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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
102/114

44.皆「そう」だから

 ライナスは廊下の先の姿へ声をかけた。


「フェルシア」


「ライナス様」


 すると相手はすぐに挨拶をくれる。しかし振り向く直前、フェルシアはピクッと肩を揺らした。


「おかえりなさいませ。もうお話は終わったのですか?」


「ああ。思ったより順調にいってね」


 答えながらライナスは彼女へ歩み寄る。顔色はよいが、何かあったのだろうかと思いつつその前に立った。

 昼間から着替えなかったらしく、彼女はデイドレス姿のままだ。白いブラウス風の上半身に、薄青のリボンや涼やかにふわりとなびく裾。

 しかも結った髪には例の青いサファイアが輝き、彼女の清楚な雰囲気が引き立つ完璧な装いだった。


「その服、やはりとても似合っているよ。今日も綺麗だ」


「いえ……そんな。ご用意いただき、ありがとうございました」


 こちらの気持ちを知った今、どう反応したものか迷うのか。礼を言うフェルシアはどこかぎこちなかった。

 そう気付きながらもライナスは目の前の扉を開く。入ろう、と促し己も彼女の後に続いた。


「それで、殿下との話はどうだった?問題はなかったか?」


 入ったのはここ連日訪れている応接間だ。いつもの長椅子に二人で座り、ライナスはすぐさま切り出す。

 会って早々だが仕方ない。朝からフェルシアがどうしているか、またエルヴァルドになにかされていないか、考えまいとする方が大変だった。夕方にはこうして会う約束をしていたので、雑念を払い仕事に打ち込んでいたら早く終わったのは喜ばしいが。


「フェルシア?」


 すぐに返ってこない答えにまさか、とライナスが隣を覗き込むと。

 ほんの一瞬、彼女は小さな唇を震わせてから。



「え、エルヴァルド様は…………大変、変わったお方です。私には理解しかねます」



 まるでそっぽを向くように。フェルシアは自分から、ぷいっと目を逸らした。

 ライナスは驚く。これは……。


(拗ねている……?)


 理由は不明だが、何度か見たことのある仕草。それに、ライナスはその感情が己以外へ向けられたことへ衝撃を受けた。フェルシアが他人をそんな風に言うのも初めて聞く。


 俄然気になった。なにがその心を動かしたのかと。


「どういう意味だ?もっとちゃんと説明してくれ」


 ライナスはつい急く己に、落ち着けと言い聞かせる。


「あ、いえ。……すみません。大したことでは。それよりも」


 逆にフェルシアはハッと慌てていた。白銀の睫毛がぱちぱちとまたたく様は、目の端に細かな光が散るようで。その美しさには誤魔化されまいと、ライナスは追及を続ける。


「フェルシア……。頼むから答えてくれ。俺に話し辛いことでも?」


「ちが……せ、説明します」


「ああ。だが納得できるように教えてくれ」


 念押しへおずおずと頷くフェルシア。それでも溜飲を下げぬまま、ライナスは耳を傾けることにした。



* * * * * * *



 彼女が明かしたのは、あの残酷な出来事の起源であった。


 それへライナスは驚くと同時に納得する。グローリーブルー家の惨劇が、隣国の内乱と時期を同じくしたことも。ゾエグ公爵の大胆な行動の背景も。

 エルヴァルドが関係者の処罰を教えてくれた、そう語るフェルシアは動揺を滲ませつつも落ち着いていて、混乱している様子はなかった。


 話し終え、一呼吸したフェルシアが付け加える。


「……このことはいずれ、我らが陛下にも伝えられるそうです。ライナス様も、それまではどうかご内密に」


「ああ。わかっている」


 ライナスはすかさず頷く。今の話だけでは詳細不明だが、これは重大事案だ。

 当事者のフェルシアとロドグリッド王がどう対応するかが鍵だが、フェルシアと近しい自分には隠しておけまいと判断したエルヴァルドの言伝だろう。


「フェルシア。その……大丈夫か?」


「……はい。とりあえずはお教えいただいてよかったと思います。ですが……」


 どう感じるべきかはまだわからないと、かすかに揺らぐ瞳。けれどそれは美しく透き通ったままで、報復なんて考えたこともなさそうだ。

 テュリエールにとって汚点とも言える内部事情。それ隠さず伝えた誠実さは確かに評価できる。フェルシアはきっと、説明をしたエルヴァルドに感謝すら抱いたのだろう。


「そうか……。これからもできることがあれば、いくらでも協力させてくれ。俺はいつでも君の味方だ」


 過去は変えられず、彼女は前を向いて歩き出したばかり。

 少しでもその想いに寄り添い、今度こそその幸せを妨げるものは全て排除しようと。再度決意しライナスはそう告げた。


「ありがとうございます。そう言ってもらえますと、大変心強いです」


 そう言いそっと緩む口元はライナスへ確かな信頼を伝える。たまに見せてくれるフェルシアの笑顔。それは真冬の朝日に似て温かく、心の洗われる純粋さがあった。

 彼女が笑うと、新雪がきらきらと陽を弾くようで。見惚れずにはいられない。


「これから、じっくり考えていこうと思います。……帰ったら兄様達にも報告に行かないと、ですね」


「ああ。そうだな」


 また長い報告になりましょう、と呟く横顔。いつの間にか、赤青の瞳は家族を想って凛と前を向いていた。それを見たライナスは少し安心する。


 彼女がまた墓参りをするころには、きっと気持ちの整理もついているだろう。

 つい過保護になってしまうが、彼女は精神的にも成長してきている。ライナスは、口を閉じたフェルシアの横顔を感慨深く噛み締めた。


 そして、頃合いを見たライナスは話を戻す。



「それで?」



 すると、かたわらでカップを持つ手が止まる。


「はい……?」


「殿下となにがあった?どうして怒っているんだ?」


 きょとん、としてから見開かれる瞳。それはまるでピャッと驚く子猫のようで、彼女はいつも愛らしい。


「そ、それは」


 まさか逃げられると思ったのではあるまい。だが適当なところで退室しようと、蜂蜜のように甘いフェルシアの算段を、ライナスは微笑み一つで諦めさせた。


「そうか。教えてくれないのなら、こちらにも考えが……」


 さて、どれにしようかと。ライナスが手段をいくつか思いついたところで。


「わ、わかりました。言います……!」


 早くも焦った声がしてライナスは口を閉じた。しかしさあどうぞ、と待ってみるがフェルシアは中々白状しない。

 数拍経って、またどうしようかと、ライナスが考え始めたところで。やっとか細い声がした。


「…………ライナス様のせいです」


 かすかに声を震わせ、フェルシアが言ったのは………自分がいつか予想した内容だった。



「ライナス様とこ……つ、『付き合っている』という話をしたら、エルヴァルド様から……笑われてしまって……」


 徐々に赤くなる白い頬。それでライナスは全てを察した。きっとこの日中、フェルシアはエルヴァルドからさんざん揶揄からかわれたのだと。


「……ああ。それか」


 案の定、フェルシアはまたエルヴァルドにプロポーズされ、自分が「とにかく言い張れ」と促したままに牽制したらしい。その結果が……まあ、言われた通りになったと。


 だがフェルシアがその程度で怒るだろうかと、不思議に思っていると。隣からジトっと視線が刺さった。これも最近たまに向けられる視線だ。


「ライナス様。あれは言わなくてよかった気がするのですが……?」


「そんなことはない。言っただろう?断るにあたり、きちんと相手がいることが重要だと」


 今までのこともあり、さすがにフェルシアが己を疑いやすくなっている……と気付きつつ、ライナスは昨日の説明を繰り返した。多少の下心を加えたのは否めないが、「恋人関係」がプロポーズ避けに使えるのは事実だ。


「他にはなにを言われたんだ?」


 フェルシアからの疑念をさらりと躱し、ライナスは詳細を聞き出すことにした。どうも彼女が臍を曲げた理由が見えない。今こうして己に、ならまだしも。


 すると彼女は俯き……見ていると、今度はぷるぷると細い肩を震わせ始めた。ライナスはまさか、と一瞬焦るが、どうやら違う。白銀の隙間から見える耳はほんのり紅かった。


「……っ…、もな……と……」


「?なんて言ったんだ?」


 そっと促すが音沙汰がない。


「フェルシア?」


 昼間の席で、そんなにも言いにくいことがあったかと。

 ライナスが不審に思い始めていると、やっと途切れがちな台詞が聞こえる。微風にも煽られそうな、頼りない吐息のように。



「……き…す…もしたことがないのかと、言われて……っ」



「……キス?」



 意外な単語に、ライナスは方眉を上げた。

 まさかそんな話になるとは、そこまで予想していなかった。エルヴァルドは思っていた以上に率直で下世話な返しを好む人物らしい。


 フェルシアは驚愕しているが……まあ、この一ヶ月彼女にアプローチを躱され続け、エルヴァルドがその初心さを見抜いた故の質問にも感じるが。


「付き合ったら、皆やっていることだと。お前は全く手を出されないのか、って……」


「ああ…」


 説明に頷けば、また驚く気配がした。見れば、呆然とした顔がこちらを見上げている。はっきりと「まさかあなたも?」と書いた表情にさすがのライナスも圧を感じ、一瞬の間が空いた。


「……知り合いや友人で『しない』と言う者は見たことがないが。まあ、人それぞれじゃないか?」


「ライナス様……?」


 赤かったフェルシアの顔が青ざめ始める。

 今まで受けた教えはただの理想論だったのかと。自国でも規則ルール違反がまかり通っているのかと。とにかく、教科書のような正論がこちらへ無言で突き刺さる。


 これはどうしたものかと、ライナスは考えた。フェルシアはいまだ、手繋ぎすら恥じらうだ。真面目故にエルヴァルドから揶揄われたことも、全く納得がいってなさそうだ。


「どうして皆、そんなことを……」


「確かに決まり事はあるが、そんなに逐一監視しているわけじゃないからな。……そんなに気になるなら、君もしてみるか?」


 ライナスが試しに言えば、ぶんぶんと首を振られる。


「っ!し、しません!そんな事、してはいけません……!」


 だろうな、と思いつつも女性に拒否されたのは初めてで新鮮な気分だ。それも即刻で。

 けれど、それはそれとして。目の前でまた顔を赤らめる姿は可愛くて……さも苛めがいがありそうだ。ライナスは悪戯心が芽生え、柔らかく微笑むとスッとフェルシアに近付いた。


「フェルシア。……キスをしたことは?」


「え、ないに決まっ……今は関係ないことです」


 ビクッと揺れる瞳が嗜虐心をそそる。去年からずっと、つい彼女を揶揄いたくなるのは本能だろうか。


 後退る細い腰に、ライナスはするりと手を回した。それにまた体を震わせて惑う表情は頼りなく、このあどけない反応こそが男を煽るとは、本人は一生気付くまい。

 エルヴァルドにもこんな顔を見せたのかと思えば憎らしく、フェルシアを見つめるライナスの瞳にもますます熱が入った。


「君の初めての相手になれるのか。本当に光栄だよ。ほら、殿下に俺達は恋人だと宣言したんだ。また怪しまれてもいいのか?」


 体を寄せれば、二人を阻むものは押し返そうとするフェルシアの両手だけだ。


「そんな……。ですが、皆そうとは限らないと、今おっしゃったではないですか」


 言い募り、なんとか足掻こうとする様は健気だった。

 うろうろと泳ぐ大きな赤青の瞳はきっと他の姿を探している。だが無駄だ。扉の外にリリィがいるが、おそらくライナスの意図がわかっているので、割って入ることもない。


「大体は『そう』なんだ。俺達がしていてもおかしくはないよ」


「そ、ではなくて。私達は」


 本当の関係ではないと言いかける、つれない唇をライナスは親指でなぞった。するとフェルシアがハッと口を噤む。

 その反応を掌で感じながら、片頬を包み彼女の顔を上向かせれば、ふるりと彼女の背筋が震える。これはもう一押しだと、ライナスは眉を寄せ訴えた。


 この問いは賭けだが、エルヴェリーナと自分が並ぶ姿を見て嫉妬したなら、大いにチャンスはある。


「もしかして、俺とは嫌か?」


「え………」


 するとフェルシアは途端に大人しくなり、こちらの胸を押す手も弱くなった。それでライナスは確信する。やはり少なからず、フェルシアには己への好意があると。そもそも他の女性と二人きりにならないで、と言われ期待しない男がいるだろうか。


 フェルシアはこちらの気持ちを知った。今度は、彼女が自身の想いに気付く番だ。


「俺は君とキスしたい。君のことを好きになってから、触れたいと思わない日はなかった」


「は、え……?でも、だめ……で……」


 大きく見開かれる透明な瞳は零れ落ちそうだ。その輝きへライナスは祈るように囁いた。


「お願いだ。フェルシア……」


 こいねがい顔を寄せれば、ふっと花のような香りがした。甘いのに、清涼なそれはきっと香水だ。彼女にぴったりな……引き寄せられるまま、貪りたくなる香り。


 薄紅色の唇がはく、と開いて白い歯を見え隠れさせこちらを誘う。いつもながら魅惑的で、なんと美味そうなことか。


「……ぁ………」


 ゆっくりと近付けばぎゅっと閉じられる瞳。その無防備さが微笑ましい。

 そして己も目を閉じると、ライナスはそっとフェルシアと顔を重ねた。


 ちゅ、とかすかな音が響く。


 そうして口を離すと、彼はフェルシアの耳元でこう言った。



「……冗談だ。本当にすると思ったか?」



 穏やかに、けれど嘯くような口調。少し顔を離して見れば、フェルシアは瞬きも忘れ固まっていた。


 今、自分は確かに彼女に口付けた。しかしそれは頬に、だ。唇の真横、はたから見れば勘違いされそうな際どい所へ。

 微笑みながらライナスが続ける。


「いつも触れたいのは本音だが、君が好きだと言ってくれるまではこれで我慢するよ」


 実を言えば魔が差しそうになった。しかし後を考えると実行には移せまい。こちらの口先に転がされ、なすがままの彼女にも非はあるが……さすがに嫌われては困る。


「あと、本当に嫌な時は全力で抵抗するんだ。こんな風に腕の中で大人しくしていると、いいようにされてしまうぞ?」


 教えてやれば、フェルシアはパッとと自分の腕から抜け出した。力を抜いていたライナスは腕を降ろし、その姿を見守る。

 いつになく茹蛸のようになったフェルシアの顔。恥とも怒りともつかぬ色に染まっている。加えて涙を滲ませる表情に、これは珍しいのでは……とライナスが感心していると。


 立ち上がったフェルシアは、わなわなと唇を震わせた。


「………ら……ライナス様なんて、もう知りません………!」


 いよいよ自分まで言われてしまったと、湧き上がる笑いをライナスは嚙み殺す。ここで笑えば火に油だ。けれど本気で隠そうとはしなかったので、彼女はいっそう半眼になった。


「……失礼します!」


 背を向けようとして、慌ててこちらへ挨拶をしてから。フェルシアは回れ右をしてスタスタと出口へ直行した。その姿へ「ああ。またな」とライナスもひらりと手を上げる。



 そうして最後に、扉が閉まる直前。ライナスは気まずげに見てくるリリィと目が合った。

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