第28話 王都からの使者
ギルドの酒場に、水を打ったような静寂が訪れた。
つい先ほどまで、ガインたちとのやり取りを肴に酒を飲んでいた冒険者たちが、今は皆、固唾を飲んで一点を見つめている。その視線の先には、俺と、そしてギルドの入り口に立つ、一人の男。
男は、銀細工の施された豪奢な鎧を身にまとい、腰には優美な装飾の長剣を佩いている。その立ち姿、そして全身から発せられるエリート特有の傲慢な空気は、クロスロードの荒くれ者たちとは明らかに異質だった。鎧の胸当てには、アークライト王家の紋章が、誇らしげに輝いている。
「……王都の、近衛騎士団……?」
誰かが、かすれた声で呟いた。
その近衛騎士が、他の冒険者たちには目もくれず、まっすぐに俺の元へと歩み寄ってくる。カツ、カツ、と石畳を鳴らすブーツの音が、やけに大きく響いた。
やれやれ。
俺は、内心で深いため息をついた。
先ほど、酒場の隅で感じた視線。あれは、気のせいではなかった。おそらく、この男だろう。俺の行動は、すでに王都にまで監視されていたのだ。
騎士は、俺のテーブルの前で足を止めると、俺を値踏みするように上から下まで見つめ、そして、感情の乗らない、事務的な口調で告げた。
「貴殿が、冒険者サトウ・ケンジ殿か」
「いかにも」
「国王陛下からの、勅命である」
騎士は、懐から巻物を取り出すと、芝居がかった仕草でそれを広げ、朗々と読み上げた。
「冒険者サトウ・ケンジ。貴殿の、クロスロードにおける類稀なる功績、及び、ギルドへの多大なる貢献は、遍く王の耳にも達しておる。よって、その功を称え、直々の謁見を許すものとする。至急、王都まで出仕し、陛下の御前にて、その功績を報告せよ」
その言葉が終わると、ギルド内は、驚愕のどよめきに包まれた。
「国王陛下からの、勅命だと!?」
「すげえ……あのおっさん、一体何者なんだ……」
「王都にまで、名前が知れ渡ってたのか……」
その騒ぎの中、エララとルナが、血相を変えて酒場に駆け込んできた。
「ケンジ! 今のは、本当なのか!?」
エララが、興奮した様子で俺に詰め寄る。
「王都に、呼ばれるなんて……すごいじゃないか!」
「……ケンジさん」
ルナは、エララとは対照的に、不安そうな顔で俺のローブの袖を掴んだ。その瞳には、この突然の展開に対する、漠然とした恐怖が浮かんでいる。
やれやれ。
この反応の違いも、二人の性格をよく表している。エララは、この召喚を「名誉」や「チャンス」と捉えている。だが、ルナは、その裏にある「リスク」を、本能的に感じ取っているのだろう。
もちろん、俺の考えはルナに近い。
これは、栄誉ある表彰などではない。面倒な「業務命令」であり、そして、何らかの政治的な意図を含んだ、極めてリスクの高い「プロジェクト」の始まりだ。
だが、ここで拒否するという選択肢はない。国王からの勅命を断れば、それは反逆と見なされ、俺の平穏なリタイア計画は、その瞬間に完全に破綻する。
俺は、立ち上がると、近衛騎士に向かって、恭しく一礼した。
「謹んで、お受けいたします。して、出発はいつになりますかな?」
「明日、日の出と共に出立する。我らが手配した馬車にて、王都まで同行願う」
騎士は、それだけ言うと、俺に一瞥もくれずに踵を返し、ギルドから去っていった。まるで、俺の返答など、初めから分かりきっていたかのように。
騎士が去った後も、ギルドの興奮は冷めやらない。
「おい、聞いたか! あのサトウが、王様に呼ばれたぞ!」
「チーム『効率化』、ついに王都進出か!」
そんな喧騒を背に、俺はエララとルナに向き直った。
「さて、と。急な出張が決まったわけだが」
俺は、頭の中の管理ツールに、新たなプロジェクトを起票した。
『プロジェクト名:王都召喚対応プロジェクト』
『ステータス:計画策定中』
『リスクレベル:高(政治的陰謀に巻き込まれる可能性大)』
「二人とも、今夜のうちに旅の準備を済ませておけ。最低限の荷物でいい。装備は、最も信頼できるものを。いいね?」
「お、おう! 分かった!」
エララが、元気よく返事をする。
「は、はい……!」
ルナも、不安そうながら、こくりと頷いた。
「俺は、少し野暮用がある。後で宿で合流しよう」
俺は、そう言って、二人と別れ、ギルドマスターの部屋へと向かった。この件を、彼に報告しておく必要がある。彼は、このプロジェクトにおける、重要な「ステークホルダー」の一人だからな。
バルガスは、俺が部屋に入るなり、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「……話は聞いた。やっかいなことになったな、サトウ」
「ええ。どうやら、私の平穏な日々も、これまでだったようです」
「気をつけろよ」
バルガスは、真剣な眼差しで俺を見据えた。
「王都の連中は、腹に一物も二物も持っている。特に、今の王宮は、魔王軍との戦いを巡って、いくつかの派閥に分かれて、きな臭い権力争いを繰り広げていると聞く。貴様のような、得体の知れない実力者が現れれば、利用しようと考える奴もいれば、危険視して潰そうと考える奴もいるだろう」
「ご忠告、感謝します。肝に銘じておきましょう」
「……まあ、お前さんなら、上手くやるだろうがな」
バルガスは、そう言って、ニヤリと笑った。
「せいぜい、王都のキザな連中の度肝を抜いてやれ。チーム『効率化』の、本当の実力を見せてやるといい」
「ええ。それが、俺の『業務』ですから」
俺は、不敵な笑みを返し、ギルドマスターの部屋を後にした。
翌朝。
俺たち三人は、王都からの使者が用意した、立派な紋章入りの馬車に乗り込み、クロスロードの街を後にした。
見送りに来たのは、ハンナと、そして、なぜかギルドマスターのバルガスもいた。
馬車がゆっくりと動き出す。
窓の外で、クロスロードの雑然とした街並みが、遠ざかっていく。
「なあ、ケンジ」
馬車の中で、エララが、興奮を抑えきれない様子で話しかけてきた。
「王様に会ったら、何を話すんだ? 私たちの活躍を、自慢してきてくれよな!」
「……ケンジさん。本当に、大丈夫、でしょうか……?」
ルナが、不安そうな瞳で俺を見つめる。
俺は、そんな二人を交互に見ながら、静かに答えた。
「さあな。だが、一つだけ言えることがある」
俺は、窓の外に広がる、どこまでも続く地平線を見つめながら、言った。
「これは、俺たちのチームの真価が問われる、新しい『業務』になるだろうな」
やれやれ。
俺の平穏なリタイア生活が、また一つ、遠のいていく。
俺は、これから始まるであろう、数々の面倒事に思いを馳せ、誰にも気づかれないように、深く、長いため息をついた。




