第34話 新たな「プロジェクトマネージャー」
国王アルフォンスが発した言葉は、静まり返った謁見の間に、まるで雷鳴のように響き渡った。
「貴殿に、この国の軍の、全権を委ねたい。この、破綻しかけたプロジェクトの、新たな責任者に、なってはくれまいか」
その瞬間、広間の空気が再び凍りついた。
「へ、陛下! ご正気ですか!?」
「一介の冒険者に、我が国の軍の全権を委ねるなど、前代未聞にございますぞ!」
「いかにヴァレリウス公爵が罪人であったとはいえ、この男もまた、得体の知れない流れ者……!」
貴族たちが、一斉に色めき立つ。彼らの動揺と反対の声が、波のように広間を満たした。
俺の隣に立つエララは、「ぐんの、ぜんけん……?」と、事態の大きさを飲み込めずに、ただ呆然と呟いている。ルナは、もはや恐怖で声も出ないのか、俺のローブの裾を、白くなるほど強く握りしめていた。
やれやれ。
俺は、そんな喧騒の中心で、ただ一人、冷静に頭を抱えていた。
(……最悪だ。一番面倒で、一番厄介で、一番俺の信条に反する役職が、ピンポイントで回ってきてしまった)
軍の総司令官。対魔王軍プロジェクトの最高責任者。
それは、無限の責任、終わりのない業務、そして、数え切れないほどの政治的駆け引きを意味する。俺が何よりも嫌い、そして、人生を賭けて避けようとしてきたものの、究極の詰め合わせセットじゃないか。
(冗談じゃない。俺の目標は、早期リタイアと、辺境でのスローライフだ。誰が、好き好んで中間管理職の頂点なんぞに立つものか。前職の悪夢を、この異世界でまで繰り返すつもりは毛頭ない)
俺の心は、0.1秒で「拒否」の二文字を決定していた。
問題は、どうやって、この国王の懇願を、角を立てずに、そして、今後の俺の計画に支障が出ない形で、スマートに断るか、だ。
王は、周囲の貴族たちの反対の声を、力強い一瞥で黙らせた。
「黙らぬか! 今、この国が、どれほど危機的な状況にあるか、分かっておらぬのか!」
その声には、一国の王としての、悲痛なまでの覚悟が滲んでいた。
王は、再び俺に向き直ると、その憔悴しきった顔で、必死に訴えかけてきた。
「サトウ殿。見ての通り、我が国は、もはや崖っぷちに立たされておる。勇者たちは疲弊し、貴族たちは私利私欲に走り、民は魔王の脅威に怯えている。私は、もはや、誰を信じ、何を頼れば良いのか、分からなくなってしまったのだ……」
その姿は、もはや威厳ある王ではなく、ただ、巨大で複雑な問題を前に、途方に暮れる一人の男だった。
「だが、貴殿の、先ほどの『プレゼンテーション』とやらを聞き、私は、一筋の光明を見た。データに基づき、問題を分析し、合理的な解決策を導き出す……。その、我らにはない、新たな視点と『効率』こそが、今、この国には必要なのだ! 頼む、サトウ殿! この国を、救ってはくれまいか!」
王は、俺の前で、深々と頭を下げようとさえした。
「陛下! おやめください!」
周囲の貴族たちが、慌てて王を止めに入る。
やれやれ。
これは、本格的にまずい流れだ。
ここで下手に同情でもして、安請け合いなどしてしまえば、俺の人生は終わる。俺は、心を鬼にして、思考を加速させた。
(落ち着け、俺。感情に流されるな。これは、あくまで『交渉』だ。相手の要求に対し、こちらの要求を提示し、落としどころを探る。それが、ビジネスの基本だ)
俺の要求は、ただ一つ。「俺に、面倒事を押し付けるな」。
その要求を通すためには、相手が納得するだけの、代替案と、合理的な理由が必要だ。
俺は、静かに口を開いた。
「……陛下。お顔をお上げください。そのお言葉、身に余る光栄にございます」
まずは、相手の提案に、一定の敬意と感謝を示す。これも、交渉の定石だ。
「ですが」
俺は、そこで一度、言葉を切った。
広間にいる全員が、固唾を飲んで、俺の次の言葉を待っている。
「その、あまりにも重大なご提案。即座にお受けすることは、私には、できかねます」
俺の、明確な、しかし、丁寧な拒絶の言葉。
それに、王は、絶望したように目を見開いた。
「……な、なぜだ、サトウ殿! 貴殿ほどの男が、この国を見捨てるというのか!」
「見捨てるなどと、とんでもない」
俺は、静かに首を振った。
「私が申し上げたいのは、適材適所、という、ごく当たり前の原則についてです。陛下、私は、軍人ではありません。戦略家でも、英雄でもない。私は、あくまで、物事を効率化させるための『仕組み』を作る、ただの専門家に過ぎません」
俺は、壇上にいる、うなだれた勇者たちへと、視線を移した。
「陛下。この国には、すでに、国を救うための、最高の『リソース』が存在しています。ただ、その運用方法が、致命的に間違っていた。それだけのことなのです」
俺の言葉の意図を、まだ誰も理解できずにいるようだった。
広間は、困惑に満ちた沈黙に包まれている。
よし。下準備は整った。
ここからが、俺の本当の「プレゼンテーション」だ。
俺は、この面倒な「業務命令」を、俺が望む形で、再定義してやる。
俺は、深く息を吸い込むと、この国の未来を左右するであろう、俺自身の「提案」を、口にし始めた。




