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セラン・ブルーと幸福の少女  作者: Annabel
第2部 テュリエール王国編
101/114

43.十年前

 ふわり、薄青の裾がゆるやかになびく。


 頬に感じる涼やかさにフェルシアは顔を上げた。照りつける陽射しさえ心地よくなる、北方特有の風。

 懐かしい。昔、こうして晴れた日は兄妹三人で草地に寝転がり、うたた寝をした。熟睡してしまい、夕立が来そうだと、慌てた姉に起こされたのを覚えている。


 そう、ちょうどあんな樹の下で……。


「お待たせいたしました。こちらへ」


 きっちりと背を伸ばし外を眺めていると、丁寧な声がかかった。


「はい」


 フェルシアはそれへ向き直り、いよいよだと気を引き締める。

 デイドレスをまとうフェルシアは楚々とメイドの後に続く。回廊を外れ敷石をたどった先、そこで待つ人物を想像して。



* * * * * * *



 あの衝撃的な夜から二日。


 今日フェルシアはエルヴァルドとの茶会に出席していた。


 次期辺境伯当主としての顔合わせ、とは銘打ってあるが、単にフルテュリエール側からの誘いだ。エルヴァルドと会うのはこれが四度目だが、やはり緊張する。


 目の前には純白のクロスと艶やかなティーセット、軽食を乗せたスタンド。そして、もっと先には白金の髪を煌めかせた至高の人。庭に張り出たテラスにて、互いの背後には使用人がずらりと控えている。

 人目は充分だが相手の領域テリトリーなのは変わらない。警戒は忘れまいと、フェルシアも白磁のカップを手に取った。


「今日は少し暑いな。そう思わないか?」


「はい。そうでございますね」


 さっきからとりとめのない会話を続けるエルヴァルド。その紅色を見つめ返しフェルシアも尋ねた。


「こう暑い日など、殿下はいかがお過ごしなさいますか?」


「執務以外だと、天気が何であろうと軍で鍛錬だな。それと俺のことは名前で呼べ。何度も言わせるな、畏まられるのも好きじゃない」


「わかりました。エルヴァルド様」


 関連した話題でもと思えば、あっけなく終わる。……と思いきや、問い返された。


「お前はどうなんだ?」


「特に用事がなければ室内で過ごしています。読書や勉強を……」


 思えばたまにライナスに稽古をつけてもらう以外、休日は座ってばかりだ。するとそれを聞いたエルヴァルドがおもむろに笑んだ。


「そうか。我が国にとどまれば夏だろうが、外で過ごすのも快適だぞ?」


「……そうですね。我が領も比較的涼しいので、夏はそこで過ごすのも快適でしょう」


「つれないな。ああ、お前の所まで迎えに来いということか?それもいいな」


(な、なんでそうなるの……)


 フェルシアは昨日「話に頷いてばかりいると男に気を持たせる」と教えられたのを思い出す。だがエルヴァルドは頷かずとも話を進めそうだ。どこかこの助言をくれた人と重なる。


「いえ。エルヴァルド様のお手を煩わせるわけには」


「遠慮するな。花嫁を迎えに行くのに苦などあろうはずもない」


 なにげなく挟まれた言葉。フェルシアはハッとして緊張を強めた。

 ここに座ってから、まるで祝賀会の夜については避けるような雰囲気だったのに。いよいよだろうか。


「……適当な話は飽いたな。そろそろ本題にしよう。お前もさぞかし気になっているだろう?」


 エルヴァルドの眼はいつもながら力強い。潜む思惑を感じとり、フェルシアはかすかに息を飲んだ。


「お話とは……一体どういった?」


「まずはお前を我が国に呼んだ理由だな。半分は夜会の夜に話した通りだ。俺も年末に知ったものでな。もし本人も知らないのならば、と思い早く教えてやりたくなった。遠戚でも、血の繋がりは確かだからな?」


 内容だけ聞けばとても親切だ。しかし声はどこか白々しく、フェルシアは慎重に返す。


「それにつきましては御礼を申し上げます。私もいまだに驚きを隠せずにいますだ、もしも真であれば光栄に……」


「ほう、疑うのか?いい度胸だ」


 エルヴァルドは面白そうに口端を上げた。


「未熟者ゆえ、おそれ多くも理解が及ばぬのです。どうかお許しくださいませ」


「ふ…、…まあいい。後で王宮内図書室に行ってみるといい。関連書や資料に限って解放してやる」


「ありがとうございます」


 根拠を示す気があったのかとフェルシアは驚く。見れば、そっとメイドが数冊の本を自分の手元に置いた。どれも背表紙が色褪せ、非常に古そうだ。


「主な記述はそれにある。部屋に届けさせるから後で読んでみるといい」


「わかりました。殿下の温情に感謝いたします」


「ならば、今度はちゃんと使え」


「……もちろんにございます」


 突然、例のドレスについて揶揄やゆされる。それでやっとフェルシアは、あれは贈ることが目的だったのでは?と思えた。話題作りや反応見たさという、理解できない行為に変わりはないが。



「しかし此度の内乱がなければ、お前はこのことを知らずに生きたかもな」



「え……?」


 その言葉にフェルシアは本から顔を上げた。


「お前自身も聞かされておらず、領地も再建中だったな。家に関する記録も多く失ったのではないか?」


「はい。今も復興のため、ライナス様を始め多くの方々に助けていただいております。」


 不審に思いエルヴァルドの表情を伺う。しかし為政者らしく泰然とした瞳は、ただこちらを見つめるのみ。いつの間にか笑みも消えていた。


 一瞬の沈黙。


 疑念を抑え、フェルシアはじっと相手を見返し続ける。すると間を置いてエルヴァルドは静かに語り始めた。


「お前の祖先について知ったのは、年末だと言っただろう?その時期、俺がなにをしていたと思う?」


「確か最後の戦地である、北地へ遠征に出ておられたかと」


 フェルシアはすぐにそう答えた。最後の戦地で反乱軍のリーダーを討ち取ったのはエルヴァルドだ。


「そうだ。そこで反乱軍の幹部が、死ぬ前に吐いた内容でお前の件が明らかになった」


「……?あの、それは……?」


 またふわふわと風が吹く中、フェルシアは眉をひそめる。穏やかならぬ内容だがよく聞く流れだ。最後の一文以外は。


 嫌な予感が高まる。


「昔から、奴らはクーデーターの頭として担ぐ存在を探していた。しかし王家おれたちは結束が固く、父上の威光も根強い。国内の王族縁者をあたり、全員から袖にされて一旦は諦めたらしいが」


 エルヴァルドが語るたび、小さな予感がフェルシアの頭の中で形を変え、大きくなってゆく。


「そんな時、ロドグリッドに王家と同じ紅い目の子供がいると……風の噂で聞いたそうだ」


 反乱軍が旗を上げたのは、自分がまだ九才のころ。フェルシアがまさか、と口を開けばエルヴァルドはとうとう告げた。



「もちろんお前だ。歴史をたどり、王家とグローリーブルー家の関係を突きとめた奴らは、お前を攫って反乱の矢面にしようと考えた」



 知らぬ間に狙われていたと知り、フェルシアの身に怖気が走る。だが、その一年後には……。


「九年前、お前の家が襲撃に遭ったな」


「……はい」


「あれは反乱軍の手引きで例の公爵をそそのかした結果、起こったことだ。その後交渉が難航して、子供を引き取ることができず終わったと」


「それは……」


「敵ながら、お前達の容姿は独特で美しい。そこへ我らの色が加わったことで、決めたのだろう。お前が幼きにして剣の才を発揮していたことも好都合だったそうだ」


 いちかばち、王家の起源をもつ娘を上手く担げば、民衆の支持を得られるかもしれないと。

 自国の革命に異国人を持ち上げるなんてめちゃくちゃだ。だがそれほどに反乱軍は追い詰められていたのだろう。


 信じ続ければ希望は拓ける。

 大願を前にすれば多少の犠牲も些末事だ。そう考え、反乱軍はロドグリッドに工作員を送った。


「それがまさか、一族を壊滅させるとは思わなかったそうだが。ここは、実行役の手元が狂ったと見るべきだろうな」


 やっとわかった。九年前、ゾエグ公爵があまりにも大胆な事件を起こした原因が。そして彼はグローリーブルー家とは犬猿の仲。反乱軍との利害が一致した結果、争乱が過熱したのだ。


 フェルシアは耳を疑った。あまりにも残酷な真相だ。出てくる関係者は皆利己的で、他人の不幸など気にも留めなかったらしい。

 すでにゾエグ公爵はじめ関係者数人は斬首予定だ。私欲を暴走させた報いは受けさせねばならない。


 フェルシアが言葉を失い、俯いていていると。


「ご家族の不幸をお悔やみ申し上げる。領地や領民への被害も。こちらの事情に巻き込んでしまった。事後になってしまったが、この件に関わった者の殆どは刑に架したことをここに伝えよう。残るは罪状を洗い次第極刑となる」


 フェルシアは顔を上げた。驚いたのだ。エルヴァルドは頭を下げているでも、償いを請うているわけでもない。それでも、いつも堂々とした瞳がかすかに歪むのを見て、彼は悔いているのだと知る。

 己の統べる民が数多の命を奪ったことを。


 謝罪、と言わないのはこれが公式見解ではないからだろう。まだテュリエール家とグローリーブルー家の関係だって正式なものではない。

 だからエルヴァルドは今、最大限の説明をフェルシアにしてくれている。


「……お気遣い、誠にありがとうございます。ですが現実はこちらも政争がくすぶっておりました。そちらの話はおそらく、きっかけに過ぎないのでしょう」


 テュリエール反乱軍の手引きがなければ。それでも政敵として狙われたかもしれない。平和を確約された未来などない。


「エルヴァルド様。ご説明くださりありがとうございました。あの日の……疑問の多くが理解できそうです」


「そうか……。だが、礼は受け取らないでおこう。俺はただ、この話は本人も知るべきだろうと思ったまでだ」


「それが私をフルテュリエールに呼んだ理由、だったのですね」


 確かにこの話は書簡では語れない。面と向かってやりとりするのが適切だと、フェルシアが答えると。


「ああ、それが主な目的だが。……俺も会ってみたかった。同じ血が流れ、紅き眼を持つお前に」


 エルヴァルドはまた普段の声音に戻り、フッと笑んだ。その表情がどこか嬉しそうで、フェルシアは目を瞬かせる。


「実際に見て珍しく感動したぞ。お前のような、女神フリュイネの褒め言葉が、これほどまでに似合う女がいるとはな」


「え、あの……?」


「目が丸いからか?唇が小さいからか?その髪など、内から輝くようだな。『髪も肌も艶々で羨ましい』と、ヴェーナが悔しがっていた」


 怒涛の賛美だ。フェルシアは対応に困り、今度は別の意味で冷や汗を滲ませた。今までで一番褒められている。


「だから口説いていたというのに、まるで気付いていなかっただろう?それでも毎回面白くはあったが」


 口説いていた、と正直に言われフェルシアは目を泳がせた。なるほど。……それでライナスが毎回、あれほど毅然と対応していたのかと。

 まったく分不相応だが、いつの間にか自分は男性二人に挟まれていたのだ。


「フェルシア、俺の妃にならないか?」


 エルヴァルドは笑みを深め、さも気軽に問いかけた。だがこれに頷けば、一気に推し進められるだろう。


「俺達には深い縁がある。それに見た目も気に入ったし、お前は意外と気が強い。隣に置いて愛でるのは楽しそうだ。それにロドグリッド(あちら)は過ごし辛いだろう。我が国ならどこにいても気候が合う」


「殿下、それは」


「どうだ?正妃として迎え、生涯の幸せを約束しよう。妃教育もお前なら難なくこなせる」


 フェルシアは本格的に背に汗が滲んだ。こんな公の場で婚姻を迫られるなど、人生でそうあることではない。


「……申し訳ございません。それに関しましては、オリヴィエ公爵に書面で打診していただけますと……」


「いや。俺は今ここでお前の気持ちが聞きたい。本心では、どう思っている?」


 面と向かって見つめられてフェルシアは息を飲んだ。これは本気だ。エルヴァルドはジッと強くこちらへ視線を注ぎ、答えを出さないと許さない、といった雰囲気を出している。


 フェルシアはとうとう、仕方なく口を開いた。



「あ………のですね、殿下。私にはこ……好き合うお方がいるのです」



 恋人、と言えずフェルシアはどもった。すると即座に切り返される。


「なんだ、またあの公爵か?嘘をついてまで逃げるとはな。誇り高き家門の娘が聞いて呆れる」


「え?そ、そんな」


 聞き捨てならない。しかももう相手がライナスだとバレている。的確な詰りに、彼女は一瞬怯んだ。


「お前は本当にわかりやすい。前からあいつに迫られているのだろうが、どうせろくに返事もしていないのだろう」


「違います。ライナス様とはきちんとお付き合いを……」


 フェルシアは焦りながら「実は恋人だった」説を主張する。

 これはライナスの提案だ。「万一の時はこう言うんだよ」と言われたから。しかしその実、二人の関係は特になにも変わっていない。


 それを見抜かれるのか、エルヴァルドはニッと口端を上げた。


「信じられんな。婚約もしてないし、二人でいる時も堅苦しかっただろうが。なら言ってみろ。あいつとはどこまでいったんだ?」


「は……?どこ、とは」


(『どこ』……何処?場所?外出のことかしら?)


 きょとんと、目を瞬かせる彼女へ。獲物を捉え紅の瞳がニヤリと歪む。


「正気か?恋人だというのに、まさかキスもしないと?」


「っ……!」


 フェルシアは固まった。キスとはもちろん、額や手にではない。夫婦がするような……唇同士についてだ。

 あっという間にエルヴァルドは口元を押さえ肩を揺らした。


「まさか、手を繋いだことはあるよな?……完全に子供だな。面白い。あの公爵が恋人に何の手出しもできない男だと、お前はそう言っているんだな?…ふ……っ」


「え、手は繋い……!……あ」


 慌てるあまりボロが出る。これでは白状も同然だ。

 けれど社交界では婚約していようが、男女の過ぎた接触は禁じられる。それはテュリエールでも同じはずだが。


「あの……!ライナス様は、そのように不埒な真似はなさいません」


「は?お前は石頭の家庭教師ガヴァネスか。キス程度隠れて皆やっている。それどころか……ああ、段々公爵が哀れになってきたな。気を付けることだ。ああいう腹黒い男はいつ豹変するかわからん」


 フェルシアはまたしても黙った。そして以前の己なら、ここで咄嗟に反論しただろう。

 しかしライナスについて「腹黒い」とは、今はうっかり肯定しそうなのだ。昨日だって彼にはとんでもない作り話を吹き込まれた。少なくとも自分が太刀打ちできる相手ではない。


 なにか言いたいのに言えなくて。

 フェルシアはもどかしく、口を閉じたり開いたりしてしまった。


「……まあ気にするな。お前はそのままで揶揄からかいがいがあって面白い。異様に鈍い人間というのはたまにいる。この俺にここまで言わせるとは。喜べ」


 喜べないし、慰めを装ってひどい言いようだ。


「ああ……。ますます妻に欲しくなった。ここまで笑わせる女は滅多にいない。今からでも考え直せ。国母になれる機会などこの先一生ないぞ?」


「お、お断りします。エルヴァルド様といると……大変そうなので」


 今までの断り文句も忘れ、フェルシアはつい零した。しかし後悔はない。テーブルの先の表情はまだ笑いを耐えている。

 プロポーズへの対策を両方鼻で笑われ、フェルシアは羞恥に赤くなっていた。



 その後もフェルシアはエルヴァルドに散々揶揄われ、やっと解放されると逃げるように自室へ帰った。

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