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【ローファンタジー】 『ありふれた怪異、街の名物』

韋駄天走りの少女

作者: 小雨川蛙

 

 昼下がりの住宅街で不意に怒声が響き渡る。

「待ちやがれ! この泥棒!!」

 怒鳴り声の主は大きな鞄を背負った中年の男性で、彼は拳を思い切り握って振り上げながら一直線に走っている。

「返してほしけりゃ捕まえてみなよぅ!」

 そして、男性の目の前にはキャリーケースを引きながら一人の少女がケラケラ笑いながら走っていた。

 どこをどう見ても男性が少女から盗みを受けたのは明らかだ。

 少女の駆け足はあまりにも早く、どんどんと男性は引き離されていく。

「ちくしょう! 誰かあのガキを捕まえてくれ! 頼む!!」

 息を切らしながらもどうにか走りながら、道行く人に男は頼み込んだが町人たちはクスクスと笑うばかりで何もしようとしなかった。

 その様に男は怒り狂っていたが、それと同時に自分であの少女を捕まえなければならないのだと否応なしに悟る。

 しかし。

 追っていた少女はやがて人混みに消えて、ついには耳障りな音を鳴らしていたキャリーケースの車輪の音さえも聞こえなくなった。

 ここにきて、男はようやく諦めるとそのまま「ちくしょう」と呟きその場に座り込んだ。

 滝のような汗が目に入り痛み、息をする度に苦しくなる呼吸に苛立ちながら、男は再び呟いた。

「ちくしょう」

 すると周りでクスクスと笑っていた町人の内の一人が近くにあった自動販売機からジュースを買って、男へと手渡した。

「災難でしたね。ほら、これをどうぞ」

 ジュースを受け取りながら男は一瞬だけ町人を睨んだが、すぐにこの町人に怒鳴ってもただの八つ当たりであると思い少しの間、無言で居た。

 そんな男の下に次々に町人が集まって来ると、ある者は男に新品のハンカチを渡し、別の者は慰めるように背中をさすり、母親に手を引かれていた幼児に至っては持っていた飴を手渡してきた。

 皆、先ほどまで男を笑っていた者達ばかりだ。

 困惑を通り越し、気味の悪ささえ覚えた男は立ち上がってその場を去ろうとしたが、取り囲んできた者の一人に止められる。

「まぁまぁ、息が整うまで休んでいなさいな。この町には観光で訪れたのですか?」

「いや、目的地は隣町だ。そこに風の女神の彫刻があるだろう? テレビで特集していたのを見たんだ。それで一目見たくて来たのによ」

 そこまで言った後、彼は腕時計をちらりと見て大きく舌打ちをした。

「トイレをしにバスから降りたらこの様だ。バスももう随分前に出ちまったよ」

 バスという単語を聞いて集まった町人の内の一人が不意にスマホを取り出し、慣れた指付きですいすいと動かしていたが、やがてゆっくりとした手つきで男の前に画面を見せた。

「ごらんよ」

「あ?」

 そこに映し出されていたのは最新のニュースで男が先ほどまで乗っていたバスが転倒した映像が流れており、慌てた様子のニュースキャスターが消防車やパトカーそして救急車が必死に救助活動をしていることを語っていた。

 その光景を見て男の顔がサッと青くなる。

 もし、あのままバスに乗り続けていたなら……。

 そんなことを考えていると道の向こうから車輪をガラガラと鳴らしながら先ほどの少女がキャリーケースを引いて戻ってきた。

「おっちゃんの席、14番席でしょ?」

 少女の言葉に男は呆然としたまま頷く。

「あそこ、特に損傷が酷くてさ。下手したら死んじゃうなって思って」

 そう言うと彼女はキャリーケースを男の前に置くと、まるで太陽のように眩しい表情でにへらと笑って言った。

「疲れさせて悪かったね。それじゃ、旅を楽しんでね」

 そんな言葉を言うが早く、少女は再び走り去っていった。

 ぽかんと口を開けたまま男はその背を見つめていたが、その時になり町人たちが皆、クスクスと笑っていた理由に気づいた。

「あんたら、知っていたのか?」

「あぁ。流石に何が起こるかまでは分からないがね」

「ただ、あの子が物を盗んだ時は必ず理由があるんだ。今回みたいにね」

 なるほど、と男は得心がいく。

「なんだよ。あんたらにとっちゃ、この光景は名物みたいなもんなのか?」

「まぁ、そうなるな」

 男はこれ見よがしに舌打ちをして、ひったくるようにしてキャリーケースを持って歩き出した。

 苛立っていた。

 けれど、どちらかと言えば『苛立とうと努力している』のだと自分でも気づいていた。

 ドスドスと音を立てながら歩く男の背に町人の一人が言った。

「あの子、あんたが行く町に売っているマドレーヌが好きなんだ。もし良かったら買って来てやってくれ」

 その言葉に男は振り向かないままに怒鳴り返した。

「もう二度と来ねえよ! こんな町!」


 その三日後。

 男は自らの宣言に反してマドレーヌを買って戻ってきた。

 その様子を見て町人たちが再びクスクス笑う。

「もう来なかったんじゃないのかい?」

「うるせえ。あのガキを呼べ」

 男の憎まれ口が終わるか終わらないかの内に空からあの少女がすとんと降りて来た。

 その姿に男は一瞬、時を失い、彼女に見惚れていた。

「買って来てくれたんだ」

 そう言いながら男の持っていた箱を取ろうとする彼女の頭を軽く叩いて言った。

「盗もうとするな」

「けど、おっちゃん、これ私のために買ってきてくれたんでしょ?」

 男は大きくため息をつく。

「お前のために買ったんだから、俺から渡すんだ。それくらい分かれ」

「じゃ、素直に受け取ってから喜ぶよ。わーい!」

 そんな無邪気な様にため息を一つ吐き、持っていたマドレーヌの箱を彼女へ渡した。

 年相応……いや、見た目相応の喜び方をする彼女を見つめながら男は言った。

「彫像と大違いじゃねえか。盛ったのか、色々と」

 その声を聞いて周りに居た町人たちがドッと笑う。

「だめだよ、それ言っちゃ」

「そうそう。禁句なんだから」

 少女は顔をムッと赤くするとその場から風のように走り去っていった。

 その姿を見送りながら町人と共に男は見送った。


 神という言葉があまりにも不釣り合いな少女は今日もまた町中を駆けまわっている。

お読みいただきありがとうございました。

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