第30話 プロジェクトの「スコープクリープ」
王都の巨大な城壁が、馬車の窓一杯に広がっていた。クロスロードのそれとは比べ物にならないほど高く、分厚い壁だ。その威容は、この国の中枢としての権威と、同時に、外部の者を受け付けないという閉鎖的な意志の両方を示しているように見えた。
「すげえ……! あれが王都か!」
エララが、子供のようにはしゃいで窓に張り付いている。
「……人が、多いです……」
ルナは、城門を行き交う人々の多さに気圧されたのか、俺のローブの袖をさらに強く握りしめた。
やれやれ。
俺は、そんな二人を横目に、静かに息を吐いた。
これから始まるのは、物理的な戦闘よりも、よほど厄介で、そして消耗する「戦い」だ。
馬車は、衛兵に止められることもなく、スムーズに城門を通過し、王城へと続く大通りを進んでいく。やがて、俺たちが最初に召喚された、あの巨大な城の前に馬車は止まった。
「サトウ・ケンジ殿、ご到着です。陛下がお待ちかねです。こちらへ」
以前とは比べ物にならないほど丁重な態度で、近衛騎士が俺たちを先導する。
俺たちは、見覚えのある長い廊下を抜け、あの謁見の間の前にたどり着いた。
重厚な扉が開かれる。
その先には、数週間前と変わらない、豪華絢爛な広間が広がっていた。
だが、その空気は、以前とはまるで違う。歓迎の熱気など微塵もなく、ただ、冷たく、そして敵意に満ちた空気が、澱のように溜まっていた。
玉座には、憔悴しきった表情のアルフォンス王。その隣には、いかにも悪巧みをしていそうな、肥満体の貴族がふんぞり返って立っている。あれが、ヴァレリウス公爵か。俺の【情報収集】スキルが収集したデータ通りの、小物感漂う悪役面だ 。
そして、その壇下には、見覚えのある顔ぶれが並んでいた。
制服姿の、勇者パーティの高校生たちだ。だが、彼らの顔から、かつての自信と希望に満ちた輝きは消え失せ、代わりに疲労と、そして俺に対する嫉妬と劣等感が入り混じった、複雑な表情が浮かんでいた 。
「……つまり、俺は濡れ衣を着せられに王都へ行くわけか」
馬車の中で俺が言った言葉が、現実のものとして目の前に広がっている。
「ケンジ、どうしたんだ?」
「何か、嫌な予感がします……」
エララとルナが、不安そうに俺の顔を覗き込む。
「言っただろう。これは、完全なスコープクリープ(仕様外の要求)だ。俺の当初のプロジェクト計画には、王家の内紛に巻き込まれるなんて項目は、一切なかったんだがな」
俺は、二人だけに聞こえるように、静かに呟いた。
俺たちが広間の中央まで進み出ると、待ってましたとばかりに、ヴァレリウス公爵が一歩前に出た。
「よく来たな、冒険者サトウ・ケンジ! いや、『元』冒険者、と言うべきか!」
その声は、ねっとりとした悪意に満ちていた。
「単刀直入に聞く! 貴様、魔王軍と内通し、その力を借りて、辺境で不正に富を築いていたそうだな! この国を裏切る、卑劣なるスパイめ!」
公爵は、いきなり最大ボリュームで俺を断罪し始めた。その声は、広間中に響き渡り、他の貴族たちも、同調するように、俺に非難の視線を向ける。
「なっ……!?」
エララが、怒りに顔を赤く染め、剣の柄に手をかけた。
「待て、エララ。まだだ」
俺は、目線だけで彼女を制する。今は、まだ俺のターンではない。
「貴様のその奇妙なスキル! そして、常軌を逸したゴブリン討伐の手腕! それら全てが、魔族から与えられた禁断の力であるという証言も上がっておる! それで、勇者パーティの活躍を妨害し、王国の転覆を狙っていたのであろう!」
やれやれ。あまりに稚拙な陰謀論だ。前職の炎上プロジェクトで、責任逃れのために意味不明な言い訳を繰り返していた、無能な上司の顔が目に浮かぶ。
「黙秘は、罪を認めたと見なすぞ! 者ども、こやつを捕らえよ!」
公爵が叫ぶと、周囲を固めていた衛兵たちが、一斉に槍を構え、俺たちを取り囲んだ。
「させるか!」
エララが、ついに我慢できずに剣を抜き、俺の前に立ちはだかる。
「ケンジに指一本でも触れてみろ! この剣の錆にしてくれる!」
ルナも、震えながら杖を構え、エララの隣に立った。
「マ、マネージャーを……傷つけさせません……!」
俺は、そんな二人の肩に、そっと手を置いた。
「いい。二人とも、武器を収めろ。これは、君たちの仕事じゃない。俺の仕事だ」
俺の、静かだが、有無を言わせぬ声に、二人は戸惑いながらも、ゆっくりと武器を下ろした。
俺は、一歩前に出ると、ふんぞり返るヴァレリウス公爵を見据え、静かに口を開いた。
「……分かりました。どうやら、話し合いで解決できるフェーズは、過ぎたようですね」
俺は、そこで一度言葉を切ると、広間にいる全ての人間を見渡した。
憔悴した王、勝ち誇った公爵、不安げな貴族たち、そして、複雑な表情の勇者たち。
「チーム『効率化』、これより、新たなプロジェクトを開始する」
俺は、エララとルナに、そして自分自身に言い聞かせるように、宣言した。
「プロジェクト名、『王国統治体制における事業継続計画(BCP)の策定』。手始めに、あの公爵という名の『システム上の脆弱性』を、市場から完全に排除する」
俺は、この状況を、単なる査問会ではなく、王国の根幹に関わる、最優先の「追加業務」と再定義した。
そして、ヴァレリウス公爵に向き直ると、これまでで最も冷徹な、ビジネスマンの顔で言った。
「さて、公爵閣下。あなたの、その素晴らしいプレゼンテーションには、いくつか、事実誤認と、論理的破綻が見受けられます。つきましては、一点ずつ、確認させていただいても、よろしいですかな?」
俺の、あまりにも落ち着き払った、そして挑発的な言葉に、ヴァレリウス公爵の顔が、みるみるうちに怒りで歪んでいく。
広間の空気が、再び張り詰めた。
やれやれ。
だが、もう後には引けない。
こうなったら、この面倒なプロジェクトも、完璧に、そして、効率的に、完遂してやるまでだ。




