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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
106/114

48.独占欲

 頭上から響くそれは重たげで、見れば街の方から鈍色の雲が迫っていた。いつの間にか周囲にいた人々も消えている。

 フェルシアとライナスだけが湖岸に取り残されていた。


「降りそうだな……。とりあえず馬車に戻ろう」


「は、はい」


 さっきまで晴天だったが、そろそろ夕立らしい。夏らしい天候に足を上げれば、小走りでリリィが近付いてきた。

 そうして靴を履き、さあ帰ろうとまた二人きりになった時。こちらに背を向けるライナスを見て、フェルシアは一つの重大事案を思い出した。


(あ!あれを言っておかないと……)



『明日の夜、一人で彼の部屋に行ってみようと思うの』



 昨日、エルヴェリーナに囁かれた夜這い宣言。今夜、ライナスの部屋にエルヴェリーナが行くかもしれない。

 フェルシアは周囲を見渡すが、広大な湖畔は閑散とし、今なら聞く者はいない。密かに警告するのにうってつけだ。

 そう思い口を開きかけて。ふと彼女は気付いた。


(……あれ?これってもしかして……余計なお世話……?)


 ピシャーン、と脳内に閃く考え。



 もし……もしも、ライナスがエルヴェリーナのおとないを喜ぶなら。



 彼がふしだらな真似を歓迎するとは思えないが、万一、ということもある。

 それにフェルシアは恋人ですらない。自分がこの警告をしようがしまいが、彼の選択に影響はないだろう。


(でも……私は言わないままでいいの?)


 よくない、と心の底から声がする。妙齢の男女が部屋に二人きり。なにをするかは明白だ。

 自分はエルヴェリーナがライナスの隣に並ぶだけで胸が痛む。彼への想いに気付いた今、他の女性を室内へ入れる彼を想像しただけで……この場に立ち尽くしそうだった。


 それに黙って見過ごせば、今後「王女となにかあったのでは?」と悶々とするのは目に見えていた。なぜなら、もうすでに振り回されている。


 フェルシアは躊躇う。けれどその間にも目前の姿は歩き出していて。

 待って、と思った時にはもう、指が彼の袖をつまんでいた。


「どうした?」


「あ……いえ、あの」


 すぐ振り向くライナスに、フェルシアはパッと手を離す。引き留めたはいいが、なんと切り出すべきか。


 フェルシアは俯き、両手をぎゅっと握った。

「今夜王女殿下がそちらに行くそうです。まさかとは思いますが、お気をつけください」と、さらりと言えたら。でも実際はライナスの気持ちにも応えぬまま、迷うばかり。

 焦りに駆られフェルシアは口を震わせる。


「お……っ………」


「お……?」



「お…………女の人が、夜中に部屋に来たら……どう、しますか………?」



 この答え次第でもう聞くのははやめておこう。そう思いフェルシアはおそるおそる相手を見る。


「どう?……それは君が、か?」


「あ、ち、違います……!」


 ぶん、と首を振った。自分が行く側なんてとんでもない。


「なんだ。残念だな」


 フェルシアは思わず彼を見上げた。頭上の瞳は意外に真剣で、ぽかんとする。

 たまらず尋ね、返ってきた予想外の反応に。フェルシアが固まっていると、ライナスはおかしそうに笑った。


「どうもしないよ」


「どうも……?あの、それは……?」


 意味を測りかねていると、当然のように答えられる。


「ああ。そういう事はたまにあるが、いつもすぐに帰ってもらうからな」


「え……『たまに』あるんですか?」


 ということは何度も遭遇済かと、フェルシアは目を丸くした。ライナスに近付く女性は多そうだが、まさか現場はあの邸だろうか。


「家ではなくて、外泊先だ。扉から普通に訪ねてくるのは一番多くて、寝室へ入ったらベッドに邸のご令嬢がいた時はさすがに驚いた」


 その後もライナスが実例をいくつか挙げ、貴婦人達の数々の仕掛けを披露し終わったころ。フェルシアはやや青ざめていた。


「い、色々とあるのですね……」


 フェルシアは彼の実体験を聞き、他人の家の鍵に意味はないと知る。


「君も気をつけてくれ。睡眠薬やらを混ぜた飲み物を運ばせて、効いたころに忍び入る、とかな」


 怖い。その手口よりも女性側の執念が。

 それに大体の手法は邸の当主も一枚噛んでいそうだった。なんとしても娘を送り込まんとする意志が感じられる。ライナスはなんでもないように語るが、自分ならトラウマになってしまいそうだ。


「世間ではよくある話さ。俺を好きだと言ってくれるも、家の事情を説明する娘もいた。そして皆、最後には一度でいいからと言う」


「それは……」


 フェルシアは口籠った。どうしてそう言うのか何となくわかる。人身御供でもなんでもと、無理やり彼に縋ろうとした結果だ。


「一度でも関係を持てば後でなんとでも言えるからな。皆必死だ。毎回それを宥めて帰らせるんだよ。他所よそに泊まる時は内も外も、いつも複数で監視させている」


 肩をすくめるライナスにフェルシアは躊躇いがちに頷いた。公人として保身のためにも人目は必要だが、こう言われると空おそろしい。


 ライナスはずっと守っている。己の家門を狙う数々のトラップから。それに応じるのではと、軽はずみに彼を疑ったことをフェルシアは恥じた。

 以前長く関わった男が遊び好きだったからか、女性の誘いは原則喜ばれると思い込んでいたかもしれない。反省だ。


(同じ人間とは思えないわ。ライナス様は根本的に違う……)


 この手法に落ちる男性がいるのはきっと確かだ。だがライナスのように警戒する人もいる。それを知り、彼女がホッと一息ついていると。


「で?急にどうしたんだ?誰からなんと言われた?」


 鋭い質問にフェルシアはうっと怯む。

 安心するのはまだ早い。ライナスは女性の誘いを安易に受ける人ではない。となると、残る問題は相手が一国の王女ということか。


 ベッドに潜り込んできた相手がそこらの婦女子でない場合は?

 それでも彼ならばつまみ出せる?


 疑問も尽きぬまま、フェルシアは重い口を開く。


「えっと……、昨日の話なのですが」


 さっきの質問も大概だが、これも同じくらい躊躇われる。だがフェルシアは思い切って言った。



「……エルヴェリーナ様が今夜、ライナス様の部屋に行くとおっしゃいまして……それで……お伝えしなければと思ったのです。……あの。念のため、ですが」



 なんとかそこまで言うと、フェルシアはちらりと頭上を伺った。一体、どんな反応をされるのか。


「王女殿下が、それを君に?」


「はい。昨日のサロンで、最後に教えてくださいました」


 フェルシアはもごもごと言い添える。


「あ、あの。たぶん、()()()()()()だと思います……?」


 はっきり言うなんてとてもできない。頼むから伝わってと、濁しつつ補足するが。果たして。


 訝しげな表情だと思ったら途端、なぜか彼が俯き、手元に口を当てて……笑われている?

 フェルシアは驚く。


「あの……?ど、どうして」


 自分はひとしきり悩み、恥ずかしさも抑えやっと打ち明けたのに。それともまたおかしなことを言ったかと、フェルシアが訝しんでいると。


「いや……うん。事情は分かったよ。だがそれで?俺はどうしたらいいんだ?」


「えっ?」


 戸惑っていると図星を突かれ彼女は固まる。どうしたらいい、なんて。


(それは……)


 もちろん、エルヴェリーナを部屋に入れないで欲しい。彼女の誘いを拒んで欲しい。でもそれを言う資格は自分にはなくて、土壇場で迷っていた。

 押し黙るフェルシアにライナスが悪戯っぽく笑う。


「教えてくれないのか?なら今夜、もし彼女が部屋に来たら入れてしまうかもしれないな。王女殿下を追い返すのも忍びない」


 その声はわざとらしくて本気には聞こえなかった。けれどフェルシアはつい慌てる。


「あ、あの……?」


「いつも通り断ることもできるが、少し勇気がいりそうだ。そうだな、可愛い恋人が悲しむと知っていれば、すぐにでも帰ってもらうんだが。……どうしようか?」


「そんな……」


 微笑みながらの問いに開いた口が塞がらない。

 思いもしなかった提案。だがこれに応えれば告白したも同然だ。


 これは……自分の男女関係へ口を出すなら、望みを最後まで言え、と。信じられないが、ライナスはそう言っているのだ。


 赤くなったり、青くなったり。口を閉じたり開いたりして。フェルシアが狼狽えていると。


「……そうか。なにも言われないなんて残念だ。善処するが、今夜もしそんなことがあれば、愛する人に突き放された悲しみで、たまには誘惑に負けてしまうことも」



「だっ、だめです。帰っていただいてください……!」



 その台詞に、昨日から散々した想像が頭によぎって。気付けばフェルシアは身を乗り出していた。

 ハッと口を押さえるがもう遅い。目の前でライナスは笑みを深めた。


「ふ……っ、わかったよ、フェルシア。もしもの時は王女殿下にも即刻出ていってもらおう。君からそんな風に熱烈に想われて、俺は本当に幸せ者だな」


 言ってしまったと、顔を真っ赤にしてフェルシアは俯く。本当にもう、さっきからドキドキして心臓が痛いくらいで。それにこんなに嬉しそうにされるのも……予想外だ。


 ふるふると羞恥に悶えていると、とりなすような声がする。


「……まあ、どうせ冗談さ。彼女は王女なんだ。君は揶揄われたんだよ」


「え……?あ……そ、そうですよね」


 フェルシアは我に返り頷く。自分はもしエルヴェリーナが本気だったらと、疑うばかりだった。万が一を危惧するほど彼女は魅力的だ。


「それに約束したろう?君が口を聞いてくれなくなったら俺はとても困る」


 その台詞にフェルシアは目を瞬かせて……思い出す。



『ライナス様も、私以外の女の人と二人きりにならないでください……』


『守らないと、許しませんから』


『それは……破ったらどうなるんだ?』


『……罰として、一週間口をきいてあげません』



(……お、思い出したくない。恥ずかしすぎる……!)


 翌朝になり、フェルシアが闇に葬り去ろうとした例のやりとり。ちゃんとした約束かも不明な、酔っ払いの戯言。それをライナスはきちんと覚えていると言う。


 ここでまたとぼけたら、あの時よりひどい目に遭いそうだ。そう危険を察知したフェルシアは慌てて頷く。それを確認してからライナスが続ける。


「だから、君も約束を守ってくれ。他の男に襲われたりしたら全力で逃げるんだ。そしてすぐに俺か、他の頼れる人を見つけてくれ。できるな?」


「はい」


 自分を覗きこむ顔は真剣で、これは本当に案じてくれていた。

 返事に満足したのか、ライナスがかがんでいた姿勢を直す。それでフェルシアが話は終わりかと思っていると。


「ああ……もしどうしても心配なら今夜、俺を監視しに来てくれ。君なら歓迎するよ」


 フェルシアはきょとんと目を瞬かせて……。


「し、しません……!」


 意味に気付き彼女はブンブンと首を振った。治まりかけた頬がまた熱くなる。


 夜に男性の、それもライナスの部屋なんて想像もつか……いや、淑女として想像してはいけない。また揶揄われたと、見上げれば楽しそうな表情が。その瞳が甘く感じてフェルシアはますます狼狽える。


 すると突然、ポツッとなにかが頬に落ちた。冷たい。


「あ……」


 空を仰げば、頭上はすっかり曇天だった。

 話し込むうちにまた時間が経っている。もう本当に行かなければ。


「急ごう。これを」


「……ありがとうございます」


 ライナスが素早くジャケットを脱いでフェルシアの頭にかけ、ふわりと彼の香りに包まれる

 この優しさが、自分だけのものだったらいいのに。ついそう思い、彼女がきゅっと黒い布地を握っていると。


「フェルシア」


 彼女が見れば、降り出す雨の中、大きな手が差し出されていた。どきりとし、つられて手を伸ばせば迎えるように手を引かれる。


 熱い。今度こそ本当に。触れ合った掌が、頬が、今までになく。

 ぎゅっと力強く握られれば、トクトクと鳴る脈が伝わる気がした。それに気付かれたくないような、気付かれたいような。強い気持ちがせめぎあってフェルシアは前を見た。


 こんな自分を彼はどう思っているのだろう。


 強まる雨の中。一歩先を行く腕も背も、水滴をまとって揺れる黒髪も。こうして気遣ってくれる優しさも。

 全て、自分にとってかけがえのない人。



(ああ……。私、本当にライナス様のことが)



 最近、彼といると胸が高鳴って……少し苦しい。


 その後ろ姿に痛いほどの想いを抱えながら。フェルシアは優しく手を引かれ湖を離れた。



 夏の終わりまで、もう少し。

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