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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
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46.理想の人

「なあ。フェルは、一緒になるならどんな人がいい?」



 突然の問いに、この時十歳のフェルシアは首を傾げた。


「いっしょ……?」


「結婚のことだよ」


 対するは涼やかな少年の声。兄のブラッドだ。


「けっこん……」


 彼女は手を降ろし、ぐっと隣を見上げる。青い瞳が今日も真っ直ぐに自分を見つめていた。

 今はブラッドに付き合ってもらい、室内に飾る花を摘むため二人して邸近くの丘にいる。


 天気は晴れ。視界いっぱいに広がる草原。

 周囲にはところどころ青い花が群れ、ゆるりと春風に吹かれていた。そんな中、花束を作っていた少女は眉を寄せる。


「それは今、兄さまが考えるべきことよ」


「……うるさいな。お前はどうなのか、聞いてみただけだろ」


 昨日もまた、兄が縁談について父から呼ばれたのを知っている。そう返せばブラッドは気まずげにした。


「ほら、お前だって無関係じゃない。考えておいて損はないぞ」


 フェルシアは「うわぁ……」とげんなりする。


「損とか得とか、また父さまとおなじこと言ってる」


「お前も最近いちいちうるさいぞ。……で?どうなんだ?」


 しっかりと言い返されつつ、やりとりは続く。最近は姉にも縁談がくるため、末っ子のフェルシアのことも気になるのだろう。去年はフェルシアに「うちにずっといるといい」と言ってくれたくせに。


 するとなにを想像したのか、ブラッドはフェルシアの両肩をがしっと掴んだ。


「好きな奴がいたことはあ……ないよな?俺は知らないぞ」


 ないと言え、と言わんばかり。くわっと迫る相手にフェルシアはちょっと引く。我ながら、兄は妹のことが大好きだ。

 けれどそこで不思議になったのは……。


「すき……?私、兄さまや姉さまたちが大好きよ」


 だがそう返せば、頭上の顔がやや訝しげになる。


「いや、そうじゃない。家族以外に大切な人はいるかって意味だよ」


「たいせつ?」


 それは友達とどう違うのだろう。

 ますますわからず、フェルシアはきょとんとする。そんな相手はいたことがないし、想像もつかない。


「……いないわ。まさか、兄様さまはいるの?」


「まだいないに決まってる。だから見合い話がきてるんだ」


「?……えっと……そんな人、できることがあるのかなって」


 この世にそんな存在がありえるのかと、フェルシアは問う。するとなぜかブラッドは黙ってしまった。じっと見下ろされて、フェルシアはぱちぱちと瞬く。

 そして数拍後、聞こえた溜息。


「はぁ……。フェルにはまだ難しいか。そうだな、たとえば父上と母上だ」


「え?」


 なにやら諦められた、とフェルシアは気付くが、とりあえず両親を想像した。家族の思い出は無数にあるが、彼らはいつも微笑み、寄り添い合っている。


「とても仲がいいだろう?もともとは他人だなんて信じられないくらいだ。あれほどの相手といられれば、結婚もそう悪くはないだろうな」


 その言葉に、フェルシアは少しだけ理解する。なるほど。結婚相手として望むことと、「好き」は繋がっていたのか。


 大人になればデビューして結婚する。頭の中はその知識ばかりで、相手をどう思うかなど考えたこともなかった。

 確かに父と母はいつも互いを尊重し、想い合っているのが伝わる。他人とああも睦まじくなれるのは凄いことだ。


 しかし。



「………わかんない。それに……もし結婚したら、わたしはこの家を出ていかないとだめなんでしょう?」



 その寂しげな響きに、ブラッドはフッと目を細めた。


「……そうだな。お前はそうなる」


「だったら、いや。私はしたくないもの」


 フェルシアは俯く。


 数年前、初めて家庭教師からこの話を聞いた時。授業中もショックで頭が回らず、講義が終わると泣いて母のもとに駆け込んだ。温かな胸に縋って「ぜったいいや」と泣き続け、食事もせずに自室に籠り、見かねた母が一晩限りと添い寝までしてくれた。


 そうして翌朝、腫れ上がった顔を見て、母は「ええ。フェルはうちにずっといてもいいのよ」と言ったのだ。それで一旦はフェルシアも気持ちが治まったが……。


 成長するにつれ、さすがのフェルシアもあれは優しい嘘だと気付いていた。国の決まりが元にある制度だ。いつまでも子供が本邸にいてはいけない。


 生まれた場所からいずれは旅立つ。そう理解できても、まだまだ口先では抵抗する妹に。ブラッドは例の騒動を思い出し、笑いが込み上げたらしい。


「ふ……。だから、別に帰ってくるなとは言われてないだろ。それに領地うちの近くに嫁げばいいじゃないか」


「それでも、いや」


 ぷい、と頑なになればますます笑われる。

 これは一大事だ。フェルシアは過去数回、王都に行った時でさえすぐ帰りたくなった。永遠に違う場所なんてとんでもない。


 膨れっ面をすれば、はいはい、と頭を撫でてくれる手。そのまま上目遣いをすれば、そこには自分と違い青い双眼が輝いている。


「私、ずっとここにいたい。ねえいいでしょう?ブラッド兄さま」


 そう言えば当たり前に返ってくる優しい声。


「……仕方のない奴だな。今はそれでもいいか」


「……うん」


 やっぱり兄は自分に甘い。だがもはや完全には同意してもらえなくて。心にぬるい風が吹き抜けたようで、フェルシアはどこか寂しい気持ちになった。


 けれど今はまだここにいていいと、許してくれる手の温もりにフェルシアは目を細める。そうしてひとしきり、小さな頭を撫でてから。


「まあ、一応考えてみろよ。たとえば、だ。どんな男がいいと思う?見合いが来てから考えるんじゃ、俺みたいに悩むはめになるぞ」


 これは経験者としての指摘か、優しさか。よくわからぬまま、フェルシアはまた首を傾げる。


「えぇ……?」


 それでも、と促されて。彼女は初めて異性について考えた。

 家族以外で今までに様々な人と関わったが、男性としてと聞かれても。そんな目で見たことがない。


 そして結局浮かぶのは父兄だった。強くて優しい二人は、理想の男性ひとと呼んで差し支えない。


「………なら、強い人がいい」


 考えた末にフェルシアは呟く。


「強い?剣が、か?」


「そう。……あ、兄さまより強い人でないとだめよ」


「俺?」


 二人して、不思議そうな顔を見合わせる。どこかおかしいだろうか。


 フェルシアは武門に生まれ、自身も剣を嗜む。物心ついてから毎日稽古を重ねれば、自然と周囲の強者が基準になった。そのほとんどは男性であることから、自然と導き出された答え。……という自覚はなかったが、彼女は天啓を得た気分だった。強さとは、実にシンプルだ。


「兄さまと……父さまよりも強くなくてはね?」


「俺はともかく、父上までとなると国中から男がいなくなるぞ」


「いいのべつに。だって頼りない人はいやだもん」


 うんうん、と頷く自分に呆れるブラッド。答えが出てよかったと、フェルシアが花摘みを再開しようとすれば。


「……父上も責任重大だな」


「あら、兄さまもよ?」


 振り向けば、やや複雑な表情。


「ついこの間、負けた俺にそれを言うか?」


 言われてフェルシアは「あ……」と口を開いた。


 ブラッドは現在、王都の士官学院に通っている。そして昨秋には初めて学院の剣術大会に参加した。その結果が……準優勝だったのだ。彼は決勝で負けた。信じられないことに。

 周囲は一年生ながら見事だったと言う。けれど同世代では兄が一番だと、信じて疑わなかったフェルシアは驚愕した。


 対する優勝者は最上級生。しかもなんと四連覇を遂げて卒業していったとか。


「オリヴィエ家の方よね?でも父さまには勝てないわ。大丈夫よ」


 名はライナス・オリヴィエ。あの公爵家の嫡男だ。


 国軍の剣術、今や本流とも呼ばれる流派を拓いた家。それによりオリヴィエ家は政治的には同派閥だが、武門としては他流派の関係だ。

 それなのに負けてしまったと、大会後の手紙でブラッドはさぞ悔しそうにしていた。


(……それでも、いずれ兄さまの方が強くなるんだから)


 ライナスはきっと相当な強者だ。しかしブラッドだってまだまだ強くなると、フェルシアは期待に満ちて兄を見つめる。それに自分の前にはまだ父という鉄壁もある。


「大丈夫?……まあいいか」


 また諦めるような声に、彼女はふと好奇心を覗かせる。


「そんなにお強いの?」


「もしかして、ライナス様のことか?」


「うん」


 試合を観に行かなかったから、ずっと気になっていた。兄を打ち負かすなんて一体どんな人かと。後学のためにも聞いておきたい。


 すると兄は一瞬間を置いて、なぜか焦り始めた。


「……フェル?まかり間違っても、あんな西へ嫁に行くなよ」


「えっ?どうして?」


「あそこは遠すぎる。俺達家族と気軽には会えなくなるぞ。あと、もし王都で彼を見かけても絶対に近付くな。見初められでもしたら困る」


 ブラッドがなにを言いたいのかよくわからない。嫁入り?近付くな?……強いかどうか聞いただけで、どうしてそう言われるのだろう。


「強さだけが証明じゃないだろう?自分を大切にしてくれて、ちゃんと想い合える相手を探すんだ。それに公爵夫人なんて、お前には務まりっこない」


 その台詞でフェルシアはやっと気付く。どうやら、「強い人が好き」と言ったために、ライナスへ興味があると思われたようだ。オリヴィエ領は西の山沿いにある。


「もう、なに言ってるの?兄さまったら、変なことばっかり」


 笑えない冗談だった。言われずともそんな立場、おそろしい。


「本当か?毎日のお転婆を見ていると、信用できないな」


「うっ……」


 父から直せと言われて早二年。今日も原っぱを走り回った身につまされる。だが、それならなおさら心配不要だ。


 正しい淑女とは、母や姉のような人。ライナスは麗しく、非常に優秀だと聞いている。楚々とした姉ならまだしも、日がな外で過ごすような己に目を留めるなどありえない。


「いずれは公爵位を継ぎ、軍でも頂点に立つお方だ。この地を守る俺達にはあまり会う機会もないだろうが」


 フェルシアは頷いた。そうだ。領地から出なければ会うこともない。

 だが一つ、懸念があるとすれば。


「……お前は目立つからなあ……」


 彼女は閉口した。今ブラッドが示唆したのはこの両眼オッドアイだ。白銀に加え授かった異色の瞳。今日も白皙へ鮮やかに映え、青空を孕めばいっそう深みを増す。

 目立つグローリーブルー一族の中でも、更に際立っていると評判である。


「デビューすれば当然会うこともある。だから絶対に近付くなよ」


「……うん」


 頷けば、いい子だと、また頭を撫でられる。


 ブラッドはその場に腰を下ろし、愛する妹へ言い聞かせ始めた。フェルシアも一緒に花畑の端に座り込む。


「少し話しただけだが、優しそうに見えてかなり言葉巧みな方だ。お前はいつもぼんやりしているから、あっという間に口車に乗せられて、(さら)われるだろうな」


「そ、そうなの?」


 フェルシアは「ぼんやり」に反発しかけたが、続いた内容はそれどころではなく、脅しはてきめんだった。

 ライナスを勝手に誘拐犯にしたまま、兄妹の会話は続く。


「ああ。領地ここじゃあまり見ないタイプだ。顔だって男から見ても相当綺麗で、世間知らずの令嬢がころころ騙されても不思議じゃない」


 これも反論したくなったが、自分が世間を知らないのは本当だ。フェルシアはややムッとしながらも不安になる。


「そんな……。でも……じゃあ、もしお会いしたらどうすればいいの?」


「そうだな……無難な挨拶をして、すぐに距離をとれ。もしなにか提案されたら一人で考えずに、俺達や父上、母上に相談するんだ」


 フェルシアは頷く。確かに、そうすれば大した影響はあるまい。


「外見やドレスを褒められても忘れろ。お前が可愛いのは当たり前だが、相手は女性に慣れていて社交辞令も豊富だ。そんな浮ついた男の前に長居するな」


 さらりと、誘拐犯に「浮ついた男」がプラスされる。

 でも実際にライナスと会った兄が言うのだからと、フェルシアはうんうん頷く。……その実、妹を取られまいと目が曇り、偏った内容だとはみじんも思わずに。


「もし万一婚約がすれば、簡単には助けてやれない。あちらは公爵家だ。もし断るなら向こうからと依頼することになる。こればかりはお前が泣いても無駄だからな」


 家と家。それも貴族同士の契約は非常に重い。


「そ、そう……よね。わかったわ」


 ごくりと息を飲み、フェルシアも頷く。仮定だが、考えてみれば同じ軍門同士、繋がりを求められてもおかしくない。むしろ今までなかったのが不思議である。

 それでも選ばれるならリーシャだとは思うが。


「ああ。だからせめて彼が婚約するまでは大人しくしておけよ」


「ええ。兄さま」


 ブラッドの警告に異存はなかった。ライナスは相当人気があるらしく、縁談が整うのもすぐだろう。だが念には念をと、フェルシアもグッと手を握る。すると。


「……そういえば。他にはないのか?」


 ふと尋ねるブラッドに、彼女は「え?」と目を丸くした。


「『俺や父上より強い』。……条件はそれでいいのか?」


 見れば青の瞳は静かで、真剣に問うているとわかる。声音も落ち着き、先ほどまでとは全く違っていた。


(たとえ話と言ったのに。どうして?)


急な変化に、フェルシアは目をさまよわせる。


「……え、えっと……?」


 なんだか念押しみたいだ。覚えておく、と言われるようで。

 まさかブラッドは父からなにか言われたのか。以前自分が家を出たくないと泣き、あまりにも情けなかったから。嫡男として兄として、気持ちの整理がつくようにしてやれ、とか。


 いずれも謎だったが、フェルシアはとりあえず考えた。条件一つで自分は納得するのかと。さっきブラッドは「お前を大切にしてくれて、想い合える相手を」と言った。しかし。


(……むずかしいわ)


 やはりすぐには浮かばない。


 なにが良くて、悪いのか?


 自分の言った「強さ」とは、きっと尊敬や頼りがいだろう。フェルシアはじっと正面の兄を見つめた。

 ブラッドは姉と同じくしっかり者だ。そして来週、王都に戻るまでは遊んでやると、今日も変わらず面倒見がよい。


 そう考えれば、晴れた日や何気ない時を、こうして一緒に過ごしてくれる人なら自分は嬉しい……?


「………あ。そうだわ」


 フェルシアが声を上げると同時、ぶわっと強い風が吹く。それに二人して煽られれば、視界にひらひらと舞う青い花弁。


「なんだ?」


 そんな美しい光景を背に、やはり気になるのか身を乗り出す相手へ。

 フェルシアは微笑むと、「あのね……」と口を開いた。

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