第16話 面倒な競合他社
ガイン率いる「紅蓮の牙」が、捨て台詞を残して去っていく。彼らが去った後の酒場には、気まずい沈黙が流れていた。周囲の冒険者たちは、俺と、ガインたちが去った方向を交互に見ながら、ひそひそと何かを囁き合っている。
やれやれ。面倒なことになった。
俺は、まるで何事もなかったかのように、テーブルにこぼれたエールを丁寧に拭き取り、新しいエールを注文した。内心では、頭の中のプロジェクト管理ツールに新たなタスクを起票し、リスク分析を開始している。
『リスク項目:競合他社による物理的・社会的妨害活動』
『発生確率:高』
『影響度:中(業務遂行に遅延をきたす可能性あり)』
『対応策(暫定):直接的衝突の回避。証拠の収集。ギルド上層部へのエスカレーションパスの確保』
俺が冷静に思考を巡らせていると、酒場の隅で飲んでいた別のパーティの男が、おずおずとこちらに近づいてきた。
「あ、あの……サトウさん、だよな?」
「そうだが」
「気をつけた方がいい。ガインの奴は、執念深いことで有名なんだ。奴に目をつけられて、この街を追い出された奴もいるくらいだ。森の中で『事故』に見せかけてやられるかもしれねえぞ」
男は、親切心からか、そう忠告してくれた。
「忠告、感謝する。だが、心配は無用だ」
俺は、彼に軽く笑いかけてみせた。
「私の業務フローに、『事故』が入り込む余地はないのでね」
俺の自信に満ちた(あるいは、不気味に聞こえたかもしれない)返答に、男は困惑した表情を浮かべ、そそくさと自分の席に戻っていった。
その夜、俺は宿に戻ると、早速「対応策」の実行に移った。
まず、武具屋で一番小さなナイフを数本購入。それを、俺が設置した「ゴブリン・オートメーション・ハーベスター」の周辺、死角になる木の幹などに、巧妙に隠しておく。これは、俺のシステムに何者かが干渉した場合、その痕跡を記録するための「監視カメラ」代わりだ。ナイフに付着した布の切れ端や、土に残った足跡。それら全てが、有事の際の重要な「エビデンス」となる。
次に、俺は自分の行動パターンを意図的に変更した。森へ向かう時間、巡回するルート、街に戻る時間。それらを毎日ランダムに変えることで、待ち伏せのリスクを低減させる。これも、情報セキュリティの基本だ。
数日間、俺はガインたちの動向を警戒しながら、淡々とゴブリンの「収穫」を続けた。幸い、彼らが直接的な行動を起こしてくる気配はなかった。おそらく、ギルド内で俺に言い負かされた一件で、単純な暴力では解決できない相手だと学習したのだろう。
だが、その代わりに、俺に関する悪質な噂が、ギルド内でまことしやかに囁かれるようになっていた。
「あのサトウって男、実は魔族と繋がってるらしいぜ」
「森のゴブリンを操って、他の冒険者を襲わせてるって話だ」
「奴のスキルは、人を操る呪いの類なんじゃないか?」
根も葉もない、悪意に満ちたデマ。典型的なネガティブキャンペーンだ。
その結果、ギルド内での俺の立場は、ますます孤立したものになっていった。以前は、遠巻きながらも好奇の視線を向けてきた者たちも、今では俺と目も合わせようとしない。まるで、汚物か何かを見るような目で、俺を避けている。
やれやれ。実害はないが、気分の良いものではない。
何より、この状況は、俺の「平穏なリタイア生活」という最終目標にとって、好ましいものではない。
その日も、俺は大量のゴブリンの耳をカウンターに叩きつけ、報酬を受け取っていた。ハンナは、もはや何も言わず、ただ事務的に処理を進めるだけだ。
「それじゃあ、また明日」
俺がそう言って踵を返そうとした時、ハンナが呼び止めた。
「あ、あの、サトウさん!」
その声は、いつもより緊張しているように聞こえた。
「なんだ?」
「ギルドマスターが、お呼びです。至急、マスターの部屋へ来るように、と」
「……ギルドマスターが?」
俺は眉をひそめた。ついに、上層部が動き出したか。
これは、懲罰か、それとも……。
俺は、頭の中のタスクリストを更新した。
『タスク名:上層部との折衝』
『ステータス:進行中』
ハンナに案内され、俺はギルドの奥にある、一つの重厚な扉の前に立った。
「こちらです。……あの、くれぐれも、失礼のないようにね」
ハンナは、心配そうな顔でそう言い残し、逃げるように去っていった。
俺は、扉を三回ノックした。
「入れ」
中から、低く、威厳のある声が響く。
俺が扉を開けて中に入ると、そこは、質実剛健という言葉がぴったりの部屋だった。壁には巨大なモンスターの頭蓋骨や、使い込まれたであろう大剣が飾られている。部屋の中央にある、大きな執務机の向こう側。そこに、一人の男が座っていた。
恰幅が良く、日に焼けた顔には、歴戦の傷跡が刻まれている。歳は50代といったところか。だが、その全身から発せられる圧力は、そこらの若者など足元にも及ばない。この男が、クロスロードの冒険者ギルドを束ねる、ギルドマスター。
彼が、鋭い目で、俺を射抜くように見つめていた。




