4.捨てたものは
時は遡り、フェルシアがライナスと別れた直後。
「彼女、驚いていたな」
その声へ同じく馬車に乗る部下二人は顔を見合わせる。その片方、茶髪の女性が口を開いた。
「…それは、戸惑ってはいたでしょうが…。噂どおり、本当に静かな娘でしたね」
「ええ。あんなご令嬢がいるんですね」
次いだ二人目の反応にライナスは、ふっと笑んだ。
確かにフェルシアは始終静かだった。それでもよく見れば変化に気付けたはずだが、この二人には難しかったらしい。
すると「それよりも、」と声がした。
「少佐、女性を揶揄うのは感心しませんね」
ライナスの書記官、ルルリエだ。彼女はどこかジトッとした目でライナスを見つめた。
「何の話だ?」
「先ほど、フェルシア嬢に変なことをおっしゃったでしょう」
変な。おそらくフェルシアとの会話の後半を指している。
それへライナスさらりと反論した。
「君も聞いていただろう?可愛い後輩の願いを叶えただけだ。どこが一体悪いのかな」
だが相手も淀みなく返してくる。
「あのような曲解をなさる方は見たことがありません。彼女が驚くのも当然でしょう」
ルルリエは付き合いの長い相手だ。上官の己にも容赦がない。
また、今日のやりとりを経てフェルシアを少し憐れんだようだった。
その反応にまた笑って、ライナスは窓の外を見た。流れる景色の向こう、どんどん遠ざかってゆく母校を。
考える。本当にフェルシアは来るだろうか、と。
あの場は約束したが、後々断られるかもしれない。
(ゾエグ公爵にはすぐ報告が行っただろうな…。こればかりは、彼女に耐えてもらうしかないのが口惜しい)
あの公爵がフェルシアへ苛立ちをぶつける様が思い浮かび、ライナスは眉を寄せた。
ゾエグ公爵は鷹揚な人物として有名だが、その実、強権者らしく傲慢で冷酷だ。
だがそれ以上に、ライナスは彼を異常な危険人物として捉えていた。現在はそれを証明するために動いており、フェルシアへの接触もその一環だ。
ゾエグ公爵に救出されてから八年。もはやフェルシアはあの家で身内のように扱われている。
経緯を見れば当然か。彼女は自身や領地に関するあらゆる権利をゾエグ家に委任し、その代わりのように嫡子のアランと結婚しようとしているのだから。
だがなぜ幼い彼女がそう決断し、今も継続しているのか。理由は一切不明だ。
そのせいでフェルシアはずっと軍派閥内で「裏切り者」と批判されている。しかしそれは大きな誤解なのではと、ライナスには思えてならなかった。
ゾエグ公爵は持っている。彼女に迷いを捨てさせた何かを。
ライナスは今日、淡々と近衛入りを説明するフェルシアにそれを確信した。
これからの彼女との接触で、その「何か」が明確になればいいが…。
ライナスの脳裏へ、きらめく一対の瞳が映る。
思っていたより元気そうで安心した。だがあの輝きが失われぬよう、引き続き努めなければ。そう決意した彼は向かいの部下へ視線を戻す。
「―――隊の下士官以上に伝えるように。来月は見習いが来ると想定しておけ、と」
それへ「ハッ」と了解する声を最後に、車内の会話は途切れた。