26.しつこい虫
呼べば、すぐにこちらへ向く赤青の瞳。
「―――ライナス様……!?」
それは夢にまでみた光景だった。
目を細めたライナスは再度その名を口にする。
「フェルシア。こちらへ」
「はい…!」
打てば響く返事と軽やかに動き出す四肢。フェルシアはするりと目前の影を避け、木を降りはじめる。そうして相変わらずの身のこなしで枝から枝へ飛び移った。
とりあえずは元気そうだ。そう安堵しながら、ライナスは木の真下に踏み込み手を伸ばす。するとフェルシアは目を丸くした。
「え、あ…!」
危ない、と慌てる顔もまた愛らしい。
だがライナスはそのまま落下する体を受け止めた。両脇を掬うように支えれば、記憶通りの軽さ。思わず、ちゃんと食べているのか?と尋ねたくなる。
フェルシアをそっと着地させた彼は心から笑んだ。
「…久しぶりだな。元気だったか?」
「は、はい…!ありがとうございます。ライナス様こそ、どうしてここに…?」
まだ会うのは先だと思っていた。そう言わんばかりの表情だ。それへ説明してやりたいところだが、後回しだ。
まずは目下の問題に対処しようと、ライナスはフェルシアの耳元で囁いた。
「…フェルシア。早速だが少し頼まれてくれるか?」
きょとんとした表情へ短く言い聞かせる。
「彼と話す間、俺の隣にいて話を合わせてくれ」
「はい。わかりました…?」
それは一体?と、上目遣いで不思議がる顔はとてつもなく可愛い。
だが今はそれを愛でている場合ではない。例の相手も地へ降り、こちらに向かってくる。
ライナスは自らの隣へフェルシアを促した。そしてたおやかな腰を片手で引き寄せ、己へ寄り添わせる。
すると驚く気配が伝わったが、ライナスはサッと正面へ向き直った。
炯々とこちらを見据える一対の紅。
見覚えのある色だが、傍らのそれとは全く異なる雰囲気だ。ライナスは敬意を示し、深く腰を折った。
「これはこれは…、エルヴァルド王太子殿下でございますね。私はロドグリッドにて公爵位を授かる、ライナス・オリヴィエと申します。以後、お見知りおきを」
「エルヴァルドだ。…ああ、挨拶は適当にしてくれ。こんな往来では目立つからな」
人目に配慮するような口ぶりだ。しかしすでに三人は広場で衆目を集めていた。もちろんこの王太子を中心として。
ひとまず平行に見合い、二人は鷹揚に握手をする。互いにやや力が籠るのは仕方なかろう。
その後もライナスは手を離すと、フェルシアを横に抱いたまま微笑んだ。
「しかし、まさかこのような街中で殿下にお目にかかれるとは。彼女へ会いに来たつもりが、僥倖にございます」
「全く同意だな。俺も早々に貴公と見えることになるとは意外だった。疲れているのではないか?急ぎ部屋を整えさせよう」
さっさと立ち去れと言われたが、まあ挨拶のうちである。
「この上ないご配慮に感謝を。ですがこれから彼女と話がございますので、王宮に戻るのはその後になりましょう」
「先に話をしていたのはこちらだが?貴公が呼んだ途端さっさと逃げられてしまった」
詰るように彼女を見る視線は不快だが、ライナスも腕の中をちらと見下ろす。
「あの…殿下、大変ご無礼を」
非常に口を挟みにくいのだろう。おずおずとフェルシアが謝罪している。
だがその様を見て、ああ間違いなく彼女がここにいるのだな、と嬉しくなりながら。ライナスはすかさず話を変えた。
「…ところで、先ほどはお二人で一体何を?殿下まで木の上におられるとは、全く思いもよりませんでした」
「さて何の話だったか。なあ、フェルシア?」
「…この都の美しさについてお話しておりましたかと」
「ああそうだった。色々あったが、国を挙げて整えた景観だ。滞在の間、貴公も好きなだけ見ていくといい」
そうやってフェルシアに絡み、説明させる様は白々しく、木に登ってまで彼女に迫ろうとしていたことを隠しもしない。
「ええ。ご配慮に感謝申し上げます」
ライナスは早々に場を切り上げることにした。疑問はあるが、事情は後でフェルシアに聞こう。
「…フェルシア、そろそろ失礼しようか。これ以上人目を集めて、美しい君に変な虫が引き寄せられてはいけない。ああいうのは追い払っても追い払ってもしつこいからな」
「?は、はい」
周囲の人だかりは徐々に増えていた。それを見るふりで「変な虫」と強調すれば、エルヴァルドの表情も面白げに歪む。
対してフェルシアは目を瞬かせていた。
「なんだ。もう行くのか?なんなら街を案内してやるぞ?」
「ありがとうございます。ですが殿下もご用事の途中だったのでは?私達も積もる話がございますので、失礼させていただけますと」
エルヴァルドの嘯きをいなしてライナスが目配せすれば、彼女もハッと暇を告げる。
「エルヴァルド殿下、本日は誠にありがとうございました。では、ごきげんよう」
「…ああ。また会おう」
二人そろって拝礼する。それでエルヴァルドも諦めたのか短く返事をよこした。
そうしてゆっくりと振り返れば、背後にもリリィや王族の侍従を含め、多くの人が集まっている。到着日に街中で目立つとは、ライナスも予想外だ。
そうしてゆっくりと歩み、広場を出ようとすれば呼びかけられる。
「フェルシア」
その力強い声へフェルシアが振り向いた。
彼女の名を呼ばれるのすら不快だ。そんな本心へ蓋をしライナスは様子を見守る。
「また話そう。今日の続きも、楽しみにしている」
「…はい。私も殿下とお会いできる日を心待ちにしております」
やりとりを終えると、相手はひらりと片手を上げ去っていった。
その光景を横目にライナスは、結局予想通りの事態だな……と溜息をつきたくなった。




