているのか、その根本原因が、まだ理解できていないようだ」
俺は、再び【プレゼンテーション】スキルを発動させた。
巨大なスクリーンに、先ほどまでの一時間における、彼らの動きを記録したデータが、無慈悲に映し出される。
「まず、ザルタン王子。あなたからタナカ君へのパスの平均速度は、時速45キロ。これは、プロの野球選手が投げるチェンジアップに匹敵する速度です。何の予告もなしに、この速度のボールを正確に捕球するのは、至難の業でしょう」
「次に、タナカ君。君の視線は、その8割以上が、常にザルタン王子に注がれていた。その結果、他のメンバーからのパスに対する、君の反応速度は、著しく低下している」
「そして、マツモトさん。君は、パスを出す際に、平均1.2秒の躊躇が見られた。この『迷い』が、パスの精度を著しく下げ、受け手のタイミングを狂わせている」
スクリーンには、彼らの失敗の瞬間が、スローモーションで、何度も、何度も再生される。
それは、彼らにとって、公開処刑にも等しい光景だっただろう。
「……結論を言いましょう」
俺は、冷徹に告げた。
「あなた方に欠けているのは、スキルでも、パワーでもない。ただ一つ、『コミュニケーション』です。互いの能力を理解し、尊重し、そして、一つの目標に向かって、意思を疎通させるという、チームにおける、最も基本的なプロセスが、あなた方には、完全に欠落している」
俺の言葉に、勇者たちは、もはや誰一人、反論することができなかった。
彼らは、初めて、自分たちの「弱さ」の正体を、突きつけられたのだ。
「……では、どうすればいいというんだ」
ザルタン王子が、初めて、弱々しい声で尋ねた。
「良い質問ですね」
俺は、スクリーンを消すと、後ろに控えていた、エララとルナに、合図を送った。
「エララ君、ルナ君。前に」
二人は、俺の指示に従い、俺の隣に立った。
俺は、先ほどのボールを、エララに手渡す。
「今から、我々、チーム『効率化』が、お手本をお見せします。よく見ていてください」
俺は、そう言うと、エララに目配せをした。
「エララ君、頼む」
「ああ」
エララは、頷くと、ルナに向かって、優しくボールを投げた。
「ルナ、次、行くぞ」
「はい、エララさん!」
ルナは、それを、少しも慌てることなく、両手で、ふわりと受け止めた。
そして、ルナは、俺に向かって、微笑みながらボールを投げる。
「ケンジさん、お願いします」
「了解した」
俺は、それを受け取ると、再びエララへと、正確にパスを返した。
俺たちの間には、無駄な動きも、迷いも、一切ない。
ただ、穏やかな声と、信頼に満ちたアイコンタクトだけが、行き交う。
ボールは、まるで生きているかのように、滑らかに、そして、確実に、俺たち三人の間を、何度も、何度も、往復した。
その光景を、勇者パーティの面々は、ただ、呆然と見つめていた。
彼らは、目の前で起きていることが、信じられない、という顔をしていた。
自分たちが、あれほど苦労した「子供の遊び」を、いとも容易く、そして、美しくさえある連携で、こなしていく俺たちの姿。
それは、彼らにとって、どんな言葉よりも、雄弁に、そして、残酷に、「チームの差」というものを見せつける、何よりの「エビデンス」だった。
やれやれ。
俺は、心の中で、静かに呟いた。
どうやら、この面倒なプロジェクトも、ようやく、本当の意味で、スタートラインに立てたらしい。




