表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

残像

 蛙の声がしている。二人は堤防沿いを歩いていた。数十メートル置きに立った、蛾が群がる街灯が夜道を照らしていた。遠くの街の灯りが地平線でぼんやりと空の色を薄くしていた。

「先輩、私、きっと明後日には、就職活動をしてますよ」

 きわめて普通の口調で蕾は言った。

「先輩の不幸と私の不幸は違うって言われて、少しわかったんです。私はきっと、あれほど変わりたかった『恋がわからない自分』のことも少し愛していたんです。疎外感、孤独感にさいなまれた色盲患者が、自分だけに見える色の存在を信じるように、その欠落に唯一性や、アイデンティティさえ見出していた。恋を知った私は、そのアイデンティティを失った。私は普通の人と一線を画した化け物でも、どうしようもないサイコパスでも、脳にハンデを負った障害者でもなかったんです。私は少し不適合なだけで、ごくごく普通の独りよがりな一般人だったんですよ」

 蕾はカフェで菊池に「まだ痛いですか?」と聞いたときの表情を思い出した。

「先輩と私はすごく似ています。すごくよく似た、平凡です。きっと、今の先輩はあの頃の痛みの100%を感じてはいないんでしょう。いや、感じることはもうできないのでしょう。時々思い出してはかさぶたをはがすけれど、少しずつ痛みは薄れてしまうんでしょう」

 蕾も菊池も主人公なんかではなかった。

「その通り。俺は、あれだけ俺を突き動かした情動も、もう十分に思い出すことができない。諦めて自分の世界に戻り、毎日気を紛らわせながら生きていたら、だんだんそれが当たり前になっていく。普通に生きれてしまうんだよ」

「寂しいですね」

「寂しいよ」

 高架橋の下を通る。橋の上を車が走る音がする。

「お互い、癒しあえたらよかったんですけどね。お互いの傷は、お互いが背負っていくべきなんですよね」

「君はまだわからないだろうけど、時間が経てばこの記憶も、ただ痛いだけの傷じゃなくなる時が来る」

「私、からっぽになったみたいです」

「その傷があるじゃないか」

「いつか、この傷も愛しく思える日が来るんですか?」

「来るといいね」

 線香花火が落ちるみたいにあっけなく、二人は高架橋を抜けたところで別れた。

 朝日が昇る前に一人、家まで歩いて帰るのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 2人は付き合い出すのかな、なんて思いながら読んでいたら……。 この最終話は2人らしくて良かったと思います。とっても引き込まれるお話でした。一気に読み終えました。
2024/06/19 17:05 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ