5.実習初日
ピチチチ……と遠く、日の出を告げる囀り。
その音に、自室で寝ていたフェルシアは目を覚ました。けれど室内はまだ薄暗い。
彼女は身を起こし、そっとベッドから抜け出す。そうして窓辺に立ってカーテンを開くと、夜明けの空が見えた。
白から紺へ、グラデーションを描く頭上には雲一つない。
その中でフェルシアは山向こうの色に目をとめた。
夜闇の名残の藍色。あの美しい瞳と重なる。
凛と力強いのに静謐で、自信に満ちた彼の眼差し。
すぐにそう思ったのはやはり今日が特別だからだろう。
今日はライナスの隊での「特別実習」の初日だ。
フェルシアがゾエグ公爵と話した後、学院を通し話がまとまって二週間経つ。
いよいよだ。気を引き締めねばと、彼女は深呼吸をした。
** * * *
王都中心、王城の隣にあるウェルゴールド基地。
国内でも最大規模の軍施設のここは、広大な面積を有する国軍の中核だ。門前に立てば、訓練場の向こう、立派に構えた本舎が重々しく圧を放っている。
馬車を降りたフェルシアは歩道にぽつんと立ち、束の間その光景を眺めていた。
(相変わらず大きいわ…)
受付のある大門からして圧巻だ。それに間隔を空けて配置された警備兵も、鋭い目つきで辺りを警戒している。
ここへ来たのは学院の授業以来だ。あの時は同級生と固まって歩いたが、今日は己一人。余計近寄りがたい。
だがここまできたのだからと、フェルシアは思い切って踏み出した。
己の容姿は目立つので、そろそろ気付いた兵から「近衛の犬が何の用だ」と思われていそうだ。
彼女は受付の前に立って学生証を提示する。
「おはようございます。士官学院生のフェルシア・グローリーブルーと申します。本日は…」
「…ああ!聞いてる。ちょっと待ってろ」
台詞を途中で遮られるがその反応は剣呑なものでなかった。意外に思いながら、フェルシアは去って行く相手を見守る。
するとほどなくして、門の内側から一人の軍人が現れた。
「どうぞ入ってきて。私が案内するわ」
それは軍服をまとった女性で、見覚えのある顔だ。フェルシアが挨拶すると彼女は笑顔を見せる。
「この間は挨拶できなくてごめんなさい。私はオリヴィエ少佐の書記官で、ルルリエ・ガーランドよ。これからよろしくね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ウェーブした茶髪に榛色の瞳。にこっと柔らかな表情をしたルルリエは、確かに以前、ライナスの背後に控えていた人物だった。
なるほど。書記官だったのかと納得しながら、フェルシアは気になって尋ねた。
「失礼ですが。もしやガーランド元帥のご家族でしょうか?」
「ええ、ミゲル・ガーランドは私の祖父なの」
次いで「でもあんまり気にしないでね」と困ったような笑み。それにフェルシアは密かな感動を覚えた。
ガーランド元帥は国軍の現トップ。平民からのし上がった傑物として有名で、国民に英雄的人気のある人だ。その家族に会えるとは、有名人本人にも会えた気分だ。とても感慨深い。
しかし続いたルルリエの声に気を引き締める。
「…えっと、フェルシアと呼んでも良いかしら?」
「はい」
「ありがとう。私の事もどうぞルルリエと呼んで」
「…いえ。ガーランド准尉と呼ばせて下さい」
「ううん、いいのよ。皆そう呼んでるから」
ねっ、とまた笑まれる。
…上官を名前呼びとは、初めての提案だ。しかしここはとりあえず了解しようと、フェルシアは頷いた。
その後、ルルリエから「まずは少佐の所へ行くわ」と言われ、二人して本舎へ入る。
階段を上がりながらフェルシアは周囲を見渡した。
相変わらず質素な内装だ。装飾も最低限で、質実剛健な軍部らしい。
フェルシアは将来、近衛騎士として王城に務める。だがあちこちに絵画を飾ったうるさ…否、色鮮やかな視界や、貴重品の中で動くのは神経を使うだろう。
そのため、やっぱり自分には軍の方が合っていそうだ、と彼女が思ったところで。
階段を上りきって二人は三階へ着いた。すると近くの部屋から男性が一人顔を出す。
「お。来たな」
「あら、テッド」
近付いてきた彼も見覚えのある人物だ。ルルリエと共にライナスの後ろに立っていた下士官。
フェルシアが自己紹介すると相手はニッと笑んだ。
「テッド・レイン。少尉だ。この間は災難だったな」
この間、と言えば学院での出来事だと思うが…。
フェルシアは意味がよくわからず、「いえ、これからお世話になります」とだけ返した。
するとテッドも「おう。頑張れよ」と言ってくれたが、フェルシアは怪訝な思いだ。
さっきから会話が普通すぎる。
ルルリエといいテッドといい、己への険を感じないのだ。そういえば門の受付でも。
基地に来てから、フェルシアの想像と真逆の雰囲気がここにはあった。もっと邪険にされるはずなのに。
一瞬考えたフェルシアは、ライナスが何か指示でもしたのだ、と結論付ける。
きっと己を警戒させるより、親しげにして油断させた方が目的を達成しやすいのだろう。
フェルシアが内心そう頷いていると、テッドがルルリエへ言った。
「少佐なら執務室にいるぞ」
「わかったわ。少し準備をして行くから」
そんな気安いやりとりの後テッドが去る。だが途端、ルルリエがくるっとフェルシアへ振り向いた。
「さて」
その瞳はフェルシアの首から下、青灰色の学生服を眺めている。
なんだろう、と不思議に思う後輩へ。ルルリエは朗らかに告げた。
「とりあえず、着替えましょうか?」