30.一番の
「フェルシア!」
馬車から降りたフェルシアは目を瞠った。目の前には自分へ走り寄る姿。
「ライナス様?なぜ……」
彼女は立ち止まる。まさか王宮に帰還してすぐ彼がいるとは思わなかった。
だが驚いていると彼はどんどん近付いてくる。そして。
瞬く間にぎゅうっと抱き締められ、フェルシアは一瞬、呼吸を忘れた。
「よかった…!」
耳元で囁かれたひどく苦しげな声。それは心からの安堵を示し、相手を心配させたのだと気付いたが…。
―――抱き締められている。ライナスに。
「あ、あのっ…!?」
フェルシアは遅れて声を上げた。
こんなことは初めてだ。心臓が飛び出るかと思った。
「…ああ、すまない。つい」
すると彼が顔を上げるが離してくれる様子はない。
服越しの温かな体温。それにドキドキと落ち着かぬままフェルシアは尋ねた。
「あ……あの、ライナス様。顔色が悪いのでは…大丈夫ですか?」
「今治るよ。君がこうして帰ってくるまで気が気ではなかったから」
「それは、大変ご心配をおかけしました…」
間近で見上げる瞳は憂いに揺らいでいる。それには心から申し訳なく思ったが。
(…凄い、やっぱり夜空よりも綺麗かもしれないわ…)
やはり気を抜くと、その深い輝きへと吸い込まれそうだった。
ああ彼のもとに帰ってきたのだと、心いっぱいに満たされる。
「いいんだ。こうして帰ってきてくれただろう?」
「は、はい」
顔をよく見せてくれと片頬をとられ、その掌の熱さにまたしても心臓が跳ねた。珍しくもぎこちないライナスの微笑みに目を奪われる。
「怪我はないか?どこか痛いところは?」
「私は問題ありませんでしたが、二名負傷者が出ました」
「そうか…。君が無事で本当に良かった。襲撃犯は全部で三十人ほどいたと聞いたよ」
「はい…。半分ほど逃がしましたが、皆で連携してなんとか帰ってこられました」
フェルシア達はあの襲撃を軽症者二名で切り抜けることができた。相手はやはり反乱軍残党だったらしいが、ハース公爵含め要人は全員無傷だ。
例の伯爵からも隊員一同へいたく感謝され、とりあえずは職務を全うしたと、フェルシア達は早々に引き上げてきた。
ライナスまで詳細を知っているのは驚きだが、きっと隣にいる人物から聞いたのだろう。
「ライナス様…今夜はご用事があったのでは?」
「…ああ。事態を聞いて早めに切り上げた。王宮でも騒ぎになっていたから全く問題ないよ」
「あ、そうですね…。マクダ様の御身に関わる一大事でございましたから」
納得しフェルシアは深く頷く。事態が激化し国賓を失えば、両国融和どころではない。
だがそこで、彼女はまたしても驚愕した。
「それはそうだが…。俺は知らせを聞いた時、君の安否しか頭になかった。現場に向かおうか真剣に悩んだ」
「ら、ライナス様…?」
耳を疑う。大げさに言われているだけか、まさか本心なのかと
眉を寄せた真摯はとても冗談には見えない。心からフェルシアの側に駆け付けたかったと、そう言われているようで。
(え、えっと……?)
今までにない態度に狼狽えた。それに先ほどからライナスと距離が近すぎる。
決して嫌ではないが、こうしているとそわそわとし、ともすればまた抱き締められてしまいそうで…。
「おい、いい加減にしろ」
その声にフェルシアはパッと振り向いた。反射的にライナスから離れ敬礼をする。
「中佐、ただ今戻りました」
それに、上官のウォルフも応えてくれるが。
「ああ。…あと何度も言わせるんじゃねぇ、俺の目の前でいちゃつくな」
「は………」
後半は背後のライナスにも向けられた。その鋭い視線は、また揶揄っているのか、本気で詰っているのかよくわからない。
「今夜の報告は部隊長から聞く。お前は医療班の問診の後、速やかに部屋へ戻って休め」
「了解しました。……しかしその前に、負傷者の様子を見てもよろしいでしょうか?」
ウォルフも伝令で事件のあらましは聞いたのだろう。そこでフェルシアは控えめに伺った。
「行け。長居はするなよ」
ホッとした彼女が隣を見れば、今度はいつもの優しい笑みがあった。
「俺はここで待ってるよ。用事が済んだら戻ってきてくれ。部屋まで送ろう」
「……わかりました。では少々お待ち下さい」
その答えにまた胸が温かくなり、フェルシアは小走りにその場を離れる。
心だけでなく、するりと離れたライナスの温もりを肌に残したまま。