第27話 新たなスキル【根回し】
チーム『効率化』がCランクに昇格して以来、俺たちの日常は、驚くほど平穏で、そして効率的なものになっていた。
エララは、もはや「パーティクラッシャー」の面影もなく、俺の指示を絶対的な信頼をもって遂行する、冷静沈着なタンクとしてギルド内でも一目置かれる存在となっていた。
ルナも、過去のトラウマを完全に克服し、自信に満ちた表情で強力な魔法を操る、頼れる後衛火力として認知され始めていた。
俺たちは、ギルドマスターとの契約通り、ゴブリンの「乱獲」を控え、代わりにCランク向けのダンジョン攻略や、少し難易度の高い討伐依頼を、淡々と、しかし完璧にこなしていく。
その結果、俺たちのパーティランクは安定し、資産も着実に積み上がっていった。俺の【収納】スキルの中には、金貨の詰まった袋がいくつも転がっている。早期リタイアという最終目標も、いよいよ現実味を帯びてきた。
「やれやれ。このまま、何事もなければ、あと一年もすれば目標額に到達し、辺境に小さな家でも買って、悠々自適のスローライフが送れるだろうな」
その日の夕方も、俺はギルドの酒場で、そんな甘い未来予想図を描きながら、一人エールを飲んでいた。エララとルナは、女性冒険者用の宿舎で、二人で何やら楽しげに話し込んでいるらしい。チーム内のコミュニケーションも良好。プロジェクトは、極めて順調に進んでいる。
だが、俺の心には、一つだけ、小さな引っかかりがあった。
先日、新たに取得したスキル、【根回し】。
その効果を、まだ実地で試していない。
『サブスキル:【根回し】
└ 内容:対象の心理的障壁を下げ、こちらの提案や情報を受け入れやすくする。交渉事や情報操作において、絶大な効果を発揮する』
どんなに優れたツールも、テストせずに本番投入するのは三流のやることだ。どこかに、手頃な「テストケース」はないものか。
俺が、そんなことを考えていると、都合のいい「対象」が、仲間を引き連れて酒場に入ってきた。
「紅蓮の牙」のリーダー、ガインだ。
彼は、俺の姿を認めると、一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに視線を逸らし、カウンターから離れたテーブル席にどかりと腰を下ろした。以前のような、あからさまな敵意は感じられない。おそらく、俺がギルドマスターの後ろ盾を得たという噂を、どこかで聞きつけたのだろう。
(……ちょうどいい。彼を相手に、新スキルの効果を試してみるか)
俺は、エールのジョッキを手に、ゆっくりと立ち上がると、ガインたちのテーブルへと向かった。
俺が近づいてくるのに気づき、ガインの仲間たちが、警戒するように身構える。
「よう。少し、いいかね?」
俺が、人好きのする笑みを浮かべて話しかけると、ガインは、面倒くさそうに顔を上げた。
「……なんだよ、サトウ。俺たちに、何か用か?」
「いや、大したことじゃない。ただ、この間の君たちの働きぶりを、少し耳にしてね。ゴブリンの代わりに、オークの巣の偵察依頼をこなしたそうじゃないか。見事な手腕だと、ギルドでも評判だったぞ」
俺は、当たり障りのない世間話から切り出した。そして、彼の目を見つめながら、静かに【根回し】スキルを発動させる。
俺の体から、ごく微量のMPが消費されるのを感じた。
ガインの表情が、ほんのわずかに、和らいだように見えた。
「……ふん。オーク程度、俺たちにかかれば、朝飯前だ」
彼は、ぶっきらぼうに答えながらも、その口調には、どこか誇らしげな響きがあった。
「だろうな。君たちのパーティの強みは、なんと言っても、個々の卓越した戦闘能力だ。特に、リーダーである君の突進力は、並のCランク冒険者の比ではない」
俺は、相手を決して否定せず、まずは肯定し、褒める。交渉の基本だ。
「……まあな」
ガインが、まんざらでもない、という顔をする。彼の仲間たちも、警戒を解き、俺の話に耳を傾け始めた。
「だが」と俺は続けた。「それだけのポテンシャルがありながら、君たちがBランクに上がれないでいるのは、なぜだと思う?」
俺の言葉に、ガインの顔が再び険しくなる。
「……なんだと?」
「落ち着いて聞いてくれ。これは、ただの同業者としての、情報交換だ」
俺は、彼をなだめるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「君たちのパーティは、個々の能力は高い。だが、その連携には、まだ改善の余地があるように見受けられる。例えば、君が敵陣に切り込む際、両翼の仲間が、君の側面をカバーする動きを徹底するだけで、パーティ全体の防御力は、飛躍的に向上するはずだ。いわゆる、『鶴翼の陣』の応用だな」
「かくよく……?」
ガインが、怪訝な顔をする。
「あるいは、君が囮となって敵を引きつけ、その隙に、後方の仲間が回り込んで、敵の背後を突く。基本的な挟撃戦術だ。そういった、ごく簡単な『陣形』の概念を取り入れるだけで、君たちは、今よりもはるかに格上の相手と、安全に渡り合えるようになるだろう。そうなれば、Bランクへの昇格も、もはや夢ではない」
俺は、決して上から目線にならないよう、あくまで「一つの可能性」として、彼らに具体的な改善案を提示した。
もし、スキルを使っていなければ、ガインは「知ったような口を利くな!」と、激昂していただろう。
だが、【根回し】スキルの効果は、絶大だった。
ガインは、腕を組み、唸りながら、真剣な表情で俺の言葉を聞いていた。
そして、しばらくの沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「……ちっ。おっさんの言うことにも、一理、あるかもしれねえな……」
その意外な言葉に、彼の仲間たちが、驚いたように顔を見合わせる。
「お、おい、ガイン……?」
「うるせえ! 俺だって、考えてねえわけじゃねえんだよ!」
ガインは、照れ隠しのように怒鳴ると、ジョッキに残っていたエールを一気に飲み干した。
そして、立ち上がると、俺の肩を乱暴に叩いた。
「……サトウ。今日のところは、参考にしてやる。だが、勘違いするなよ! 俺たちがBランクに上がるのは、てめえのアドバイスのおかげじゃねえ! 俺たちの実力だ!」
彼は、そう言い残すと、仲間たちを引き連れて、足早に酒場から出て行った。
俺は、その後ろ姿を見送りながら、静かに笑みを浮かべた。
(……上出来だ。これで、当面の敵対リスクは、ほぼゼロになったな)
【根回し】スキルの有効性を確認し、俺は満足して自分の席に戻ろうとした。
その時、ふと、酒場の最も薄暗い隅のテーブルに、一人の客が座っているのが目に入った。
フードを深くかぶっており、その顔は窺えない。男か女かも判別できない。
だが、その人物が、先ほどからずっと、俺とガインのやり取りを、静かに、そして鋭く観察していたことだけは、肌で感じ取れた。
俺が視線を向けると、その人物は、ふいと顔を背け、何事もなかったかのように、手元のグラスを傾けた。
(……なんだ、今の奴は……?)
一瞬、背筋に冷たいものが走った。
だが、俺がもう一度そちらを見た時には、すでにその席は、もぬけの殻になっていた。
やれやれ。気のせいか。
俺は、そう自分に言い聞かせ、席に戻った。
俺の平穏なリタイア生活は、すぐそこまで来ている。
余計な面倒事は、もうごめんだ。
俺は、そう思っていた。
だが、俺のそんなささやかな願いは、その数日後、あっさりと打ち砕かれることになる。
クロスロードのギルドに、王都からの、仰々しい紋章を掲げた使者が、現れたのだ。
そして、その使者は、ギルドにいる全ての冒険者が見守る中、まっすぐに俺の元へとやってきて、こう告げた。
「冒険者サトウ・ケンジ殿。貴殿の類稀なる功績を称え、国王陛下が、直々の謁見を望んでおられる。至急、王都までご足労願いたい」
やれやれ。
どうやら、一番面倒な方面から、お呼びがかかってしまったらしい。




