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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
103/114

45.回る噂

「聞いたわよ。ヴァルのこと、断ったんですって?」



 エルヴァルドと会った翌日の午後。

 とある広間の端に座りカップを傾けていたフェルシアは、あわやむせそうになった。


「………エルヴェリーナ様。それは」


 彼女は手を降ろし、サッと正面を伺う。そこには昨日と同じく、陽射しを弾く白金が輝いていた。違うのはそれが腰元までウェーブして伸び、持ち主が動くたび優雅に揺れることだ。

 こちらを見つめる瞳も紅。それを縁取り、跳ね上がるアイラインは大胆で、エルヴェリーナによく似合っていた。


「どうして?もったいないわ。私、あなたを義妹(いもうと)と呼ぶのを楽しみにしていたのに」


 昼間だというのに詰る表情は妖艶で、男なら瞬時に虜になっただろう。また、その口調はやっぱり全てをわかっている風で、フェルシアはこの話になったことに必然性を感じた。



 昨日に続き、今日はエルヴェリーナとの面会日だ。



 本当は昨日エルヴァルドと三人で会う予定だったが、急遽の変更で、王女主催のサロン参加に替えた。

 豪奢な小広間で、茶器と鮮やかな菓子に囲まれて。始まってすぐは両国の令嬢が混じって話をしていたが、今は彼女らから離れ、部屋の隅のソファセットにて二人の時間をとっている。


「ご期待に沿えず、大変残念にございます」


 フェルシアはとりあえず無難に返した。しかし、これを聞かれるということは……。


「そう……。ああそれと、ライナス様とお付き合いしているんですって?」


「はい」


 王宮で発言したことだ。多少広まるのは仕方がない。だがこの口ぶりは、始めから求婚について知っていたともとれる。「聞いた」とはまさかエルヴァルド本人から、という意味だろうか。


「まあ。それなら祝賀会の時はごめんなさいね?あなたのことも考えず彼を連れて行ったりして。私、とんだ邪魔者だったわ」


「とんでもございません。殿下」


 強引だった自覚はあるのか……と思ったが口には出せまい。それに慣れぬ色恋の話題だ。フェルシアはより平常心を意識して会話していた。しかし。



「でもね、あなた達がキスもしたことがないと聞いて、私もびっくりしたわ。そんなことってあるのね」



 さすが双子と言うべきか。

 たった一夜で筒抜けだ。


(エルヴァルド様、それは教えなくていいのでは……?)


 フェルシアは心中で唸った。どう考えても広めてほしくない、余計な情報だ。


 加え、今ここでエルヴェリーナが口に出したのも気にかかる。考えたくはないが、これはまさか、王宮中で噂になっていやしないか?

 彼女はちら、と相手の背後を見た。そこには今日も今日とてずらりと並ぶ使用人達。たとえ箝口令を敷いても、人の口を閉ざすことはできない。


 訪問中の隣国の公爵と、因縁のグローリーブルー家の娘が恋人。確かによい話題の種だ。そして蔓延した噂はいずれ内輪から外へ広まる。


(その内、故国くににまで届いたら……?)


 この速さだとありえると、冷や汗を滲ませつつ。フェルシアがなんとか表情を保っていると。


「それでね。私、考えたのだけど」


 エルヴェリーナもカップを置いた。今日も鮮やかな口紅は完璧で、彼女が喋るたび薔薇が開くよう。


「あなた、もしかして強引に迫られているのではなくって?」


 しかし放たれた内容はライナスとフェルシア、二人の関係を懐疑的に見るものだった。


「それならヴァルを近付かせないのも納得だもの。公爵家に引き取られた経緯は聞いたわ。そんな中ではとても断り辛いでしょう?」


「それは……。あの、そのようなことは」


 そういう見方もあるのかとフェルシアは驚く。しかし改めて己の心に問うても、それは違うと、すぐに答えが出る。

 だがエルヴェリーナはすっかり憂いの眼差しだ。


「本当に?ヴァルから聞いたわよね、あなたのご先祖のこと。おせっかいかもしれないけど、フェルシアのことは妹のように思っているのよ。なにか助けになれればいいのだけど」


 またまた驚くような発言だった。「妹」とは。親近感を感じさせるが、まさか本気でもあるまい。


「エルヴェリーナ様……。確かにライナス様には大恩がございますが、ご安心ください」


 以前エルヴァルドからも、自分は利用されているのでは、と問われた。その時と似た感覚だった。

 しかしライナスは誘いを拒否したことで自分を恨んだり、陥れるような人物ではない。後はフェルシアの独り立ちが進み、いずれ顔を合わせなくなる。きっとそれだけのことだ。


 エルヴェリーナの考えは杞憂だと、フェルシアが説明してみせると。



「そう?では……本当に彼のことを愛しているのね?」



(……あい……?)



 またしても立ちはだかる難問。

 フェルシアは一瞬で思考が鈍る。自分はまだ、この問いに答えられない。


(ライナス様は、そう言ってくださったけど……)


 ふと昨夕の記憶が蘇り、フェルシアはまた動悸がしそうになる。

 駄目だ。あまりライナスのことを考えては。昨晩など中々眠れず、ベッドに入ってから何度も寝返りを打った。あの時、まさかキスを迫られるとは夢にも思わなかったから。


 優しく抱き寄せられ、間近で絡み合う視線に全身が震えた。訴えるこの口も指で一つなぞられただけで力をなくし、最後は息も忘れただ固まって……。


 あのままいけば難なく、「恋人(仮)とキスをした」事実ができていただろう。でも実際に彼が触れたのは口の横で、自分はさぞ間抜けな顔をしたはずだ。

 そしてあまりの羞恥で、飛び出すように応接間を出た。だが今やフェルシアは大きく後悔していた。自分はなんて態度をとったのかと。


(……でも私は、どうしたかったの……?)


 フェルシアは膝に置いた手をきゅっと握る。


 ライナスに揶揄われた帰り道。背後につくリリィに問えば、「すみません。ですが当主様は、お嬢様が本当に嫌がることはなさいませんよ」とさらりと返された。そこでフェルシアはぎくりとしたのだ。果たして自分は、「本当に嫌がって」いたのかと。


 思い返せば、目を閉じた一瞬。ほんのわずかだけ。彼が望むならと、頭によぎった。


 「付き合っていたら皆している」が本当なら、大した問題にはならないはず。互いに他に相手がいるわけでもない。だから。

 そうして驚くほど近付いた彼の顔。あの美しい唇にも触れてみたくなって……今は、とても自分の考えとは思えないが。


 あの時逃げなかった自分に矛盾を感じ、フェルシアはいまだに悶々としていた。そこを紐解けば、なにか答えがあるような気がして。


「……どうしたの?まあ、まさか」


 ハッとする。やはり本意ではないのかと、エルヴェリーナはまだ疑っているようだ。


「いえ。私はライナス様のことをお慕いしております。私などにはもったいないほどのお方です」


 フェルシアは背を伸ばし、ハッキリと告げた。するとどうしてかまた、胸がどきどきと高鳴る。

けれど嘘ではない。人としての敬愛は本当だ。


 するとフェルシアの答えを受け、「そう。なら安心ね」と呟いたエルヴェリーナは、また追い打ちをかけてきた。



「ではキスくらい許してあげなくてはね?」



 唖然とする。これはやはり、偽装恋人だとばれているかもしれない。そうでなければ、こんなにも当て擦ってくるものか。


「……あの。なぜ、でしょうか」


「だってあなたも彼が好きなんでしょう?それなのに手を繋ぐ以外、なにもないなんて不自然だわ。駆け引きは楽しいけれど、悪戯に我慢させては駄目よ?殿方だって他に目移りしてしまうわ」


 「手を繋いだことはある」まで知っているとは。彼女はフェルシアとライナスの関係について、ちゃんとエルヴァルドから履修済みだ。


「あんなに麗しくて地位のある紳士だもの。ご婦人に絶大な人気があるでしょう?ここに到着してからだって、うちの娘達が随分騒いでるのよ?」


 そう言ってエルヴェリーナはちらりと背後を見た。そこには先ほど共にいた、フェルシアへライナスについて尋ねた令嬢達がいる。「大変麗しいお方で、つい見惚れてしまいました」「ご結婚されていないのですよね。では婚約のご予定は?」と口々に言われ、答えれば喜ばれたのを憶えている。


「あ……はい。我が国でも大変注目を集めていらっしゃいます」


「なんだか他人事ねえ……。いいの?彼が他の女性にとられても」


「それは……」


 フェルシアは一瞬黙る。

 要するに、少しはライナスを喜ばせなければ愛想をつかされる、と言われたらしいが……。



 ではもしも、ライナスと本当に恋人だったら?



(えっと……?好きだから、別れたくはない……わよね?)


 きっと自分はできる限り彼の望みを叶えようとするだろう。キスなんて、考えてみればただの接触だ。

 その程度で。だが「その程度」を拒否したことでライナスを失うとしたら?


 エルヴェリーナの言う意味をフェルシア徐々に理解する。

 今はこちらを好きだと言ってくれても、もっと彼好みで、好きにさせてくれる女性が現れたら。


(それは、当然……)


 一昨日の夜、紅いドレスと共に消えたライナスの姿が脳裏に蘇る。それにズキッと胸が痛むと同時、目の前から声がする。


「ふうん。あなたがそんなだから、あの夜の彼、まんざらでもなさそうだったのね」


 ガラス越しの陽で神々しく輝くエルヴェリーナ。

 あの夜、ライナスの腕を引いて笑った人。


「それは、どういう意味でしょう?」


「あら、知りたい?ふふ……、そのまんまよ。最後はあなたを探しに行ってしまったけど、それまではずっと好きにさせてくれたんだから」


 時間にすれば一時間弱。エルヴェリーナとライナスが共にいた間、どんなやりとりがあったのかフェルシアはよく知らない。ただ彼の話で「なにもなかった」と結論付けただけ。エルヴェリーナからの話は初めて聞く。


「会場でもずっと見つめてくれて、私が躓きそうになったらすぐに支えてくれたのよ。見た目以上に逞しい方よね。私ったらうっかりときめいてしまったわ」


「……ライナス様はとても親切な方でいらっしゃいますから」


「ええ、確かにお優しいわよね。でも……そうねえ、経験のないにはわからないかしら?」


 痛いところを突かれ、フェルシアは閉口した。

 自分は普段、男女関係に縁の欠片もない。だから今は「わからないくせに」と言われるのが一番効く。


 対してエルヴェリーナは魅力に溢れ、きっと立場がなくとも相手に困らない女性だ。きっと異性の秋波にも、火遊びにも慣れているのだろう。その経験値で言えば、ローテーブルを挟む二人の間には雲泥の差があった。

 ゆえに己が初心だと揶揄されても仕方ない。でも。


(なんだか、ここで彼女に言われると……すごく……)


 納得がいかない。

 もやもやする。


 心がずっしりと重く、しかし言い返すこともできずに。フェルシアは黙り込んだ。


「あらぁ……大丈夫?気にしないでね。私、なにも本気であなたから彼を奪おうだなんて思ってないのよ」


 すると響いた軽やかな声。しかし顔を上げたフェルシアへ、また予想外の台詞が飛んだ。


「でも、そうね。彼が帰国する前に一つ、思い出をもらおうかしら」


「思い出……ですか?」


 意味がわからず瞠目(どうもく)する。

 するとその反応を待っていたように眉を下げられ、フェルシアは赤青の瞳をピクリと震わせた。


「あら、ごめんなさい。きっとこれもあなたみたいな()には刺激が強すぎるわね」


 なんでもないわ。忘れてちょうだい、と。さも申し訳なさそうな顔をされて。フェルシアは「もやもや」が爆発しそうになった。


(一体なにを?)


 さっきから煽られている気がする。冷静に、冷静にと己へ言い聞かせた。

 だが、キスなんて当たり前と嘯くエルヴェリーナだ。それ以上とは……と、止める己も他所にフェルシアが考え始めたところで。


「でも、そんなことでは結婚できても続かないわね」


 ふと相手の雰囲気が変わった。フェルシアが見ればまた、憂いの視線を向けられている。いかにも「かわいそうに」と言いたげだ。


「残酷だけれど、結婚の後も安泰ではなくてよ。むしろ夫婦生活が本番なのだから」


「エルヴェリーナ様?」


 恋人の件から話が飛び、今度は結婚についてが話題らしい。警戒する自分へ美しい声が言い聞かせる。


「聞いたことがない?夫婦にお互い愛人がいるなんて、よく聞く話よ」


「愛人、ですか……?確かに聞きますが……」


「結婚と恋は別だもの。つまらない女と結婚すれば、自分好みの愛人を作るのも早いでしょうね」


 「つまらない」。それが自分だと明言された気になり、フェルシアは口籠った。それでまさかライナスも愛人を、と考えてみるが……幸か不幸か、全く想像できない。


 正妻と比べれば愛人の地位は著しく低い。王の公妾や、よほどの権力者に侍るならまだしも……よく言って日陰者。情を傾けた相手がそうなることをライナスが望むとは到底思えなかった。


「……ですがライナス様も同じとは、限らないかと」


 ころころと恋人を変えるのとはわけが違う。これは誰かの人生に対する責任の話だ。


「あの方が、お相手へそのような関係を望むとは思えません」


 フェルシアは真っ直ぐにエルヴェリーナへ反論した。


 去年から辛抱強く自分に関わり、支えてくれたライナスが婚姻関係を蔑ろにする人間とは思えない。彼ならば、そんな事態になる前に他の手を打つ。そう信じるフェルシアへ、しかしエルヴェリーナは微笑みながら首を傾げる。


「……そう。でも必要な時もあるのよ。望まずともね。社交界において離婚は簡単ではないし、本妻との子供ができなかったから仕方なく、とかね?」


「それでも、です。おそれいりますが、想像でのお話は同意できかねます」


 フェルシアは小さく首を振った。ただの希望と言われようがこの解釈は曲げられない。きっと実際にこの目で見るまで自分は信じないだろう。


 数拍の間、じっと交わる二人の紅と青の瞳。


「ふうん……?」


「……なんでしょう?」


「いいえ。あなたってやっぱりお子様ね、と思って」


 ついに言われた言葉にフェルシアが唖然とすれば、またエルヴェリーナは面白そうに目元をたわませる。


「それは……ご指摘の通りにございます。お耳汚しを申しました」


 ここで笑うとは、やっぱりこの双子は似ている。

 フェルシアが図星を認めれば、エルヴェリーナはフッといつもの朗らかな笑みを見せた。心なし、声音も軽やかだ。


「いいじゃない。そうね。相手を信じられるのは素晴らしいことだわ。それとも、そんな夢を見てしまうくらい彼に愛されていると、あなたなりの惚気だったのかしら?」


「あ……そのようなつもりは」


「ふふ。いいのよ。面白い話が聞けたわ。貴族女性ならば大抵は、『どうすれば正妻の立場を盤石にできるか』、そればかりに目が行くものだから」


 フェルシアは瞠目した。愛人はいずれ妻の座にとって代わる可能性がある。まずそれを危険視するのが普通だと言われ、目から鱗だ。


「気が利かず、申し訳ありません」


「どうぞ気にしないで。でも、公爵様はきっと、フェルシアのそんなところを気に入っているのね」


 とりなす言葉は意外だった。だが意味を問おうとするフェルシアへエルヴェリーナが続ける。


「私も少し意地悪だったわね。あなたみたいに美しくて素直な娘、誰でも少しは嫉妬してしまうでしょう?」


「ご冗談を。女神のごときエルヴェリーナ様には到底及びません」


「ありがとう。けれど自分にないものは欲しくなるものよ。あなたも何かないのかしら?」


 そうして二人は他愛もない雑談に移ってゆく。前半のやや不穏な空気は消え、すっかり穏やかなお茶会、といった雰囲気で。


 時々驚くような発言はあれど、貴人としても完璧なエルヴェリーナといると学ぶことも多く、その後もフェルシアは興味深く彼女と語り合った。



 そしてエルヴェリーナと話し続け、話題も尽きたころ。礼を告げフェルシアが腰を上げると、向かいから「ああ、そうだわ」と思い出したような声が聞こえた。

 まだなにかあっただろうかと、エルヴェリーナを見ると。



「明日の夜、一人で彼の部屋に行ってみようと思うの。そこで何が起こるか……とても楽しみだわ」



 囁くような宣言。フェルシアは誰のことかすぐに分かった。

 これはきっと、……例の「思い出」の話だ。


「エルヴェリーナ様……?」


 流石のフェルシアもなにを示唆されたのかわかった。こんな白昼で密やかにも、堂々と。


 大胆すぎる。

 そもそも、仮にも王女がそんなことを許されるのか。


 予想だにしない台詞にフェルシアは立ち上がろうとして固まり、エルヴェリーナを凝視した。


「ふふ……。いいのよ、もうお行きになって。向こうの皆さんもあなたの話を聞きたいでしょうから」


 なんでもないように言われ、フェルシアはハッと我に返る。

 目の前の。ただにこやかに見送る表情。それに追及を諦めてフェルシアは再度挨拶を述べた。


「……では王女殿下、失礼いたします」


 彼女はドレスの裾をさばき、エルヴェリーナへ背を向ける。


 ようやっと平和になっていた頭の中を、どういうことかと、またぐるぐると忙しなくさせながら。

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