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牡丹

「君は映画をたくさん観たけれど、恋愛感情を理解することはできなかった。俺にはこのアプローチはずいぶん内向的過ぎるような気がしたな」

 二人は隣り合ったベンチにそれぞれ腰掛け、丸い広場の真ん中の噴水を見ていた。噴水と言っても、それを受け皿のような囲いの真ん中で、常に水の柱が作られているようなものではなく、水の噴出口がタイルの隙間に複数個あり、数秒おきに水を噴射させていた。

 円形の小さな公園は、噴水を囲うようにぐるりと等間隔でベンチと街灯が並んでおり、濃い緑色の葉を茂らせた木がベンチに陰を落としていた。蝉が力いっぱい鳴き喚く声のせいで、二人が少し離れた場所に座り、お互いに聞こえるような声で話していたとしても、聞く人は誰もいないだろう。

「内向的」

 蕾は繰り返した。

「恋愛感情が知りたいと思った時、まず取る行動が、暗い部屋で映像を観ることか?少し不自然に思える。俺なら、外に出て、自分に恋してくれる奴を探す。そしてそいつと付き合ってみて、恋愛というものを体験すると思う」

「私もそう思います。というか、その可能性は既に試しました」

「上手くいかなかったんだ」

「ええ」

 淡い陽炎が噴水の方で揺らめていている。アイスクリーム屋のキッチンカーが二人のいる場所とちょうど反対側に出店の準備をしていた。

「言い方は悪いですが、この人を利用すれば私も恋愛感情が分かるかもしれない、という目論みの元、私を好いてくれていた人と付き合いました。しかし、私の受け身なスタンス、無責任さのせいで上手くはいきませんでした。結果的に彼を傷つけ、それで終わりました。付き合ったら相手の事が好きになるんだと思っていたんです。彼が私に愛を伝えれば私の中でも彼に対する愛が芽生えるもんだと考えていました。彼が彼の力をもって私を『彼のことが好きな私』に変えてくれるんだと勝手に思っていたんです」

「でもわからないのは変わらなかった。それで映画を観るようになった、と。映画を観るだけなら、誰も傷つけることはないし?」

「そうです」

「それ以降恋人は?」

「いません。もう傷つけるのは嫌なんです。相手も傷つけられたくないだろうし、私も傷つけてしまったら嫌な気持ちになります。何より、付き合うのって疲れる」

 最後の言葉はため息といっしょに吐きだすようにつぶやいた。その言いぶりはまるで、相手が傷つくのを気の毒に思う気持ちよりも、傷つけてしまうことで傷を負う自分の心を守ることの方に主眼が置かれているように思えた。

「でもそれってさ、もう4、5年も前の話じゃないの?その時君はおそらく高校生で、彼も高校生だったんじゃないのか?正直さ、そのころの君と今の君はずいぶん違うと思うぜ」

「今、あのころみたいに、別に好きでもない誰かと付き合ってみたら、恋愛感情がわかるかもってことですか?わかる可能性もありますね。だってまだ試していないから。でも私は、自分の犯す不誠実を許すことができないんですよ」

「不誠実?」

「彼は私のこと好きらしいけれど、彼が私に持っている感情と、私が彼に持っている感情にあまりにも差がある。こんな気持ちで釣り合うわけがない。私は彼の事を全然嫌いじゃなかった。でも全然好きじゃなかったんです。申し訳ないから別れようと切り出しましたが、本当は自分のためだと思います」

 菊池は笑った。

「この世の全てのカップルの抱く感情がイコール?そんなことあるわけない。君は恋愛に対して理想と幻想を抱きすぎている。ロマンチストで世間知らずで、夢見がちな乙女だよ。そんなに現実が綺麗なら、離婚や浮気なんか起きるはずない。ただ、運命的な、自分にピッタリの相手を見つけるのが天文学的に大変になるだろうから、だれも結婚なんかできないし、それ以外の付き合いはすべて嘘で無駄ということになる。君が言っているのはそういうことさ」

「知ってますよ」

「表面的にね」

「確かに私は、恋愛感情を知らないから、メディアや創作によってその欠落を埋めてきました。その代償がこのロマンチズムで、そのせいでさらに恋愛感情の理解という目標から遠ざかってしまっているのかもしれません。理解したい対象のことを偏見と幻想で塗り重ね、さらに理解不能にしているのは私自身なのかもしれないということは一理あると思います」

 菊池のこめかみを汗が流れて行った。空はアクリルガッシュで描いたように抜けるように青く、ソフトクリームのような入道雲がそびえていた。

「恋愛感情がわからない人間には、そのアンバランスさが辛いんですよ。辛さと知りたい欲求を比べて、辛さが勝つんです。だから、他人と簡単に付き合ってみようなんて気持ちになれないんです」

「ちょっと主語が違うかもな。恋愛感情がわからない人間、ではなくて、繊細で、相手が傷つくことで自分も傷ついてしまうやさしさがあり、かつ、自分は傷つきたくない人間の間違いだ」

「自分が傷つきたくないなんて、世界の全員がそうじゃないですか。私は私の無知ゆえに一人で傷ついているんですよ」

「相手が傷ついたかどうかは大きな理由ではない?」

「薄情と言われるのを承知で言いますが、正直、私は私のことばかりでした」

 ああ暑、と小さく言って、蕾はベンチから立ち上がった。

「愛だの恋だのについて考えていたら、頭がおかしくなりそうです」

 蕾はタイル張りになっている噴水のエリアへと歩いていく。噴水から水の柱がぱっと飛び出す。この暑さならすぐに乾くだろうが、蕾は全身に水を浴びて広場の真ん中に立つ。

 入道雲をバックに噴水の中に立つ蕾は、まるで主人公みたいだ、と菊池は思う。自分の抱える至極面倒な性分や思想のせいで、思い描くような『普通』になれない。もがいて答えを探そうとしても普通がわからない。誰からも理解されない、独りぼっちの主人公。

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