15.昔日
※虫表現注意
自分はこのまま死ぬのだろうか。
フェルシアは、ふとそう思った。
ジリ…と熱く灼けて陽を反射する砂地。そんな訓練場の端を、当時二年生のフェルシアはゆっくりと歩いていた。
ここは士官学院内で、時刻は昼時だ。だがフェルシアは昼食をとろうと移動しているわけではない。
ただ、休憩する場所を探してさまよっているだけだ。
色々あって睡眠も食欲も奪われ、力なくくずおれそうな四肢を引きずって。
(……ううん。しっかりしないと)
彼女は気弱な己を叱咤した。昏々と眠り続けている姉の方が辛いのだ。ここで自分が倒れてどうする。
だが今日はうだるような暑さだ。熱中症が続出したらしく、さっき覗いた医務室はソファまでいっぱいだった。
当然暑さに弱いフェルシアもまいっている。日陰にいても暑すぎるのだ。
だが彼女の体調不良はそれ以前の問題だった。
邸では睡眠時間を削るための大量の課題に追われ、休憩をすれば熱い紅茶を引っかけられ、食事をとろうとすればステーキの裏に虫の死骸を仕込まれる。
このごろクローネ家に雇われていた家庭教師は、フェルシアに対してひどく陰惨だった。
おかげでフェルシアはこの一ヶ月間、まともに休息がとれていない。
体が怠く通学も一苦労だが、ここにいた方が気が休まった。今日も帰ればまた、あの嫌味ったらしい家庭教師が待っている。
ハァ…と、人気のない木陰でフェルシアは溜息をついた。
ずっと平気なふりをしたせいか、ここ数日、嫌がらせが激化している。あの家庭教師がどこまでのつもりか知らないが、毎日吐き気がするし、人間らしい生活ができていなかった。
きっと今、自分が死んだらゾエグ公爵は困る。
仕方ない。一か八かで、邸に帰ったら倒れてみよう。何かのアピールになるかもしれない。
そう決めたフェルシアは目の前の階段へ足をかけた。これは学院の大講堂に続く道だ。いつも解放されている所なので、そこで座って休もうと考えていた。だが。
(……あれ。なんで……足、うごかない……?)
フェルシアは数段上がったところで違和感を持った。体が重すぎる、というか…動かせない…?
「ぁ………」
するり、と縋っていた手摺から白い手が離れる。
気付けば視界がぶれ、フェルシアは浮遊感を感じていた。
「―――おい!」
すると、突然大声がして。
(だれ…?)
そう考えた直後、ドサッと鈍い衝撃と共にフェルシアは意識を失う。
この時、目を閉じる直前。彼女が考えたのは姉のことだった。
ここで死んだら誰が姉を守るのか。その思いだけが頭の中を占めていた。
* * * * * * *
ふっと目を開けると、視界はとても白かった。
ぼうっとそれを見つめていると……どうやら見覚えがある。
フェルシアはゆっくりと身を起こした。すると間もなく、誰かの声がした。
薄緑色のカーテンの向こうから「入ってもいいかい?」と聞こえ、答えれば現れたのはやっぱり見知った人物だった。
「目覚めてよかったよ。気分はどうだい?」
「……先生、私はどうしてここに……?」
相手は学院の保健医だった。
間違いない。フェルシアはいつのまにか医務室に戻ってきていた。
「君は倒れてね、ここに運んでこられたんだ」
偶然ベッドが空いていた、と説明されるが全く記憶がない。思い返せば、覚えているのは大講堂を見上げたところまでだ。
「あの…?どなたが運んでくださったのでしょう…?」
当然それも覚えておらず、フェルシアは医師を見上げた。すると。
「ああ…、オリヴィエ大尉だよ。もう帰ってしまったけどね」
彼女は目を丸くした。
ライナス・オリヴィエ。学院どころか国内の有名人だ。現役士官だが、最近は講師としてこの学院に出入りしている。
そして……フェルシアがゾエグ公爵に「関わるな」ときつく言われた相手だ。
「そうですか…。ありがとうございます」
フェルシアは俯いた。この事実をどうするべきか咄嗟に判断がつかない。
ライナスがいつの間に背後にいたのかわからないが、迷惑をかけてしまった。だが自分はちゃんとお礼を言えるだろうか。彼に近づけばまた、邸で責められるかもしれない…。
その後、フェルシアはしばらく機会を伺っていた。どこかでこっそりライナスに声をかけられないかと。
しかし、残念ながらそれは実現することはなかった。
フェルシアが倒れた翌日以降、ライナスは学院にこなくなったからだ。
理由は仕事の都合らしかったが、しばらく後に聞いた報せで彼女はようやく理解した。
もう彼は学院には来ないのだ、と。
そうしてフェルシアはライナスと知らぬ間に対面し、後悔を抱えたまま別れた。