第31話 王都の空気
謁見の間は、氷のような沈黙に支配されていた。
俺の、あまりにも場違いで、そして不遜な言葉に、その場にいる誰もが思考を停止させていた。
ヴァレリウス公爵は、怒りのあまり顔を醜く引きつらせ、わなわなと震えている。勝ち誇った表情はどこにもなく、ただ、予想外の反撃に戸惑う小物特有の狼狽が浮かんでいた。
「き、貴様……! この場で、まだそのような戯言を……!」
公爵が、ようやく絞り出した声は、情けないほど上擦っていた。
「戯言ではありません。事実確認です」
俺は、彼の動揺を意にも介さず、淡々と続けた。
「公爵閣下。あなたの主張には、いくつかの重大な論理的矛盾と、事実誤認に基づいたインシデントが含まれています。このままでは、本プロジェクト――すなわち、王国全体の意思決定プロセスに、深刻な手戻りを発生させるリスクがある。よって、PMとして、一つずつ課題をクリアにしていく必要があります」
俺は、まず第一の告発内容について、指を一本立ててみせた。
「第一に、『私が魔王軍のスパイである』というご指摘について。これは、根本的な前提条件に誤りがあります。公爵閣下、スパイというものは、通常、その正体を隠し、水面下で活動するものではないでしょうか?」
「そ、それがどうした!」
「私のクロスロードでの活動は、全て冒険者ギルドという公的機関を通して行われています。依頼の受注履歴、討伐報告、報酬の受け取りに至るまで、全てのトランザクションは記録として残り、誰でも閲覧が可能です。これほど透明性の高い活動を行うスパイが、世界のどこにいるというのですか? それは、スパイという概念の定義そのものに反します」
俺のロジカルな反論に、広間がわずかにざわつく。貴族たちの中から、「確かに……」「言われてみれば……」という囁き声が聞こえ始めた。
「第二に、『私が魔族から禁断の力を与えられた』という点。これも、甚だしい事実誤認です」
俺は、呆れたように首を振った。
「私のユニークスキルは、【業務効率化】。その名の通り、業務を効率化させるためのスキルです。もし、私が魔族と契約して力を得たのであれば、もっとこう、【奈落の業火】とか【絶対零度】とか、そういう中二病的な名前の、強力な攻撃スキルを授かるのが普通ではないでしょうか? 魔族が、わざわざ敵対する人類に、事務処理能力を向上させるスキルを与えるメリットが、どこにあるというのです? 彼らは、そんな非効率な投資はしないでしょう」
俺の言葉に、勇者パーティの高校生たちが、思わず「ぷっ」と吹き出すのが見えた。彼らも、俺のスキルの名前が、いかに戦闘向きでないかは、身をもって知っている。
「だ、黙れ! 貴様のそのスキルこそ、我らを欺くための、巧妙な偽装に決まっておる!」
公爵が、苦し紛れの反論を叫ぶ。
「なるほど。では、その仮説を検証してみましょう」
俺は、まるでバグの切り分け作業でもするかのように、冷静に続けた。
「私のスキルが偽装であると仮定した場合、私のクロスロードでの成功は、スキル以外の要因によるもの、ということになります。つまり、私自身の純粋な能力、あるいは、私が組織したチーム『効率化』の卓越したパフォーマンスによって、Cランクパーティ相当、あるいはそれ以上の成果を上げた、ということになりますが……」
俺は、そこで一度言葉を切り、壇上にいる勇者パーティに、ちらりと視線を送った。
「……そうなると、また新たな疑問が生まれますね。なぜ、何のチートスキルも持たない、ただの『おっさん』が率いる寄せ集めのパーティが、神々に選ばれし【聖剣】や【大賢者】のスキルを持つ勇者様ご一行よりも、遥かに効率的に、そして安定的に成果を上げることができたのか。問題の本質は、私のスキルの真偽ではなく、むしろ、そちらの『プロジェクト』の、深刻なパフォーマンスの低さにあるのではないでしょうか?」
その瞬間、勇者パーティの少年少女たちの顔から、血の気が引いた。
彼らは、俺の言葉が、自分たちの痛いところを、的確に抉っていることを理解したのだ。
「き、貴様……! 話を逸らすな! これは、貴様の断罪の場だぞ!」
ヴァレリウス公爵が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「いいえ。これは、王国が直面している『プロジェクトの失敗』という、重大なインシデントに関する、原因究明の場であるべきです」
俺は、公爵を無視し、玉座に座るアルフォンス王に向き直った。そして、静かに【根回し】スキルを発動させる。王の周囲の空気が、ほんのわずかに、和らぐのを感じた。
「陛下。私は、この国を裏切るつもりなど、毛頭ございません。ただ、一人の『業務効率化』の専門家として、この国の現状に、看過できないほどの非効率と、無駄なリスクが存在していることを、深く憂慮しているに過ぎません」
俺は、恭しく頭を下げた。
「つきましては、陛下。この私に、ほんの少しだけ、お時間をいただけないでしょうか。私が、この数週間で分析した、我が国の『対魔王軍プロジェクト』における現状の課題と、その具体的な改善策について、ご説明させていただきたく存じます」
俺の、あまりにも大胆な提案に、広間は再び静まり返った。
一介の冒険者に過ぎない男が、国王に対し、国家プロジェクトのコンサルティングを申し出たのだ。前代未聞の事態だった。
ヴァレリウス公爵が、「陛下! なりませぬ! こやつの戯言に、耳を貸しては……!」と叫ぶ。
だが、王は、その言葉を手で制した。
アルフォンス王は、疲弊しきったその瞳で、じっと俺を見つめていた。その目には、疑念と、警戒と、そして、ほんのわずかな……藁にもすがるような、期待の色が浮かんでいるように見えた。
やがて、王は、重々しく口を開いた。
「……よかろう。サトウ・ケンジ。貴様の『プレゼンテーション』とやら、聞かせてもらおうではないか」
その言葉は、俺の勝利を、そして、公爵の敗北の始まりを告げる、ゴングの音だった。




