第24話 完璧な「製品納品」
薄暗い通路の角から、先の広場を窺う。ぼんやりと光る苔に照らされた空間で、緑色の醜悪な小鬼たちが、何かの骨を奪い合って騒いでいた。ゴブリンが4体。そして、その中央には、一回りも二回りも体格が良く、錆びた斧を肩に担いだホブゴブリンが、ボスのように鎮座している。
「……よし。状況は【分析】通りだな」
俺は、背後の二人に小声で告げた。
「これより、プランBに移行する。チーム『効率化』、初の本格的な戦闘演習だ。各自、アサインされた役割を、100%の精度で遂行すること。いいな?」
俺の言葉に、ルナはこくりと唾を飲み込み、その顔には恐怖の色が浮かんでいる。対照的に、エララの瞳には、抑えきれない闘志の炎が燃え上がっていた。
「やっと、私の出番というわけだな!」
「そうだ。だが、勘違いするなよ、エララ君」
俺は、逸る彼女に釘を刺す。
「君のタスクは、敵を殲滅することではない。君のタスクは、時間を稼ぐことだ。具体的には、30秒。君が、あのホブゴブリンを含む敵5体の注意を完全に引きつけ、30秒間、その場に釘付けにする。それが、君に課せられたミッションだ。できるか?」
「30秒……だと?」
エララは、眉をひそめた。
「馬鹿にするな! 30秒どころか、30分だって耐えてみせる! ……だが、その後はどうするんだ? 私が耐えている間に、あんたとこの木偶の坊は、逃げる準備でもするのか?」
彼女の言葉には、まだ俺たちへの不信感が滲んでいる。
「その答えは、30秒後に分かる」
俺は、それだけ言うと、ルナに向き直った。
「ルナ君。君は、俺の合図があるまで、この場を動くな。そして、合図と同時に、君が持つ最大火力の魔法の詠唱を開始しろ。目標は、あのホブゴブリンだ。いいか、周りは気にするな。敵のことも、エララ君のことも、俺のことも見るな。ただ、自分の魔法のことだけを考えろ。君の詠唱が終わるまで、俺たちが必ず時間を稼ぐ」
「は、はい……!」
ルナは、震える声で答えたが、その瞳には、わずかに決意の色が宿っていた。
「よし。では、最終ブリーフィングを終了する。5秒後に、プロジェクト開始だ」
俺は、懐から投げナイフを数本取り出し、指に挟んだ。
「5、4、3……」
俺のカウントダウンに、エララが深く息を吸い込み、剣の柄を握りしめる。
「2、1……実行(Execute)!」
その言葉と同時に、エララが通路から広場へと躍り出た。
「我こそはクライシュ騎士家のエララなり! 醜悪なる魔物どもよ、この私の剣の錆にしてくれる!」
彼女は、家名まで名乗り、高らかに叫んだ。その声は、ダンジョン内に響き渡り、ゴブリンたちの注意を一斉に引きつける。
「ギギッ!?」
「グギャアア!」
ゴブリンたちが、突如現れた侵入者に気づき、武器を構える。ホブゴブリンも、巨大な斧を担ぎ直し、威嚇するように唸り声を上げた。
「プランB、フェーズ1、成功。ヘイトコントロール、良好だ」
俺は、冷静に戦況を分析する。
「行くぞ!」
エララは、俺の指示を思い出したのか、敵陣に突っ込むのをぐっと堪え、その場で盾を構えて防御姿勢を取った。
「さあ、来い! この私を、打ち破れるものならな!」
その挑発に、ホブゴブリンが雄叫びを上げて突進してきた。
ガギンッ! と、耳をつんざくような金属音。ホブゴブリンが振り下ろした巨大な斧を、エララが小さな盾で、しかし完璧な角度で受け止めた。
「ぐっ……!」
さすがに威力は凄まじいらしく、エララの足が数センチ、地面を削って後退する。だが、彼女は倒れない。スキル【不屈の魂】が、彼女の体を支えているのだ。
「ルナ、今だ! 詠唱開始!」
俺は、後方のルナに指示を飛ばす。
「は、はいっ!」
ルナが、目を固く閉じ、震える唇で呪文を紡ぎ始めた。彼女の周りに、青白い魔力の粒子が集まり始める。
「やれやれ。ここからは、俺の仕事だな」
俺は、エララがホブゴブリンと対峙している隙に、壁際を静かに移動した。そして、【ショートカット】を発動。
一瞬で、ゴブリンたちの側面に回り込む。
「ギ!?」
俺の存在に気づいたゴブリンの一体が、棍棒を振りかぶる。だが、それより早く、俺の手から放たれた投げナイフが、その喉に深々と突き刺さった。
一体を瞬殺し、俺はすぐにその場から【ショートカット】で離脱。今度は、別のゴブリンの背後に現れる。
俺の目的は、敵を倒すことではない。エララへの攻撃を分散させ、彼女の負担を軽減すること。そして、ルナが詠唱を完了させるための、完璧な「環境」を構築することだ。
俺は、神出鬼没に現れては、ゴブリンたちを的確に一体ずつ仕留めていく。それは、もはや戦闘ではなく、システム上のバグを一つずつ潰していく、デバッグ作業に近かった。
「残り、10秒……!」
俺は、心の中でカウントダウンを続ける。
エララは、ホブゴブリンの猛攻を、必死に耐え続けていた。その体は傷つき、盾はボロボロだ。だが、彼女の瞳の光は、まだ消えていない。
「残り、3、2、1……タイムアップだ!」
その瞬間、後方で詠唱を続けていたルナの体が、膨大な魔力に包まれた。
彼女は、固く閉じていた目を見開き、その震える指先を、まっすぐにホブゴブリンへと向けた。
「――『ライトニング・ランス』!」
放たれたのは、一本の、眩いばかりの雷の槍だった。
それは、一切のブレなく、一直線にホブゴブリンの胸へと突き進む。
「グオオオオッ!?」
雷の槍は、ホブゴブリンの頑丈な体を、まるで紙のように貫いた。
巨体は、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、内側から弾け飛ぶようにして、光の粒子となって消滅した。
リーダーを失った残りのゴブリンは、完全に戦意を喪失し、逃げ惑う。
「エララ君、残敵の掃討を許可する」
「……言われるまでも、ない!」
エララは、俺の言葉を待たずに、逃げるゴブリンの背中に、渾身の一撃を叩き込んだ。
数分後。
広場には、静寂が戻っていた。
そこには、魔物の死体だけが転がり、俺たち三人が、肩で息をしながら立っているだけだった。
「……はぁ、はぁ……」
エララは、膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返している。
ルナは、魔力を使い果たしたのか、その場にへたり込んでいた。
俺は、二人に近づき、淡々と告げた。
「プロジェクト『マーウッドの迷宮・第一階層マッピング』における、最初の戦闘タスク、完了。被ダメージ、想定内。タスク完了時間、目標通り。……上出来だ。二人とも、よくやった」
俺の言葉に、エララとルナは、ハッとしたように顔を上げた。
そして、二人は、お互いの顔を見合わせた。
そこには、もはや以前のような敵意や侮蔑はなかった。
ただ、初めての共同作業を、完璧に成し遂げた者だけが分かち合える、確かな達成感と、そして、かすかな「絆」のようなものが、芽生え始めていた。




