第11話 ゴブリン討伐という名の「事業計画」
翌朝、俺は昨日とは違う目的意識を持って、再び冒険者ギルドの掲示板の前に立っていた。昨日の雑務一括処理は、あくまで俺のスキルセットの初期テストと、この世界の業務フローに慣れるためのチュートリアルに過ぎない。今日からが、俺の本格的な「事業」の始まりだ。
俺の視線は、掲示板の一角にまとめられた「常設依頼」の欄に注がれていた 。薬草採取やキノコ狩りと並んで、そこにはひときわ多くの羊皮紙が貼られた依頼があった。
『常設依頼:ゴブリンの討伐』
『内容:クロスロード周辺に生息するゴブリンを討伐し、その証として右耳を納品すること』
『報酬:一体につき銅貨2枚』
ゴブリン。この世界では最もありふれた、弱い魔物らしい。だが、侮れない。単体では弱くても、集団で現れると厄介で、油断した新人冒険者が命を落とすことも少なくないという。
他の冒険者たちは、この依頼を「割に合わない小遣い稼ぎ」か、「新人が腕試しをするためのもの」としか見ていないだろう。
だが、俺の目には、この依頼が「安定した継続的な収益が見込める、ブルーオーシャン市場」に見えていた。
需要は常にある。供給も尽きることはない。競合(他の冒険者)は、この市場を軽視している。これほど魅力的なビジネスモデルはない。
「やれやれ、まるで未開拓のサブスクリプションサービスだな」
俺は、早速依頼書を剥がしてカウンターへ……とは、いかなかった。
プロジェクトを成功させるためには、事前の「市場調査」と「要件定義」が不可欠だ。いきなり開発に着手するような無能なマネージャーは、プロジェクトを必ず炎上させる。
俺はギルドを出ると、そのまま街の武具屋へと向かった。なけなしの銀貨をはたいて、一番安いショートソードと、革製の胸当て、そして硬い革のブーツを購入する。最低限のリスクヘッジだ。初期投資は惜しんではいけない。
身支度を整えた俺は、ゴブリンが頻繁に出没するという、街の西に広がる森へと向かった。もちろん、討伐が目的ではない。今日のタスクは、あくまで「現地調査」だ。
森の入り口に立つと、むわりとした湿った土の匂いがした。俺は【収納】からトマトを一つ取り出してかじりながら、森の中へと慎重に足を踏み入れる。
しばらく進むと、早速それらしき痕跡が見つかった。獣道に混じって、小さな足跡がいくつも残っている。俺は【鑑定】スキルを足跡に向けてみた。
『対象:ゴブリンの足跡(複数)』
『情報:3〜5体のゴブリンの群れが、約2時間前に通過。東の巣穴方面へ向かったものと推定される』
「ほう、移動ログまで追えるのか。これは使えるな」
俺は足跡を追わず、さらに森の奥へと進んだ。スキルが示す最適ルートではなく、あえて危険地帯へと足を踏み入れる。目的は、ゴブリンの生態を直接観察することだ。
木の陰に身を隠し、息を潜めていると、ガサガサという音と共に、緑色の醜悪な小鬼の群れが現れた。ゴブリンだ。身長は子供くらいで、粗末な棍棒を手に、何かを言い争いながら歩いている。
俺は、彼らに向かって、意識を集中させた。
(分析しろ。行動パターン、個体数、装備、連携レベル……全てのデータを洗い出すんだ)
俺が強く念じた、その瞬間。
頭の中に、あの機械的な声が響いた。
『条件を達成しました。サブスキル【分析】を取得します』
(来た!)
俺は内心で快哉を叫んだ。
目の前のウィンドウが更新され、【分析】という新たなサブスキルが追加される。俺は早速、そのスキルを目の前のゴブリンの群れに向けて発動した。
すると、視界に驚くべき情報がオーバーレイ表示された。
『対象:ゴブリン・ウォリアー(リーダー個体)』
『レベル:4』
『ステータス:HP 65/65, MP 5/5』
『スキル:棍棒術(初級)、統率(微)』
『弱点:火属性、光属性、知能が低く挑発に乗りやすい』
『行動パターン:群れの先頭を歩き、危険を察知すると奇声を発して仲間に警告する。戦闘時は、まず弱い個体を盾にする傾向あり』
『対象:ゴブリン(通常個体)×3』
『レベル:2』
『ステータス:HP 30/30, MP 0/0』
『スキル:なし』
『弱点:火属性、光属性、極度に臆病でリーダーを失うと逃走する』
『行動パターン:常に群れで行動。単独での戦闘能力は皆無に等しい』
「……やれやれ。これは、すごいな」
敵のステータスから弱点、行動パターンまで、全てが丸裸だ。これでは、もはや戦闘ではなく、ただの「作業」ではないか。
俺は、その日は一日中、森の中でゴブリンの「市場調査」を続けた。
複数の群れの巡回ルートと時間、縄張りの範囲、そして彼らの巣穴の位置まで、全てをデータとして頭の中に叩き込んでいく。
夕方、森の出口で、ちょうど討伐から帰ってきたらしい、若い冒険者パーティとすれ違った。彼らは皆、泥だらけで、中には腕に怪我を負っている者もいる。
「ちくしょう、今日は5匹が限界だったぜ」
「リーダー格のやつが硬くて、危うくやられるところだったな」
彼らは、無傷で森から出てきた俺を見て、訝しげな顔をした。
「おい、あんた。こんな時間まで森にいて、一体何をしていたんだ? ゴブリンの一匹も狩れなかったのか?」
俺は、彼らに人好きのする笑みを向けて答えた。
「いやあ、どうも臆病な性分でしてね。ゴブリンが怖くて、一日中隠れていただけですよ」
「はっ、情けねえオッサンだな!」
若者たちはそう言って、俺を嘲笑しながら街へと去っていった。
俺は、彼らの背中を見送りながら、静かに呟いた。
「やれやれ。君たちがリスクを冒して5匹狩る間に、俺は君たちの10倍の数を、リスクゼロで狩る算段を立てていたんだがな」
俺の頭の中には、完璧な「ゴブリン巣窟掃討プロジェクト計画書」が完成していた。
リスク評価、完了。リソース配分、完了。ワークフロー設計、完了。
明日から、俺の「事業」が、本格的に市場を席巻することになるだろう。
俺は、満足げな笑みを浮かべ、夕暮れのクロスロードへと足を向けた。




