第32話 汚職の「エビデンス」
謁見の間に、張り詰めた沈黙が落ちる。
国王アルフォンスが下した、予想外の決断。その場にいる誰もが、固唾を飲んで俺の次の行動を見守っていた。ヴァレリウス公爵は、「陛下、ご再考を!」と狼狽えながら叫んでいるが、王はもはや彼に一瞥もくれなかった。
やれやれ。
最高の舞台が整ったじゃないか。
俺は内心でほくそ笑みながら、一歩前に進み出た。そして、広間の中央で、静かに目を閉じる。
「さて、と。それでは、始めさせていただきますか」
俺は、クロスロードで密かに取得し、一度も本格的に使っていなかったスキルを、全力で発動させた。
【プレゼンテーション】
次の瞬間。
俺の目の前の空間が、まるで水面のように揺らぎ、そこから光の粒子が溢れ出した。粒子は、瞬く間に集束し、謁見の間の巨大な壁画を覆い隠すほどの、巨大な半透明のスクリーンを形成した。
「なっ……!?」
「こ、これは、一体……!?」
「空間に、絵が……!」
貴族たちが、驚愕の声を上げる。エララとルナも、目を丸くしてその光景を見つめていた。
スクリーンには、格調高い明朝体の文字で、こう表示されていた。
『我が国における「対魔王軍プロジェクト」の現状課題と、その解決策について』
『プレゼンター:チーム「効率化」プロジェクトマネージャー サトウ・ケンジ』
「本日は、お忙しい中、このような機会を賜り、誠にありがとうございます」
俺は、よどみなく語り始めた。その声は、不思議な力を持って、広間の隅々までクリアに響き渡る。これも、【プレゼンテーション】スキルの効果の一つだろう。
「まず、現状の課題認識の共有から始めさせていただきます。皆様、こちらのデータをご覧ください」
俺が指を鳴らすと、スクリーンが切り替わり、王国周辺の地図と、そこに引かれた赤い線が表示された。
「これは、勇者パーティの皆様が、魔王軍の前線基地を攻略するために進軍した際の、実際の移動ルートをトレースしたものです。ご覧の通り、極めて非効率な蛇行を繰り返し、目的地への到達に、想定の1.7倍もの時間を要しています。この遅延による、兵站コストの増大、兵士の士気低下は、言うまでもありません」
スクリーンには、無駄なコストを示す赤い棒グラフが、ぐんぐんと伸びていく。
壇上の勇者パーティのリーダー、ザルタン王子が「なっ……! あれは、途中で補給路の情報を得たからで……!」と反論しようとするが、俺はそれを許さない。
「その『補給路の情報』とやらも、信憑性の低い、いわば裏付けの取れていない情報でした。結果、その情報に振り回され、貴重なリソースを浪費した。これは、典型的な情報管理の失敗例です」
俺の冷徹な指摘に、王子はぐっと言葉に詰まった。
「次に、こちらの戦闘ログをご覧ください」
スクリーンには、勇者パーティと魔王軍との戦闘シーンが、俯瞰視点で再現される。キャラクターは簡略化されたアイコンで表示され、その動きとダメージ量が、リアルタイムで数値化されていく。
「これは、先日の『グレイブウォームの巣』攻略戦のデータです。勇者様の【聖剣】は、確かに強力な単体攻撃能力を持っています。しかし、その一方で、後衛の【大賢者】様を守るための陣形が、完全に崩壊している。結果、敵の奇襲を受け、ヒーラーである【聖女】様が早々に負傷。パーティ全体の継戦能力が著しく低下し、撤退を余儀なくされました。これもまた、基本的なチームマネジメントの欠如が招いた、人為的ミスです」
俺は、前職で何百回とやってきた、プロジェクトの炎上報告会そのものを、このファンタジー世界で完璧に再現していた。
スクリーンに映し出される、自分たちの無様な戦いぶりと、その客観的な分析データ。勇者パーティの高校生たちは、顔面蒼白になり、ただ俯くことしかできなかった。
「……そして」
俺は、プレゼンの核心へと、駒を進めた。
「最も深刻な問題は、これら現場レベルの非効率を、さらに助長している、構造的な問題にあります」
スクリーンが、再び切り替わる。
そこに映し出されたのは、複雑に絡み合った、金の流れを示すフローチャートだった。
「これは、王国が『対魔王軍プロジェクト』に投じた、軍事予算の金の流れを可視化したものです。ご覧ください。予算の一部が、兵器の調達や兵士への給金といった、正規のルートから外れ、いくつかのダミーカンパニーを経由し……最終的に、一つの場所に流れ着いているのが、お分かりいただけるかと思います」
俺が、フローチャートの終着点を指差す。
そこに表示されていたのは、一つの名前だった。
『ヴァレリウス公爵家』
その瞬間、謁見の間の空気が、凍りついた。
「な……な……」
ヴァレリウス公爵が、声にならない声を漏らす。
俺は、彼に追い打ちをかけるように、冷徹に続けた。
「データによれば、過去半年間で、ヴァレリウス公爵家には、本来、前線に送られるべき軍資金のうち、実に30%……金額にして、金貨5万枚以上が、不正に還流しています。これが、兵士たちの装備が旧式化し、食料の質が低下し、士気が上がらない、根本的な原因です。つまり、このプロジェクトが機能不全に陥っている最大のボトルネックは……」
俺は、そこで一度言葉を切り、震える公爵を、まっすぐに見据えた。
「ヴァレリウス公爵、あなたによる、悪質なマネジメントと、組織的な横領にあると、結論付けられます」
俺がそう締めくくると、公爵は、ついに堪忍袋の緒が切れたように、顔を真っ赤にして絶叫した。
「で、でっち上げだ! そんなもの、証拠になるか! 貴様のような得体の知れない男が作り出した、ただの幻影ではないか!」
その、あまりにも見苦しい叫びが、広間に響き渡る。
だが、それは、彼の断末魔の悲鳴に過ぎなかった。
その瞬間を待っていたかのように、これまで沈黙を守っていた、公爵とは対立する派閥の長老貴族が、一歩前に進み出た。
「陛下! お待ちください!」
その声に、全員の視線が集まる。
「実は、我らも、ヴァレリウス公爵の不審な金の流れについては、かねてより内密に調査を進めておりました。そして、このサトウ殿が提示したデータと、我らが掴んだ証拠は、完全に一致しております!」
長老貴族がそう言うと、彼の派閥に属する他の貴族たちも、次々と立ち上がった。
「我らも同様の証拠を! 公爵は、魔王軍の幹部と密会していたとの情報もございます!」
「もはや、公爵の不正は、断じて許されるべきではありません! 陛下、ご聖断を!」
もはや、勝敗は決した。
俺が【根回し】スキルを使って事前にリークしておいた情報が、この完璧なタイミングで、決定的な証拠として機能したのだ。
ヴァレリウス公爵は、その場でへなへなと膝から崩れ落ちた。その顔は、絶望で真っ白になっている。
王は、そんな彼を、冷たい、失望しきった目で見下ろすと、静かに、しかし、威厳に満ちた声で命じた。
「……者ども。ヴァレリウス公爵を、捕らえよ。国家反逆罪の容疑で、地下牢に投獄せい」
「ははっ!」
衛兵たちが、一斉に公爵を取り囲む。
「や、やめろ! 離せ! 私は、公爵だぞ! これは、罠だ! あの男の、罠なんだ!」
公爵の、みっともない命乞いの叫びが、謁見の間に虚しく響き渡る。
だが、もはや、彼に味方する者は、一人もいなかった。
俺は、その光景を、ただ静かに眺めていた。
剣でもなく、魔法でもなく、一本の「プレゼンテーション」で、王国を蝕む巨悪を打ち倒した。
これぞ、俺のスキルの真価。
やれやれ。
最高の「ざまぁ」展開じゃないか 。
俺は、内心で、満足げに呟いた。




