52.帰国へ
「……ではお嬢様。私はこれで離れますが、問題ございませんか?」
「ええ。あなたも気を付けて」
振り返ったフェルシアがリリィの問いに答える。すると相手は一礼して去ってゆき、その背を馬の傍らで見送ると彼女は一息ついた。
晴れ渡り、清々しい空。自分の周囲にも多くの使節団員が立っており、それぞれ荷の確認などで忙しない。ざわつく雰囲気の中でフェルシアは感慨を覚えた。
晩夏の月末。今日、使節団はテュリエールから帰国する。
一ヶ月の交流も終わり、外交に関するいくつかの交渉もまとまった。最後にあった暴動も、こちらは軽傷を負った者がわずかにいたのみ。
抵抗勢力をまとめて一網打尽にできたと、王やエルヴァルドは満足げらしい。フェルシア自身、狙われていたことへ複雑な思いはあるものの、もう心配はないと言われた。
(なんだか、あっという間だったわ)
初めはライナスを待ちわびて過ごし、最後は思いがけない出来事ばかりで圧倒された。だが、それでもこの国に来てよかった。
自分の家門について知ることができて……自分の気持ちにも気付けたから。全部、ここへ来なければわからなかったことだ。
しみじみとそう思いながらフェルシアが装備を確かめていると。
「フェルシア」
「……エルヴァルド様、エルヴェリーナ様。おはようございます」
背後に立っていたのは麗しい双子だ。今日も白金の髪と紅の瞳が神々しい。
「もう帰ってしまうのね。あなたとお話しするの、とっても楽しかったから寂しいわ」
「そのような。誠に光栄なお言葉にございます。この度はありがとうございました。」
その「楽しい」は本心だろうか。こちらを揶揄い、面白がっていただけでは?とフェルシアは疑問になる。
「本当だな。俺も面白かった。今からでも滞在を伸ばしてはどうだ?国内を案内してやるぞ」
本音を隠さないエルヴァルドが言う。
そういえば結局、あの隠し通路で彼が自分へ迫ったのは半分冗談だった。ただの言い合いにとどめてくれた……とフェルシアは思うことにしている。全く許してはいないが。
「ありがたきお話ですが、もう帰らねばなりません。次の機会にぜひまた」
直々の誘いを彼女は丁重に断った。テュリエールは過ごしやすく美しい所だったので、機会があればまた来たい。
「そうか……。公爵に飽きたらいつでも言え。邸一つくらい用意してやる」
「え……あ、あの。あまりそういう事は……」
周囲の誤解を招きそうな台詞にフェルシアが焦れば、エルヴァルドはおかしそうにしていた。
「ははっ。冗談だ」
「そう?私はいい案だと思うわ?その時は私が滞在してあげるから、たくさん遊びましょうね」
ね?と艶やかに微笑むエルヴェリーナ。
フェルシアはたじろいだ。さっきからこの双子の「遊ぼう」は、「(フェルシアで)遊ぼう」に聞こえる。それに頷こうか、どうしようか迷っていると。
ゴンゴン、と鈍い鐘の音が聞こえた。出立が近い合図だ。
「時間か。気を付けて帰れよ、フェルシア。ヴェーナ、行くぞ」
「ええ。ではまたね、フェルシア」
「はい。お二人ともご健勝で」
手を上げて去っていく二人。それへフェルシアも礼をして……だがやはり、思い切って声を上げた。
気になって仕方ない。あの事が。
「あ、あの。エルヴェリーナ様……!」
「なあに?」
遠ざかるエルヴァルドを背に、ふわりと白金を揺らす王女。彼女は今日も女神のように美しい。この姿を目の前にすれば、誰だって部屋に招くのではないか。
「その。……この間の、ライナス様の部屋の件、なのですが……」
フェルシアがおずおずと尋ねたのは、例の宣言についてだった。
ライナスの部屋に行くと言って笑んだエルヴェリーナ。その後どうなったのかが、フェルシアはどうしても気になる。
実はフェルシアは昨日以来ライナスに会えていない。退避所に送ってもらいそれきり、姿も見ていなかった。
声を潜めて尋ねればなぜか一瞬、エルヴェリーナが黙る。そしてすぐ艶やかな笑みを見せた。
「ああ……。気になる?」
「……はい」
なんとも思わせぶりな表情だ。こうしてエルヴェリーナに尋ねるのは抵抗があるが、背に腹は代えられない。
ライナスの事は信じている。だがエルヴェリーナと話すのはこれが最後かもしれず、本人の口から顛末を聞こうと思った。
「一昨日ね。会ったわよ。彼と」
「えっ……?」
どきっと心臓が跳ねる。
ということは、やはり彼女は本気だったのだ。ライナスは冗談だろうと笑っていたが……。
(じゃあ、ライナス様はどうしたの?)
しかし目を見開くフェルシアへ、相手は軽く肩を竦めた。
「……と言っても晩餐の前にね。廊下で偶然」
予想外の台詞にフェルシアは首を傾げる。考えていると、エルヴェリーナは口を尖らせた。
「ええ。そこで少しだけお話をして……最後に釘をさされちゃったわ。『あまりフェルシアを揶揄ってやらないでください』って。それで気付いたのよね」
フェルシアからあの「夜這い宣言を」が彼に伝わっていると。そう言うエルヴェリーナの視線に、フェルシアは目を泳がせる。
「……はい。言いました」
「いいのよ。楽しかったわ。そうなったら面白いわぁ、と思って教えてあげたんだもの」
フェルシアは閉口した。
やっぱり自分は遊ばれている。あれも、エルヴェリーナに慌てふためく様を観察されていたらしい。ライナスの「君は揶揄われたんだ」という声が脳裏にまざまざと浮かぶ。
すると、ふふ、と紅い唇が笑みをこぼした。
「だから、始めから部屋に行くつもりなんてなかったの。それに行ったところで追い返されたでしょうね。あの方、私にちっとも興味がないんだから。……どう?安心できて?」
「は、はい」
「……ああ。でもあなた、もう少し彼にはっきりしてあげた方がいいわよ。殿方だって不安になる時もあるわ。これから婚約するなら尚更ね」
「エルヴェリーナ様……」
華麗な笑みを親しげに緩ませ、助言をするエルヴェリーナにフェルシアが驚いていると。
背後から「フェルシア」といつもの声がして、フェルシアはピクリと肩を揺らす。それへエルヴェリーナは紅の瞳を細め囁いた。
「……じゃあ私はもう行くわ。またね」
そっとこちらの肩に触れ、今度こそ去りゆく後ろ姿。
それを静かに見送り、次の人物が目前に立つまでの間。フェルシアはエルヴェリーナの言葉の意味を考え、また顔を赤らめそうになった。