42.古き血
フェルシアはライナスへ昨晩の出来事について話した。
ダンスの後、エルヴァルドから場外へ誘われたこと。たどり着いた部屋で壮麗なステンドグラスと肖像画を見せられ、例の王女とセラン神の逸話を聞いたことも。
フェルシアの躊躇いながらの回想をライナスは黙って聴く。
「……以上です。あの……、ライナス様はどう思われますか……?」
口を閉じ、見上げた彼の顔はやや難しげだった。どんな反応をされるかと、昨夜ほどではないが緊張する。
「そうだな……とても興味深い話だ。根拠は弱いが、もし事実であれば君の親族が見つかったことになる。喜ばしいだろう」
その言葉にフェルシアは驚く。まさか肯定的に言ってもらえるとは思わなかった。
「相手が王家なのは驚きだが。そもそも隣接した地で、元より考えうる繋がりだ。そう考えればなにも不思議はないな」
地域で血が混ざるのはよくあることだと、さらりと言われフェルシアは瞠目する。
(不思議はない……)
ライナスの口ぶりはいつもと変わらず穏やかだった。表情にも嫌悪や忌避は全く見られず、ひとまずホッとする。だが。
「その様子だと、君は嬉しくはなさそうだ」
返す言葉に、フェルシアは瞳をかすかに震わせた。
「そう、ですね……。どう思えばいいのか、よくわからないのです」
置いていかれる、と不安だったのを除けばこれが正直な感想だ。
見下げた紅茶に、赤い右眼が映る。これが北国との戦時下ならこの色は危惧ばかりだったろう。しかし今はテュリエールと和平さえ結ばんとしている。
そのせいか嫌がるも危ぶむも曖昧で、気持ちが整理しきれていない。
「もし……もしそうでも。……なにも変わらなければいいな、とは思いますが」
呼び寄せてまで、あの部屋を見せてまで。エルヴァルドがしたかったことがもし、昨日の「王太子妃」発言にあったなら。自分は今望むほとんどを失うだろう。
このままライナスの側で、姉の目覚めを待つかけがえのない日々。
ここ最近はずっと変わりたい。成長したいと思っていたが、昨日から本当に予想外のことばかりだ。するとそこで納得したような声がした。
「ああ。それで『帰りたい』と泣いていたのか」
フェルシアはついピクリと反応した。あの時自分はどんな顔をしていたかわからないが、少なくとも泣いてはいなかったような……。
「……ライナス様?私は泣いてなどいなかったかと」
「そうかな?目が赤かったからてっきり……」
訂正を求めれば不思議そうに返される。これは見たままを言われたのか、また嘯かれているのか判別できない。
「み、見間違いかと。それか、ただ赤かっただけでは」
「となると泣く前だったのか?まあ、俺はそうして縋ってくるる君が可愛かったから、どちらでもいいが」
どちらでも、と微笑んで躱されフェルシアは絶句した。指摘の内容はもちろんだが、それよりも。
(どうして?今更、『可愛い』くらいで……)
当然のように挟まれた一言が気になって仕方ない。以前から言われていたのに、今はどうしてか心がざわざわと落ち着かなかった。
小さく唸りそうな己を置いて、話を戻される。
「まあ少なくとも、変わらないよ。君が思うような方向には」
「それは……?」
首を傾げれば、いつかを思い出させる声がして。彼女は思わず膝上の手をぎゅっと握った。
「この件は事実関係を調査した上で、陛下に奏上するだろう。だが……真偽どちらであっても。君も俺も、目指すものはなに一つ変わらないだろう?」
見返す瞳は真摯だった。出立前、邸の蔵書室で見た色の通りに。
惑わされるな、と語りかける輝きにフェルシアはハッとする。
テュリエールでの目的は、書簡の内容を確かめると共に使命を果たし、無事に帰国すること。一事に囚われ、揺らいでいてはなにも成せない。
「はい……!」
しっかりしなくてはと思い直し、フェルシアは背筋を伸ばした。するとまるで褒めるようにライナスから微笑まれて。
視界の中、木漏れ日のように温かな笑顔に見惚れたフェルシアは、ああ……やっぱりまだまだ彼の側を卒業できそうにないと、自覚する。
「ああそうだ、フェルシア。昨日殿下が言っていたことだが」
ふと変わった声音に注意を向けていると、ライナスは悪戯っぽく笑んだ。
「彼がまた昨日のような申し込みをしてきても、絶対に頷いてはいけないよ。一旦話を引き取って、すぐ俺に報告してくれ。適切に対応しておこう」
「はい、わかりました」
「ちゃんと断れるのか?君は意外に押しに弱いからな」
例の婚姻申し込みについて言われ、フェルシアは目を泳がせた。相手は王太子だ。正直、面と向かって接するのはライナス以上に緊張する。
「……大丈夫です」
「わかった。君を信じよう。目を離した隙に君をとられていたら困るからな。頼んだよ」
そう言ってライナスからそっと頭を撫でられ、フェルシアは頬を染めた。この愛でる仕草が含む意味を、自分はもう知っている。
その後も二人は午後の陽射しの中、穏やかに歓談を続けた。