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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第1部 再会編 ※工事中。上から順に読んでいただいて大丈夫です
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1.再会の日

「そこまで!勝者、グローリーブルー!」



 訓練場に響いた声に、フェルシアは木剣を持つ手を下ろした。


 彼女の向かいには同じく男子生徒がポカンと口を開け立っている。また、その手にあるはずの物はなかった。

 フェルシアがたった今、試合で弾き飛ばしてしまったからだ。数メートル離れた先に、カラン…とわびしく転がる一本。


(少しやり過ぎたかしら…?)


 フェルシアはほんのちょっとだけそう思う。この後用事があるので、つい決着を急いでしまった。

 だがそこでまた主審の合図があり、選手二人で向かい合って礼をする。


 そうして場はお開きになった。周囲で見ていた数十人ほどの生徒達も一斉に散り始める。


 だが誰も勝者のフェルシアには近寄らない。皆同級生だが、むしろ遠巻きにし「やっぱり駄目だったか…」「今年も……だろうな…」と囁くのみ。


 フェルシアはその光景を気にも留めず、さっさと広大な訓練場を去り始めた。


 生家を襲った惨劇から八年。

 フェルシアは十八歳となり、王都の国立士官学院の生徒として過ごしていた。


 背筋をきっちり伸ばして歩く、軍服を模した青灰色の制服姿。

 ショートボブの白銀の髪に、赤と青の異色の瞳(オッドアイ)。小作りに整った容貌、そして珍しい女生徒、ということで学内では異彩を放っている。


 だがフェルシアには入学時より友がいたことなどない。


 そのことに始めは衝撃を受けたものの、早々に「一人で動けて時間効率がいい」と己へ言い聞かせ、四年生の今は完全にそう思っていた。学生生活なんてあとたった数ヶ月だ。


 砂場を抜け、空を見れば日が傾き始めていた。

 季節は夏の終わり。そろそろ風も涼しくなる。


 早く冬が来るといいな、と願いながら。フェルシアは校舎内へ入った。これから学長に呼ばれている。

 何の用事かはわからないが、今朝突然、放課後に応接室に来るよう言われた。



 だが灰色の廊下を抜け、教官室の前を過ぎて。人気のない空間で、目的の扉をノックしたフェルシアに容赦なく不可解が遅いかかる。

 コンコン、と控えめに立てた音。それへ「どうぞ」と答えた声が、ありえぬ人物を連想させたからだ。



(……………………えっ?)



 くぐもって、少し聞き取り辛い声。だが聞き間違いではない。


 これはあの人物のものだ。


 フェルシアは回れ右して逃げたくなった。無表情で冷静沈着、という周囲の評価もそんな姿を見れば覆るだろう。


(私はこの方と会ってはいけない)


 だがもう(いら)えを聞いてしまった。後戻りはできない。

 部屋を間違えたのだろうが、一旦顔を見せざるをえまい。そう観念しフェルシアは静かに扉を開ける。


 途端、深い夜空色の瞳がフェルシアを真っ直ぐに捉えた。

 どきっとしたフェルシアは入り口に立ったまま告げる。


「申し訳ございません。間違え…」


「いや、合ってるよ。私が君を呼んだんだ」


 即答だった。だが革張りのソファに悠々と座る一人の他は、部下らしき者が控えるのみ。学長の姿はない。

 するとフェルシアの視線に気付いて付け加えられる声。


「…ああ。学院長ならさっき急用ができて行ってしまったよ。まあ気にしないでくれ」


 さらりとした黒髪の下、弧を描く美しい唇。


 それに「逃げた」「騙された」という文字がフェルシアの頭をよぎる。

 だが目前の人は学生にとって雲上人のごとき存在だ。気にするなと言われれば、もう一切気にしてはいけない。


 覚悟を決め、フェルシアはその前へ進み出た。


「オリヴィエ少佐。ご無沙汰しております」


 サッと敬礼を示せば、切れ長の目を細められる。



 ライナス・オリヴィエ。


 若干二十五歳にして少佐の地位にあり、将来の元帥候補と名高い人物だ。



 現公爵という背景だけでなく、凛々しく優美な容姿も人目を引く。上背があり、青の士官服だってまるで彼のためにあつらえたように似合っていた。


 フェルシアは二年ぶりに会うが、さすが、ますます堂々としたたたずまいになっている。


「どうぞ座ってくれ」


 ライナスに促されフェルシアも着席する。脚のそろえ方のみならず、普段よりも姿勢を意識した。

 相手は社交界でもお手本とされる完璧な紳士だ。


 だがそんな立派なお方に呼ばれる覚えはない。一体どういうことなのか。


 ライナスの背後に控える下士官は二名。その片方が女性であることに安堵(あんど)しつつ、フェルシアは始まった会話に応じた。


「久しぶりだな。元気にしていたかな?」


「はい。閣下に置かれましても、遅ればせながらご昇任をお祝い申し上げます」


「ありがとう。嬉しいよ」


 去年、ライナスが少佐になったことへ言及すれば彼は微笑んだ。


「君こそ。さっきの試合は見事だったな」


(見ておられたのだわ)


 「さっきの」とは、フェルシアがここに来る前の試合―――学内剣術大会のトーナメント予選だろう。校舎から訓練場はよく見える。


「このまま決勝まで勝ち進むことを願っているよ」


「…もったいないお言葉です。そうなれるよう、全力を尽くします」


 現在フェルシアは得意の剣技を活かし、トーナメント四連覇を狙っていた。

 今年も滑り出しは順調で、油断せず勝ち上がれば優勝杯を掲げるのも夢ではない。


 さらりと寄せられた彼の期待へフェルシアが感謝していると。


「以前より君のことは素晴らしいと思っているんだ。ぜひ久方ぶりの栄誉を見たいものだな」


 次いだ言葉に、相手が本当に褒めようとしているらしいと知る。それでもフェルシアは素直に喜ぶ気持ちを抑え、努めて無難に返した。

 

「ありがとうございます。必ずや閣下の後に続きます」


 だがすでに初の「前例」を持つ人からの言葉に、自然と意欲が湧く。


 在学中全期間、剣技の頂点にいたことを表わすトーナメント四連覇。この偉業を遂げたのは今までに一人しかいない。


 それが、今フェルシアの前にいるこの先輩(ひと)だった。


 ライナスの在学は七年も前だが、学内では今も「剣聖だ」と伝説的に語り継がれているし、彼が講師として舞い戻った際など学生人気は凄まじかった。


「ああ、楽しみにしている」


 返ってくる優雅な微笑み。けれどだからこそ、何を考えているのかよくわからない。

 フェルシアが警戒しながらも不思議な心地でいると。


「…さて。そうそう、今日は君に話があるのだった」


 ふと変わった雰囲気に、フェルシアはいよいよだと気を引き締める。


 そうして一呼吸後。真正面から下されたのは、耳を疑う言葉だった。



「単刀直入に言おう。―――卒業後は軍部に来ないか?」



 ドクン、とフェルシアの心臓が音を立てる。


 …それは、もはやフェルシアに対して出るはずもない台詞だったから。


(どういうつもりなの……?)


 一瞬固まった彼女を知ってか知らずか、ライナスは滔々と続けた。


「勝手にすまないが、君のこれまでの成績を確認させてもらった。…剣以外も極めて優秀だ。実地演習や筆記試験と、どれをとっても申し分ない」


 聞き慣れた賛辞。だが軍のみならず、貴族としても誉れ高い人物に言われるとさすがに浮かれそうだ。

 しかし状況が不自然すぎるとフェルシアは疑念を強める。


「いえ。全てはこの最上の環境における、素晴らしい先生方のご尽力によるものです」


「それにはおおむね同意だな。…だが、私は君の素質も大きいと思っているよ」


「過分なお言葉、おそれいります」


 慎重に返しながら彼女はふと引っかかった。

 「素質」。精神的な面、またはフェルシアの血統を指しているのだろうか。


 グローリーブルー家といえば国軍を創設し、以後数多の元帥や高官を排出してきた。

 しかしそれは過去の栄光だ。国内でも最古の一族は、八年前にフェルシアを残し全員が息絶えた。


 …まさか()()、生き残った己に利用価値を見出そうとしており、今のはその前置きだろうかと。

 いっそう警戒するフェルシアへ再度声がかかる。


「どうかな?君のような優秀な人材には、ぜひうちに来て欲しいのだが」


 見つめた深色みいろの瞳はどこか温かかった。だがそれにフェルシアはぐっと自戒する。


 以前こうして騙された自分を思い、恥じ、他人は信じまいと決意したことを。ライナスが何を考えていようと、物理的に関わらなければよいだけだ。


 重ねた手を無意識に握りしめ、フェルシアはそっと口を開いた。



「オリヴィエ少佐、誠にありがとうございます。…ですが、このお話は辞退させていただきたく思います」



 向かう瞳を静かに見返して言い切る。



「すでに自分は近衛騎士として内定している身。この剣は陛下のお側で役立てると決めたのです」



 フェルシアの声は淡々と室内に響いた。

 これで伝わっただろう。意味だけでなく、この上なくはっきりとした意志が。


 すると、ライナスが「…そうか」と呟く。


「残念だ。君なら充分過ぎるほどの活躍が期待できるんだが」


 フェルシアが顔を上げると、気分を害した風も、然程(さほど)残念そうでもない声がした。

 

 彼女が近衛に進路を決めているのは学外でも有名な話だ。ライナスも答えはわかっていたのだろう。


「お褒めに預かり光栄にございます」


 フェルシアは今までにあったいくつかの軍部から誘いも全て断っている。なのになぜ、わざわざ訪ねてきたのか。フェルシアにとって今、そこが一番の疑問だ。


 彼ほどの有名人が誘ったところでこの結論は揺らがない。


 それはフェルシアがどうしても近衛になざるをえないからだ。


 八年前、魔獣に襲われ荒廃した実家へ現れた、他領からの救援。

 その筆頭、ゾエグ公爵家への大恩があるからこそ、フェルシアは彼らのつかさどる近衛団との関わりを避けられないし、この現状をライナスがどうこうできるとも思えない。


 オリヴィエ家とゾエグ家は政敵関係にあるが、今はゾエグ家が優勢。


 ここは適当な用を作って、自派閥から寝返った裏切り者を見にきた、と考察するが正しいのだろうか。


(それだけとは思えないけど…。お話するのは今日が初めてなのよね)


 そう、フェルシアとライナスはほぼ初対面だ


 フェルシアは基本、邸と学院の往復しかしない。デビューしていないので夜会には行かず、たまの外出もゾエグ家の親戚の集まりなど、限定されたものしかない。

 ライナスが講師の時も、ゾエグ公爵に「あいつには近付くな」といわれたので、授業(クラス)はとらず遠巻きにしていた。


 そう思い出しながら、フェルシアが無表情を貫いていると。


「本当に残念だ。我が隊で働く君の姿をぜひ見てみたかったよ」


「はい。私も機会がございましたら閣下のご指導を賜りかったのですが…」


 家庭教師から教え込まれた、断る際、相手を不快にさせないためのマナー。

 それを念頭にフェルシアが何気なく答えた時であった。



「そうか、なら一度うちに来てみるといい」



(…………うん?)



 聞き間違いかと、ほんの一瞬彼女の思考が鈍る。


「そんな風に考えてくれていたのか。なんて光栄なんだ。私達はいつでも歓迎するよ」


 ライナスは何を言っているのか。

 もちろんフェルシアはそんなつもりで言ったのではない。そんな機会が来ようはずも無いからこそ、の発言だった。


(…えっと…?どこまでが社交辞令、のおつもりで……)


 信じがたい展開。彼女は無防備に目を(またた)かせる。


「急だが、来月はどうかな?君はもう授業に出る必要もなさそうだし、見学くらいの気分で気軽に来てくれ」


 学年生活も終盤。フェルシアはほとんどの単位を終えているから確かに行け―――いや、そうではない。そういった問題ではない。


「あの、閣下」


 いつの間にか話が進んでいる。フェルシアは咄嗟とっさに口を挟むが、相手の勢いは止まらなかった。


「安心してくれ。入隊を強制したりなどしない。ああ、トーナメント予選の日は避けようか」


 口ぶりからして彼の隊に招くつもりのようだ。だがこんなことが知れれば、ゾエグ公爵のフェルシアへの叱責は必須。

 それに基地で現場体験なんて、おそらく他に例がない。この四年間でもあったのは数日の訓練指導くらいだ。


「…あの、自分などがいてはお邪魔に…」


「邪魔などと。私はただ先輩として、後輩のささやかな望みを叶えてやりたいだけさ。この想いを理解してくれると助かるんだが…」


 そこで困惑げに伏せるライナスの物憂げな目元に、彼女は気付く。


(これは………やられたわ)


 しかも言い逃れできそうもない。

 こちらの社交辞令をそのまま受け取るという、大胆すぎる手法だが、ライナスははじめからこれが目的だったのだ。

 きっかけがどうであろうと、いまだ幹部候補生のフェルシアが現役佐官に逆らえるはずもない。


 彼女はひどく後悔した。やはりこの部屋に入ってはいけなかった、と。気のせいか、彼の背後にいる下士官の目も薄ら同情的に見える。


 短い沈黙が落ち、フェルシアは目の前の色を見た。

 ライナス達のまとう深い青の制服。それは昔よく憧れた勇猛の証だ。


 一体、すでに身内から外れたフェルシアに何用か。


「グローリーブルー君?」


 深く、真っ直ぐな瞳が力強さをいや増す。

 間もなく、フェルシアはその圧力に屈した。


「わかりました。それではぜひお願いしたく存じます」


「そうか、よかった。ようこそ我が隊へ。歓迎しよう」


 するとライナスはフッと笑み、フェルシアへ握手を求めてくる。


 それに応じると、大きな手が彼女の手をぎゅっと包み込んだ。

 温かく力強い感触。そして近付いた端整な顔にフェルシアは少し緊張した。


 ライナスは黙っていると怜悧に見えるが、少し笑うだけで驚くほど甘く優しげな顔になる。

 世の令嬢達が騒ぎ立て、皆結婚相手として狙っているのも頷けた。これは眩しい。


「ご多忙の中恐縮ですが、お世話になります」


 一歩引き、フェルシアは改めて礼をする。


「ああ。具体的な説明は学院を通すから、確認しておくように。クローネ家にも学院づてに知らせてもらおう。君が来るのを隊員一同楽しみにしている」


 クローネ家とはフェルシアの後見人だ。彼女は現在そのタウンハウスに住んでいる。


「はい。了解いたしました」


 そうして立ち上がったライナスにフェルシアもすぐさま直立する。すると「ああ、そうだ」と彼が振り返った。


「ゾエグ公爵家の皆様はお元気かな?」


 意外な質問だったが、フェルシアは表情を変えず答える。


「はい。数日前もお変わりないご様子でした」


「そうか。君は家族同然の扱いだと聞いているよ」


「おそれ多いことです。公爵家の方々には感謝の念に絶えません」


 これも彼女がよく口にする言葉だ。なぜならそう言う他ない。

 すると、どうしてかライナスが一瞬沈黙する。だがそれは気のせい程度で、彼はすぐにフェルシアへ微笑んで見せた。


「…そうか、ありがとう。では」


 そうして今度こそ彼は颯爽と部屋を出て行った。廊下の三人分の足音が静かに遠のく。



 フェルシアは一人ぽつんと室内に残され、ふぅ…と小さく溜息をついた。

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