第29話 忍び寄る陰謀
王都へと向かう馬車の中は、三者三様の空気に満ちていた。
豪華なクッションの効いた座席で、窓の外を流れる景色に目を輝かせているのはエララだ。彼女の心は、すでに王都での栄誉と、自らの武勇を国王に披露する場面でいっぱいなのだろう。
「なあ、ケンジ! 王様に会ったら、私たちのパーティの実力をしっかりアピールしてくれよな! 私の剣とルナの魔法があれば、あの役立たずの勇者パーティなんかより、よっぽど魔王討伐に貢献できるってことをさ!」
彼女は、興奮を隠しきれない様子で、俺に何度もそう話しかけてくる。
その隣では、ルナが小さな体をとさらに縮こませて座っていた。彼女は、窓の外の景色を楽しむ余裕もなく、ただ自分の膝の上で、固く両手を握りしめている。
「で、でも、エララさん……。王様とか、偉い貴族の方々の前で、私、ちゃんとできるでしょうか……。また、失敗して、迷惑をかけたら……」
その声は、不安でか細く震えていた。
やれやれ。
俺は、そんな対照的な二人を眺めながら、内心で深いため息をついた。
「二人とも、少し落ち着け。これは、表彰式でもなければ、観光旅行でもない。新しい『業務』だ。それも、これまでで最も複雑で、リスクの高いな」
俺の冷静な言葉に、エララは「分かってるさ!」と唇を尖らせ、ルナはさらに不安そうな顔になった。
俺は、そんな二人との会話もそこそこに、目を閉じて思考を集中させた。
王都に到着してから情報収集を始めるのでは、後手に回る。プロジェクトマネジメントの基本は、事前準備とリスクの洗い出しだ。幸い、俺にはそのための最適なツールがある。
(【情報収集】、起動。検索キーワード:『アークライト王国 王都』、『勇者パーティ 現状』、『国王アルフォンス 評価』、『魔王軍 戦況』……)
俺が念じると、レベルアップによって取得したスキル【情報収集】が、静かに発動した。
それは、まるで高速のインターネット回線に脳を直接接続したかのような感覚だった。この世界に存在する、ありとあらゆる情報――公的な記録、市井の噂話、吟遊詩人が歌う物語、果ては貴族たちの間で交わされる密談の一部まで――が、膨大なデータとなって俺の脳内に流れ込んでくる。
俺は、その情報の洪水の中から、必要なデータだけを的確にフィルタリングし、整理・分析していく。
そして、数分後。
俺は、今回の「王都召喚」というプロジェクトの、忌まわしい全体像を、完全に把握していた。
(……なるほどな。そういうことか)
俺は、ゆっくりと目を開けた。その表情は、いつも通りの無表情を装っていたが、内心では、冷たい怒りと、そしてある種の呆れが渦巻いていた。
まず、俺が城から追い出された後、あの高校生たちで結成された「勇者」パーティは、魔王軍との戦いで、惨憺たる連敗を喫しているらしい。
原因は、複数ある。リーダーに据えられた、この国の第一王子ザルタンの、致命的なまでの傲慢さと無能さ。実戦経験のない若者たちばかりで構成された、チームワークの欠如。そして、非効率極まりない兵站と、杜撰な作戦計画。
要するに、典型的な失敗プロジェクトだ 。
そして、問題はここからだ。
その失敗プロジェクトの最高責任者であり、ザルタン王子の後ろ盾でもある、ヴァレリウス公爵という男。彼は、自らの権力基盤である勇者パーティの失敗の責任を、誰かに押し付け、この状況を糊塗しようと画策している。
そのスケープゴートとして、白羽の矢が立ったのが、俺、サトウ・ケンジ。
「勇者召喚に巻き込まれながら、ハズレスキルを理由に早々に離脱した、謎の男」
「辺境の街で、にわかには信じがたい速度で名を上げ、莫大な富を築いている、得体の知れない冒険者」
彼らのシナリオは、こうだ。
俺を王都に呼びつけ、衆人環視の中で「魔王軍のスパイ」、あるいは「魔族の力を借りた詐欺師」として断罪する。そして、勇者パーティの連敗の責任を、全て俺に被せる。そうすることで、ヴァレリウス公爵は自らの政治的失点を回避し、無能な王子を守ることができる。
「……やれやれ。三流のメロドラマでも、もう少しマシな脚本を書くぞ」
俺は、思わず声に出して呟いていた。
「ケンジ? どうかしたのか?」
エララが、不思議そうに俺の顔を覗き込む。
俺は、深く、長いため息をつくと、二人に向き直った。
「……どうやら、今回の出張の『業務内容』が、確定したようだ」
「本当か! どんな依頼なんだ?」
目を輝かせるエララに、俺は、残酷な事実を告げた。
「……つまり、俺は濡れ衣を着せられに、王都へ行くわけだ」
「はあ!? 濡れ衣!? どういうことだ、ケンジ! 誰が、そんなことを!」
エララが、激昂して立ち上がる。馬車が小さく揺れた。
「やっぱり……。何か、嫌な予感がしていました……」
ルナが、青ざめた顔で呟く。
俺は、そんな二人に、先ほど得た情報を、専門用語を交えながら、簡潔に説明した。
「簡単に言えば、こうだ。王家が主導する『魔王討伐プロジェクト』が、現在、大規模な炎上状態にある。そして、そのプロジェクトの責任者であるヴァレリウス公爵という男が、失敗の責任を全て、俺という外部委託業者に押し付けようとしている。今回の召喚は、そのための『査問会』というわけだ」
俺の説明に、エララは怒りに顔を歪め、ルナは恐怖に体を震わせた。
「許せない! そんな卑怯な真似! 王都に着いたら、私がそいつらを叩きのめしてやる!」
「ど、どうしましょう、ケンジさん……。私たち、捕まってしまうんでしょうか……?」
「落ち着け、二人とも」
俺は、冷静に二人をなだめた。
「これは、完全なスコープクリープ(仕様外の要求)だ。俺の当初のプロジェクト計画には、王家の内紛に巻き込まれるなんて項目は、一切なかったんだがな」
俺は、窓の外に目をやった。
遠くに、王都の巨大な城壁が見え始めている。
「だが、もう後には引けない。こうなったら、この面倒な『追加業務』も、完璧にこなしてやるまでだ」
俺の言葉に、エララとルナは、ハッと息を呑んで俺の顔を見た。
その瞳には、もはや興奮も恐怖もない。ただ、自分たちのリーダーに対する、絶対的な信頼の色だけが、浮かんでいた。
やれやれ。
どうやら、俺の平穏なリタイア生活は、また少し、遠のいてしまったらしい。
だが、不思議と、気分は悪くなかった。
むしろ、これから始まるであろう、知略と謀略が渦巻く、新たな「プロジェクト」に、俺の心は、静かに、しかし確かに、高揚していた。




