14.未来
「フェルシア。頼む。もうお前しかいないんだ」
「え、あの……」
実習中の昼時、わらわらと人の集まる基地の食堂入り口にて。
フェルシアは思いがけず立ち止まっていた。
目の前にずらりと並ぶ顔ぶれ。彼らは周囲の注目も構わず、己と向き合っている。
何事かと、邪魔そうに通り過ぎていく兵士達。だがその反応も何のその。フェルシアを囲んだ下士官は皆真剣だった。
「これ以上間違えたらまずいんだ。お願いだ、お前の知恵を貸してくれ!」
(え、ええ……?)
どうしてこうなった、とたじろぎ、フェルシアはここにいたる経緯を思い返した。
* * * * * * *
フェルシアが作成に関わった資料や作戦案は出来がよく、再提出にならない。
そう評判が立ち始めたのは、ここ二日のことだった。
実習も二週間目、付いた下士官の書類作成を細々と手伝っていたら、いつのまにかそういう話になっていた。実際に、提出物を上官やライナスに突き返されることがなかったとか。
フェルシアとしては黙々と作業をするのは得意なので、そう言われて悪い気はしないが…。
(私はまだ学生なんだけど…。これっていいのかしら)
なぜか自分が指導する立場になりながら、フェルシアは先ほどの彼らが机に向かうのを見ていた。
一部見慣れない形式の書類があるが、見なかったことにしておこう。おそらく学生向けではない。
「すごいな…。確かにこれならいけそうだ」
「一度上に見てもらおう。それから本提出だ」
「助かったフェルシア。ありがとう。今度礼をさせてくれ」
間もなく、廊下にて去ってゆく集団へ「いえ。私も大変勉強になりました」とフェルシアも返す。
頼まれた時は何事かと思ったが、士官達とはものの十分で別れた。フェルシアが二、三助言すれば終わったが、果たして本当に力になれたのだろうか。
そうしてフェルシアが午後の課業に向かうため振り返ったところで。
「あっ。フェルシア!こっちよ」
声につられて見ると、廊下にある扉の一つからルルリエが顔を出している。
フェルシアは小走りでそちらに向かった。今からルルリエについて学ぶことになっている。
「すみません。遅れました」
「ううん。時間ぴったりよ。ここに座ってくれる?」
示されたのは室内の椅子だった。大きな机を囲むようにして二人で座る。
「じゃあ説明するわね。今からやるのはこの間の続きよ。今日は過去の作戦や訓練を分析して、現在の情勢を考慮しながら……」
説明をフェルシアは黙って聞いていた。これは要するに訓練計画の立案だが、最後に現役下士官から添削してもらう。実践的な内容にフェルシアは興味津々だった。初回はとても興味深く、新たな発見の連続だった。今日もきっと有意義な時間を過ごせよう。
説明が終わり、「じゃあやってみましょう」と促されたフェルシアはとりあえず本を手に取る。そうして資料を参考にしていると、ふとノックが聞こえた。
ルルリエが応じると、一人の隊員が扉を開ける。
「准尉、お客様です」
「すぐ行くわ。…ごめんなさい、フェルシア。ちょっと一人でしていてくれる?」
フェルシアが頷けば、やがて彼女は部屋に一人残される。
そうして一人きりの間、フェルシアは黙々と作業をした。
本や書類の束を何度もめくり、空白の紙面を少しずつ埋めながら。時折悩み、持ったペン先から垂れるインクに慌てつつ。そうして眉を寄せて資料の山と格闘していると、やがてルルリエが戻ってくる。
「ごめんなさいね。ちょっと時間がかかっちゃった。何か困ってることはない?」
「あ…はい。秋の備蓄なのですが、ここの資料が読みにくく…」
「…?ちょ、ちょっと待って。……もう春と夏は終わったの?」
途端、ルルリエが目を丸くする。
それにフェルシアも手を止めた。何かまずかっただろうか。ルルリエが外した一時間ほどで、想定の四つの内二つは書き上げてしまったが…。
「はい。…あの、何か…?」
「う…ううん。いいわ、そのまま続けましょう」
なぜかぎこちない反応を訝しみつつ、フェルシアは質問を続けた。それからはルルリエの丁寧な解説をもらいつつ、全ての課題作成を終える。
フェルシアが「できました」と言うと、隣で仕事をしていたルルリエはまた驚いた。
「えっ?もう?…やっぱり早いわね。まだこんな時間よ」
苦笑され、時計を見ると確かにまだ午後三時。予定の半分しか時間が経っていない。
確認のためルルリエに紙束を渡しながら、フェルシアは少し不安になった。適当にやったつもりはないが、もっと時間をかけるべきだったろうか。
仕事柄、多くの計画案を見るであろうルルリエの判断が気になる。
「……うん、すごいわね。ちゃんと書けていると思うわ。じゃあ、行きましょうか」
やがて立ち上がるルルリエにフェルシアも腰を浮かせた。おそらく、課題を見てくれる下士官の所へ行くのだ。そう何の疑問も持たず、フェルシアは大人しくついて行った。
しかし、廊下へ出て階段を上がったルルリエが立ち止まったのは、予想外の場所だった。
ノックしようと手を上げる横顔へ、フェルシアはおそるおそる尋ねる。
「……あの。ルルリエ先輩……?」
「…ああ。ええっと…ほら、こんな機会めったにないでしょう?ご本人がぜひ、とおっしゃっているのよ」
いや、そう言われても理解できないのだが。
「まあまあ。入ったらちゃんと渡すのよ?」
ねっ、と微笑まれフェルシアは諦めた。ルルリエの笑顔は曲者だ。こちらを押し切る不思議な力がある。
そうして止めるも虚しく、目前の立派な扉にコンコンと音が響く。
「ああ。どうぞ」
「失礼します」
扉を開け、室内に見えた顔にフェルシアは緊張した。
「少佐。フェルシアの課題が終わりました。少し早いですが、提出をしても?」
「もちろん。本当に早いな」
席に着いたまま、ちら、と時計を見る紺藍の瞳。そう言いつつも、ライナスは驚いた風もなく二人を迎えてくれた。
ルルリエに促され、フェルシアは手に持っていた紙束をライナスへ渡す。内心盛大に躊躇ったが、後戻りはできない。
そんな気持ちを見抜くのか、ライナスが小さく笑いながら尋ねてくる。
「どうだった?君には簡単過ぎたのかな」
「そのようなことは。至らぬことばかりです」
少佐に提出するなんて聞いてませんでした、と言いたいのを抑え、フェルシアは淡々と返した。
前回通り下士官の誰かに見てもらうものと思っていたのに、一体どうしてこうなったのか…。
それにライナスはいつも泰然としているが、実際は予定に隙のない、とても忙しい人だ。学生の練習を見る暇があるとは驚きである。
「そうかな?昨日から君が隊の皆を手伝っていると、噂になっているよ」
「それは…あの、差し出がましいことを…」
しかもライナスはフェルシアが今日知った噂話まで掴んでいて、彼女は気まずくなった。
これは、さっきも下士官達を手伝ったこともばれていそうだ。
「いや、いいよ。君も勉強になるだろう?私も君の成長には興味があるんだ。あまりやりすぎも禁物だが」
君はまだ学生だからな、と言われフェルシアは戸惑った。
思わず眉を寄せればライナスと目が合う。ハッとするフェルシアに、彼は今度こそおかしそうに笑った。
「少し実習の範囲を調整しようか。毎回これだと君が暇だからな。なにかやりたいことがあればルルリエに相談してくれ」
ルルリエが「了解しました」と答え、フェルシアも返事をする。だが内心は不可解でしょうがなかった。
(私の『成長』…?『やりたいこと』……?)
何気ない、ありふれた言葉だ。
だがそれが己を指すことに、フェルシアは激しく違和感を覚えた。
気にするほどの会話ではない。だがライナスが、この優しげな人が言うと本心かと思いそうになる。
もしこれが本心だったら。自分はどうすればいいのかと……悩みそうになる。
(……でも…いつか死ぬなら少しぐらい、夢を見てもいいのかしら)
午後の日が射す室内にて。
ほんの一瞬、フェルシアはなにもかも救われる未来を思い描く。
いつか自分を助けてくれた彼になら……と。