婚約者の頭にキノコが生えた
多雨の王国シッケテル。この国ではある異常現象が報告されていた。
「見ての通り、頭にキノコが生えてしまったんですの」
「うん、なんで?」
思わずそう聞き返すと、公爵令息アジロは改めて婚約者であるツキヨの頭を見つめる。
育ちの良さを感じさせる整った顔立ち、上品な立ち居振る舞い。いずれ自分の妻になる女性、という贔屓目を差し引いて見てもツキヨは素晴らしい令嬢であると思う。
だがその頭上には、二本のキノコが生えていた。
カサの色が地毛と同じ褐色であるため、遠目に見ただけではわかりにくい。だが近づけば白く細長い柄と、きめ細かいヒダがはっきりとわかる。困惑するアジロに対し、意外にも冷静なツキヨは「私にもわかりません」と首を傾げる。
「昨日、鏡を見たらこうなっていまして……噂には聞いていましたが、まさか『頭からキノコが生える』という謎現象が王女である私の身にも降りかかるとは思っていませんでした。おかげ城中、大騒ぎになったのですよ」
「俺もいきなり登城命令が出て、何事かと思ったよ……っていうかそれ、本当に生えてんの? スパイ一家の超能力娘とか、ダーリン好きよな鬼娘のコスプレとかじゃなくて?」
「正真正銘、私から生えた私原産のオリジナル・キノコです」
そういう問題か? と言いたいアジロだったがひとまず言葉を飲み込む。
『頭にいきなりキノコが生える』
老若男女、貴賎を問わずいきなり起こるそれはシッケテルを大混乱に陥れた。新たな疫病か、呪いの一種か、原因不明のそれはしかしこの目で見るまでにわかには信じがたいものだったが……愛すべき婚約者の頭のキノコに、アジロは憂鬱な眼差しを向ける。
「アジロ様の頭にはキノコが生えていらっしゃらないのですね」
「俺は別の場所に立派なキノコが生えてるからいいんだよ」
「下品なジョークは人を選びますわよ?」
「冗談みたいな状況だろこれ……」
ツキヨが首を傾げれば、キノコもうにょんと一緒に揺れる。なんだか目がチカチカする光景だ、このままツキヨと結婚したら自分は一生このキノコを視界にちらつかせることになるのか? と自問していると不意にツキヨが自身のキノコへ手を伸ばす。
「アジロ様、このキノコ食べてみます?」
「……は?」
唐突すぎる提案に、アジロは目を見開く。
だがツキヨの目は至って真剣だ。どうやら本気で、「食べてみないか」と言っているらしい。しかし、それがまたアジロの混乱を加速させる。
「え、いや、待て、待て、ちょっと待って、プレイバック。え、それ、え?」
「詰まりすぎですよアジロ様。DJですか?」
「いや、その……それ、食べられるのか? 食べていいのか?」
「私の頭が原産地である以上、このキノコの所有権は私にあります」
「そういう問題じゃなくて……え、それ、もげるの? 痛くないの?」
「うーん、とりあえず抜いてみますか」
言うが早いかツキヨは自身の頭のキノコを思い切り引きちぎる。どうやら痛くはないようだ、見た感じ体調不良になった様子も見られない。
だが、それにしてもアジロの中では不安が広がる。
「あ、いや、お前が大丈夫ならいいけど……そのキノコ、食えるの? 食っていいものなの?」
「私は毒物を定期的に摂取する趣味も持ち合わせていませんし、人の体から生えてきた以上が人体に害を及ぼす可能性はないかと。だから、たぶん、きっと、おそらく、食べても大丈夫なはずです」
「根拠スッカスカで信憑性がゼロ通り越してマイナス」
「戦場に向かう恋人や死別する可能性のある相手に、自分の髪や私物を渡す場面ってよくあるじゃないですか。これもその一つです」
言いながら、採取したキノコを事も無げにアジロの前に差し出すツキヨ。だがそれでもアジロは「いや、いや」と言いながらなんとかキノコから遠ざかろうとする。
「いくらお前の頭から生えたってしても……どんな影響があるかわからないだろ。本当に毒がないとは限らないし、もし世界一有名な配管工みたいになったらどうするんだよ」
「色々な意味でビッグな男になれますわね」
「俺、お前が姫としてどっかの大魔王に攫われても助けに行ける自信ないけど?」
「あの桃姫は意外と強かだし、必要とあらばカートでもゴルフでも何でもやってみせるから心配はいりませんわ」
「いや、でもそんな得体の知れないキノコ……」
「シッケテルの王女でありアジロ様と結婚して公爵家へ臣籍降下予定のツキヨ。その私から生えたキノコに、何の疑念がありますか?」
疑念だらけだよ! 人の頭からキノコが生える状況なんて普通、想定できねーだろ!
こちらにキノコを差し出すツキヨの腕を掴みながら、アジロは必死にそう言い返す。だがツキヨも引かなかった、採取したてのキノコを二人で押し付け合いながらしばらく問答が続く。
結局、アジロが「せめて火を! 火を通させてくれ!」と口を滑らせたのをいいことにツキヨのキノコはソテーとして提供されることになった。
「み、見た目は普通だな……」
「えぇ、さっきまで自分の頭に生えていたとは思えない見栄えです」
ツキヨとアジロはおそるおそる、すんすんと鼻を鳴らす。
バターでシンプルに炒めただけのそれは香ばしく、事情を知らなければ普通のキノコ料理に見えた。ツキヨに「さぁ」と促され、皿を前にしたアジロは剣士になったつもりでフォークを手に取る。
フォークで突き刺せば、ぐにっとした触感が伝わってくる。本当に食うのか? 食わなきゃいけないのか? と縋るような目でツキヨを見れば、彼女の目はきらきらと輝いていた。そこでアジロは観念して、目を瞑り口にキノコを押し込む。
「どうですかアジロ様?」
「……」
ツキヨの期待に満ちた問いかけの前で、アジロは必死に咀嚼を繰り返す。その果てにごくりと口内のキノコを飲み込むと――アジロはゆっくりと口を開いた。
「……普通だ」
「普通?」
「普通に美味しい」
自分自身でも意外そうに言うアジロに対し、ツキヨは怪訝な表情を向ける。
「……他の感想は?」
「……特にないな」
「別に、不味いのを無理して召し上がらなくてもよろしいのですよ?」
「いや、別に……」
アジロの素っ気ない回答を聞いてツキヨは不満げな顔をしながら、自分もフォークを手にして問題のキノコのソテーを食べてみる。
「……本当に、普通ですね。何かものすごく変な味がするとか、食べた瞬間とんでもないことが起こるとか、色々あるかと思っていたのですが」
「お前、俺を毒見係にしたの?」
「ワンチャン、『ツキヨの味がする』ってなってカニバリズム的展開になるかと予測していました」
「俺の婚約者である姫君がサイコかもしれない件について」
「一応、『私は愛するあなたになら、食べられてしまっても構わない』という気持ちも込めています。嘘ではありません」
「愛するからこそ大切にしたいし、何よりそういう気持ちはもっとロマンティックに伝えてくれないかな」
「あぁ、やっと言えました。これは絶対、嘘じゃありません『愛してる』」
「なんかどっかの星のアイドルみたいだけど、正直で大変よろしい」
そうしてあれこれ騒いでいたツキヨとアジロだったが、特に体調に異常が見られるわけでもなく結局二人はツキヨの頭から生えたキノコのソテーを食べ終わってしまう。
こうしてツキヨのキノコは片方が欠け、サイドテールのように片方だけがツキヨの頭に残ったのだったが――
◇
「っなんか俺の頭にも同じようなの生えたんだけどぉっ!?」
「はい、見ればわかります」
数日後、再び王城に駆け込んだアジロにツキヨはあっさりとそう返す。
言葉通り、アジロの頭にはツキヨと同じようなキノコが一本生えていた。ご丁寧に色や形まで同じで、さながらツキヨと並べば「お揃い」と言えるような光景だ。そのキノコを垂らすように、頭を抱えながらアジロは呟く。
「いや、なんか悪影響あるかと思って体には気をつけてたけど……今朝になって鏡見たらこれだよ。驚いて大声上げたら家族全員、飼ってる猫まで飛んできたんだけど。どうすんだよこれ、俺」
「まぁ、そう気を落とさず。先に生えていた方のキノコはご健在ですか?」
「下品なジョークは人を選ぶんじゃなかったのか?」
「けれど、アジロ様のキノコは一本だけではないですか。私はあの日、もぎ取ったところから新たなキノコが生えて結局二本に戻ってしまったのですよ?」
「マジか……つまりこれ、抜いても新しく再生するってことだよな」
「永久機関が完成しちまいましたね」
肩を落とすアジロと対照的に、ツキヨはのほほんとしていた。
「アジロ様に限らず、国内で頭にキノコの生えた人間の報告は続々と増えていますが幸い何か健康被害が出たという話は聞きませんし……このままキノコを生やした方が増えていったら、大して珍しがられることもなく一般化していくことでしょう」
「いや、それ王国をキノコに乗っ取られてんじゃん! もっと危機感持てよ、亀の大魔王が攻めてきたらどうするつもりだよ」
「そちらの可能性を考える辺り、アジロ様も大概だと思いますが……もしかして、キノコの影響でしょうか?」
「どっちかって言うとお前の影響だよ……」
「まぁ、愛は人を変えるのですね」
お前もうポジティブすぎて怖いよ。
そう肩を落とすアジロだったが、どうすることもできず――そのまま数年の時が去った。
果たしてツキヨの言う通り、シッケテルの国民のほとんどは頭からキノコが生えるようになった。
キノコの本数には個人差があり、また色や形も人によって様々であった。ツキヨとアジロのようによく似たキノコを持った二人は共に「運命だ」と囁き合い、変わった見た目のキノコを持った人間は周囲にそれを自慢し羨ましがられるようになった。
それでも人々は変わらず、ツキヨも宣言通りアジロの元へと嫁ぎ公爵夫人となったのだが――ある日、ふとこんなことを呟く。
「アジロ様、キノコはカビと同じように胞子を振りまいて繁殖するそうです。もしかして、私たちの頭のキノコも……?」
「……どう考えてもそれしかないよな……シッケテルは湿気の多い国だし、キノコが増殖するには最適な環境だろう」
「キノコにとってはユートピアだったというわけですね。結局、アジロ様のおっしゃる通りこの国はキノコに乗っ取られてしまったということでしょうか?」
今となってはどうしようもないですし、幸せならそれでいいとは思いますけれど。
言いながらツキヨが、生まれたばかりの我が子をあやす。
微笑ましい光景に思わず、笑みが零れそうになるアジロだが――待望の第一子の頭に早くも小さなキノコが生えているのを見て、憂鬱な顔をすることしかできなかった。




