第10話 最高のコストパフォーマンス
ギルドを出ると、ひんやりとした夜気が火照った体を心地よく冷ましてくれた。空には、見たこともない二つの月が浮かんでいる。一つは大きく黄色く、もう一つは小さく青白い。ここが地球ではないことを、改めて実感させられる光景だ。
俺は、今日の「業務」の拠点としたギルド併設の酒場へと、再び足を向けた。まずは腹ごしらえと、今日一日の成果を冷静に分析する必要がある。プロジェクト完了後のレビューとフィードバックは、次の成功に繋げるための重要なプロセスだ。
酒場は、昼間よりもさらに多くの冒険者でごった返していた。俺が中に入ると、いくつかの視線がこちらに向けられたのが分かった。昼間の騒ぎを見ていた連中だろう。だが、彼らはすぐに視線を逸らし、自分たちの会話に戻っていった。得体の知れない俺に、下手に絡むのは得策ではないと判断したらしい。結構なことだ。俺も面倒事はごめんだ。
俺はカウンター席の隅に腰を下ろし、エールと、今日の稼ぎで一番高い肉の煮込みを注文した。すぐに運ばれてきたエールを一口呷る。疲れた体に、麦の香りと苦味が染み渡っていく。
「ふぅ……」
俺は息をつきながら、今日の成果を頭の中で整理し始めた。
投資したのは、俺自身の労働力、約半日分。それに対して得られたリターンは、銀貨3枚と銅貨27枚。そして、レベルアップによる身体能力の向上と、【鑑定】【収納】という二つの超優良スキル。
「ROI(投資対効果)は、文句なしに最高だな」
俺は満足げに呟いた。
前職であれば、半日働いたところで得られるのは、雀の涙ほどの日当と、上司からの新たな無茶振りだけだ。それに比べて、この世界はどうだ。やった分だけ、正当な(あるいはそれ以上の)リターンが即座に返ってくる。実にフェアで、分かりやすい。
運ばれてきた肉の煮込みをスプーンで口に運ぶ。柔らかく煮込まれた肉と、香辛料の効いたスープが絶品だ。
俺は、その皿に向かって、そっと【鑑定】スキルを使ってみた。
『対象:猪肉のハーブ煮込み』
『品質:良』
『効果:軽度の疲労回復効果(小)。滋養強壮効果(微)。30分間、満腹感が持続する』
『材料:レッドボアのロース肉、岩塩、ファイアペッパー、王都産ワイン、他』
『備考:ギルド酒場の名物料理。隠し味にポポの実の果汁が使われており、肉の臭みを消し、深いコクを生み出している。料理人の腕は確かだ』
「……なるほどな」
詳細すぎる情報に、俺は再び感心した。食材の由来から、隠し味、果ては料理人の腕前まで分析するとは。これは、単なる鑑定ではない。一種のコンサルティング・レポートだ。このスキルがあれば、詐欺まがいの商品を高値で掴まされることもないし、交渉事でも常に優位に立てる。
次に、俺は懐から、農家の老人にもらった瑞々しいトマトを取り出した。そして、誰にも見られないように、カウンターの下で【収納】スキルを発動する。
念じた瞬間、手の中にあったトマトが、何の抵抗もなく、すっと消えた。
(……消えたな)
感覚としては、PCのファイルをフォルダにドラッグ&ドロップするのに近い。俺は再び【収納】を念じ、トマトを取り出す。手のひらの上に、先ほどと全く同じ状態のトマトが、ぽんと現れた。
「やれやれ、これは反則級の便利さだ」
俺は、パンや野菜も次々と【収納】スキルの中へと放り込んでいく。これで、もう重い荷物を持ち運ぶ必要はない。食料の保存にも困らないだろう。時間経過がどうなるかは要検証だが、おそらく内部の時間は停止していると見て間違いない。俺の行動の自由度は、これで飛躍的に高まった。
俺はエールを飲み干し、おかわりを注文する。
そして、今日一番の目的であった、自分自身の「仕様確認」に取り掛かった。
(ステータス、オープン)
俺がそう念じると、目の前に、例の半透明ウィンドウが表示された。先ほどまでとは違う、俺自身の能力値が一覧になった画面だ。
サトウ・ケンジ
種族 人間(異世界人)
職業 なし
レベル 3
HP 120/120
MP 50/50
筋力 12
体力 15
敏捷 11
魔力 25
ユニークスキル
【業務効
取得スキル
【タスク管理】, 【鑑定】, 【収納】
「ふむ……」
俺は腕を組み、自分のステータスを吟味する。
レベルが上がったことで、HPやMP、その他の能力値もわずかに上昇しているようだ。特に魔力が高いのは、おそらく【業務効率化】スキルが魔力を消費するタイプだからだろう。
しかし、問題は職業が「なし」であることだ。この世界には、戦士や魔法使いといった職業が存在するらしい 。職業に就けば、専用のスキルを覚えたり、能力値に補正がかかったりするのだろう。俺の「業務効率化」は、あくまでユニークスキル。職業とは別のカテゴリのようだ。
「まあ、いい。下手に職業に縛られるより、今のままの方が自由でいい」
俺はそう結論付けた。
重要なのは、このステータスをどう活用し、俺の最終目標である「早期リタイア」を達成するかだ。
今日の稼ぎは、銀貨3枚と銅貨27枚。この肉の煮込みとエール2杯で銅貨8枚だったから、物価はそれほど高くない。この調子で雑用をこなしていけば、日々の生活には困らないだろう。
だが、それだけではダメだ。
俺が目指しているのは、その日暮らしの安定ではない。働かなくても遊んで暮らせるだけの、圧倒的な資産形成だ。いわゆる、FIRE(Financial Independence, Retire Early)というやつだ。
そのためには、今のままでは効率が悪すぎる。
もっと、安定的かつ大規模に稼げる「事業」を立ち上げる必要がある。
(何か、いいビジネスモデルはないか……)
俺は、ギルドの掲示板を思い出す。
薬草採取や素材納品といった依頼は、誰かがクリアしても、またすぐに新しい依頼が貼り出される。特に、ゴブリンやコボルトといった低級モンスターの討伐依頼は、「常時依頼」として常に募集がかかっていた 。
つまり、それだけ安定した需要があるということだ。
そして、需要があるところに、ビジネスチャンスは生まれる。
「ゴブリン討伐、か……」
戦闘は面倒だ。リスクも高い。
だが、もし、そのリスクを極限まで低減し、かつ、作業を徹底的に効率化・自動化できるとしたら?
俺の頭の中で、新たなプロジェクトの企画書が、猛烈な勢いで組み上がっていく。
市場調査、リスク分析、ワークフローの設計、そして、自動化システムの導入……。
「くくっ……」
思わず、笑みがこぼれた。
やれやれ、最高のビジネスプランじゃないか。
この世界は、面倒事も多いが、やり方次第では、最高の「早期リタイア生活」が送れるかもしれない。
俺は、新たな目標に向け、静かに闘志を燃やした。
アラフォー社畜の逆襲は、まだ始まったばかりだ。




