第四章 その5
「旭さん。あなたはこのあと、どうするのですか?」
「事件の真実は、墓場まで持っていきます。ただ、無関係である岩井様をこのような形で巻き込んだのも事実。ですから、法の裁きを受けます」
「その裁きの判断基準に、事件の真実は加味されませんよ?」
「ええ、その通りです。これは一方的な私の償いであり、ケジメです。ですから、岩井様に許していただこうとは思っておりません。恨んでいただいて構いません。ただそれでも、これだけは言わせてください。このようなことに巻き込んでしまい、申し訳ございませんでした」
と、言いながら旭さんは俺に向かって頭を下げてきた。旭さんに贖罪の気持ちがあるのは、嘘偽りのない事実だろう。
しかし、それ以上に旭さんの中には真実は隠し通すという確固たる決意がある。
その決意は俺がいくら罵倒し、糾弾したところで揺るぐことはないだろう。
この旭さんの謝罪はそのことを俺に通告するためのものであり、そのしたたかさには舌を巻かざるを得ない。
ただ、このまま黙っているつもりはまったくなかった。
俺は一つ、旭さんにある質問をした。
「旭さん、贖罪代わりに一つ、私の質問に答えてもらってもいいでしょうか」
「なんでしょう?」
「なぜ孤児である奥山さんを使用人として迎え入れたのですか? 勝手な想像になりますが、未成年を使用人として引き取るよりも養子として引き取った方が手っ取り早いと思うのですが」
俺の質問を聞いた旭さんは目を丸くした。だがすぐに旭さんは口を開き、ゆっくりと語り始めた。
「今から五年前、奥山がいた孤児院は資金繰りの影響で閉鎖が決まり、孤児院にいた子供達は別の孤児院に移ることになっておりました。そんな子供達が少しでも良い環境の孤児院に移れるようにする趣旨のチャリティーが開催され、前当主である剛三郎様が旦那様を連れて参加いたしました。
ただ、そのチャリティーは実のところ、慈善活動に取り組んでいる姿を世間にアピールするだけもので子供達の行方など、どうでもよかったのです。ですから、その時いた孤児院よりも環境が悪く、問題のあった孤児院に移った子供もいます。そうした表面を着飾っただけのチャリティー会場で、旦那様と奥山は出会いました。そして、チャリティーの本質を知っていた旦那様は奥山の身を案じ、奥山を助けたいと思いました」
「助けたいと思ったのは、金谷郷政太郎がそのチャリティーで奥山さんに一目惚れしたから?」
それはある種の核心を突く質問だった。
そもそも初対面の人間を助けようと思うなんて、事故に居合わせたといった突発的なことでもなければかなり稀なことだ。
だから、もし助けようと思ったのなら、そこには余程の事情があったと考えるべきだ。
例えば、幼かった金谷郷政太郎からしてみたら恋愛感情は十分に余程の事情と言えることだろう。
「それは……私の口から言うのは無粋ですので」
俺の質問に対して旭さんは曖昧な返答をするが、その返答は実質肯定の意味合いを含んでいるものであった。
「しかし、奥山を助けるために旦那様が説得するべき相手は剛三郎様でした。剛三郎様は金谷郷家のことを常に考えているお方でしたが、それ以上に損得で物事を図り、無駄なことを嫌うお方でした。ですから、ただ奥山を引き取るというのは剛三郎様からすれば無駄以外の何ものでもないことです」
「だから、使用人として引き取ることにしたと?」
「そのように旦那様が剛三郎様に提案しました。使用人ならば労働力としてプラスになりますし、相手はまだまだ何色にも染まっていない子供。金谷郷家を第一に行動する人間に育てることができる。剛三郎様は、旦那様の提案からそのようなメリットを感じ、奥山を使用人として引き取ることを決めました。
……旦那様を、責めないでください。幼い旦那様が剛三郎様を説得する手段など、最初から限られていたのです。奥山を使用人として受け入れる。奥山を助けるため、旦那様はそう言うしかなかったのです」
「なるほど。納得しました。その手段は批判されるものかもしれませんが、金谷郷政太郎は当時の自分ができる精一杯の行動をした。その結果、奥山さんは使用人として金谷郷家に雇われた。旭さん、ありがとうございます。これですっきりしました」
「いいえ、お礼を言われるほどのことでは。……岩井様。今度は、私も同じ質問をさせていただきます。これから、どうなさるのですか?」
旭さんの質問は、軽率な回答をすることはできない重たい質問であった。
俺は、俺が殺害された事件の真実を話すことができない。
それは、現状を変えることができないことを意味する。
ただ、旭さんがそのような質問をすることは、予想することができていた。
だから俺はあらかじめ用意しておいた回答を口にした。
「残念ながら真実を話すことはできません。ですから、金谷郷政太郎として生きていきます」
「そうですか。岩井様を巻き込んだ上に、このようなお願いをするのは非常識だということを重々承知しておりますが、どうか、奥山のことを頼みます」
「分かりました。……旭さん。最後にもう一つだけ質問しても?」
「どうぞ」
「今日、あなたは私に全ての真実を話してくれましたか?」
「……というと?」
「いや、これから金谷郷政太郎として私は生きていくことになります。実は後ろめたい人物と関係があったり、金谷郷家の知られざる秘密があったりしたら今後困ることになりそうなので、話していない真実があるのなら、ぜひ全て話してほしいと思いまして」
「なら、大丈夫です。旦那様は剛三郎様とは違いクリーンなお方です。それと、私が知る限りの金谷郷家の秘密は、奥山も知っています。ですから、もしも何か疑問に思うことがあったらぜひ奥山に聞いてください。今日、私は全ての真実を岩井様に話させていただきました」
質問の意図を理解した旭さんは俺を安心させようと、堂々とした態度で返答した。
「そうですか。その言葉を聞いて安心しました。ではここらで失礼させていただきます」
「はい。岩井様、このたびは本当に申し訳ございませんでした」
そんな旭さんの謝罪の言葉を受け止めながら俺は立ち上がり、旭さんに背を向けて面会室の扉に歩み始めた。
さて、ここまでの旭さんとのやり取りで一つ、あることが証明された。
それは、旭さんはとんだ嘘つきであるということだ。
そもそもここまでのやり取りは様子見のようなもので、俺は旭さんに隙を見せないよう細心の注意を払いながら旭さんという人間を観察していたのだ。
旭さんは動揺した様子を相手に見せるが、逆にそれで相手を油断させて本当に隠すべきことは隠し通すという演技派の人間と言っていい。
間違いなく、犯罪者として強敵だ。
準備不足のままこの人に挑んでいたら俺はおそらく負けていただろう。
だが、どうやら俺の準備は万端だったようだ。旭さんの嘘、旭さんが隠し通そうとする真実を俺はしっかりと見据えることができている。
本当の勝負の始まりはここからだ。
何時ぞや犬成が言っていたように、徹底的にねちっこく追い詰めてやろうじゃないか。
そんなことを考えつつ、俺は扉に向かって歩む足を止め、振り返って旭さんに視線を向けた。