2.反逆者
「それで?お前は行きたいと、そう言っているのか?」
夜、とある豪奢な邸内にて。
正面からの鋭い声に、フェルシアは「そういうわけでは…」とたじろいだ。
「ふん、その無駄に回る頭で考えろ。一体誰が教育を与えてやっているのかをな」
そう言い捨てたのはゾエグ公爵だった。フェルシアを十歳のころから養育している人物。
歳は中年。背格好は高位貴族らしくきっちりとしているが、皺のよった容貌は冷酷さを隠さない。ついでに今し方、大層機嫌が悪化した。
理由は本日、フェルシアへ政敵のライナスが近付いてきたことだ。
「誠に申し訳ございません」
直立したままだった彼女は、簡素なデイドレスを捌いて再び頭を下げる。
「……あの小僧、あれほど警告したのに執拗な……」
公爵がブツブツ…と低く呟く。「小僧」とはライナスのことだろう。
ゾエグ公爵は二年前に爵位を継ぎ、めきめきと頭角を現す新当主を常日頃邪険にしている。
「…公爵様。私に一つご提案がございます」
「なんだ」
「これを好機とし、私に情報収集の一端を任せてはいただけませんでしょうか」
フェルシアは、ここに着くまでに一つの結論を出した。
もうライナスと接触した非は覆しようもない。だが彼を敵視するゾエグ公爵から「罰」を受けるのは避けたい。
ならば政敵の情報収集、いわゆる間諜の好機と売り込むしかないと。
「リチャード様の居場所を探って参ります」
フェルシアの言葉にゾエグ公爵がわずかに目を見開く。思った通り、興味のある様子だ。
フェルシアがこう提案するのにはわけがあった。
現在ゾエグ公爵は王城、そして王族の掌握に腐心している。だが最近、それを危惧した王が、命を狙われていた第一王子リチャードを雲隠れさせてしまったのだ。
近頃の王は病で床に伏せていることが多く、ゾエグ公爵を追い出す体力も、王子を連れ出す余裕もない。
では王子の逃避を手助けしたのは誰かと、そこで皆が注目するのがオリヴィエ家である。
オリヴィエ家は現王室の昔からの忠臣。それに現当主のライナスは社交界にも、軍上層部にも顔のきく傑物だ。
そのオリヴィエ公爵に近づいて動向を探る。それならば、現在政敵の強かさに苦慮しているゾエグ公爵も興味をもつのではないか……と、フェルシアは考えたのだ。
「なんだと……」
さしもの公爵も思わず「どこで知った」とこぼす。情報源は全て新聞や邸内の噂だったが、見当が当たっていてフェルシアは安堵する。
…だから、フェルシアは公爵がリチャードを殺そうとしていることも知っていた。
これを幇助すれば問答無用で反逆者となる。もちろん己も。
ライナスと王族に恨みはないし、王の臣下、貴族の子としてそこまで堕ちるつもりはなかった。
だからこれは方便だ。本気で探って報告するつもりはない。
(もし知れたとしても教えない。ほかに何か適当な情報を見つけられれば…)
無表情のまま緊張するフェルシア。
対するゾエグ公はしばし思案していたが、数秒の後、彼女へこう言い渡す。
「いいだろう。お前にオリヴィエ公の監視と身辺調査を命じる」
現状にしびれをきらしていたのか、案外あっさり許可が下りる。
これは…おそらく今は「罰」はない、と考えてよさそうだ。
「かしこまりました」
フェルシアは深々と礼をすると、音も立てず退室した。