凍結都市 第四話
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「こうなったら、しかたがない。恵子ちゃんに、協力しようじゃないか。でもね。いま関東で起きている、雪の被害をおさえることはできない。おれたちがやるべきなのは、それよりも、災害の原因の解明だ」
つめよると、強気な態度で要求する恵子に対して、乗り気でないとわかる態度で耕一が返したセリフが、それだった。
あのあとで、どうなったかというと。
二人きりで話しができる、どこかによい場所はないか。
恵子からそう頼まれた耕一が、彼女を連れていった先は。二人がいた闇市から徒歩ですぐに行ける。建設途中だとわかる、がらんどうの建物だった。
建物の土台と、外壁と、内部の仕切りだけしかできていないが、完成すれば、これは大型の商業施設になるらしい。
耕一の説明によれば、ここに連れてきたのは、次のような理由からだった。
「ここはおれが、闇市で売るために運んできた品物を隠しておくのに使っている、仮の宿みたいな場所なんだ。こことは別に、集めた燃料や食糧をストックしてある拠点もつくってある。そっちなら、その気になれば、そこで冬も乗り切れるだろう。でもまあ話し合いなら、ここで充分だろ?」
この場所について、自分に自慢しているらしい耕一の説明をききながら、恵子は雪に埋もれた建設途中の建物の内部に入る。
耕一が自慢したとおりに、寝泊りするためだろう。建物の内部の、外から風と雪が吹き込まない位置には、冬山の登山で使用するような本格的なキャンプが設営されている。恵子はそれをたしかめる。
雪がいま以上に降って積もって、建物が雪で埋まっても、キャンプを上の階に移動させて、ここで生活できるように工夫したらしい。ほかにもなにか運び込んで隠しているようだが、耕一は恵子にそれを語ろうとはしなかった。
というわけで、内密な話ができる場所に移動した二人が、前述のやりとりをかわしたあとで。続きを待っている恵子に、浮かない顔でいる耕一が言ったのが、次のセリフだった。
「おれたちにできることは、それくらいだ。そして今後は、いまいった原因の解明のほうが、必要になるはずだ」
たしかに効果的な除雪の手段を実行するのも。高速道路や幹線道路や、鉄道の線路に積もった雪を、とりのぞく方法を考案するのも大切だろう。でもそれだけでは、根本的な解決にはならない。
なぜ関東に、こんなに大量の雪が降ったのか。雪ってのはそもそも、水蒸気が凍ってできた小さな氷の結晶に、空気がまざってできたものだ。ほかの季節には雨として降ってくるものが、冬の季節には、凍った状態のままで空から降ってくるものだ。
これが雨という液体の状態ならば、一時的に都市を水没させる災害をもたらしても、液体だから、すぐに都市から消えてしまう。雨は、都市の表面にとどまることができずに、排水溝を通り、下水道を抜けて、川や海へと流れていってしまう。
ところが雪という固体の状態だと、そうはいかなくなる。雪は降れば降ったぶんだけ、地上に積もって、そこにとどまる。雪が降りやまなければ、積もった自重で建物の屋根を壊す。都市を雪で埋めてしまう。溶けて水になったり、蒸発するまでは、地上にずっと、消えずにあり続ける。冬の季節のあいだ、そのせいで雪害が続く。
この雪も、季節が変わって春になれば。溶けて水になって、川や海へと流れていくだろう。そこで太陽にあたためられて、気化して水蒸気になって、また空気中へともどっていくだろう。そうやって循環をくりかえす。
こういっちゃなんだが、夏にゲリラ豪雨の問題が騒がれだした時点で。冬にそれが今度は雪になって降ってくる、と気付くべきだったんだ。そして雨のときよりも、雪のが被害の規模は大きくなる、と予測するべきだった。
関東の都市は、なかでも東京は、大雪への対策がされてない。雪は降らない前提のもとに、東京はデザインされているし、雪が降らない前提のもとに、東京は発達をしてきた。
北海道や、東北や北陸といった、豪雪地帯にある各都市は、雪に対してインフラやライフラインの対策がされている。道路や鉄道などの交通網や、電気やガスや上下水道は、大雪のなかでどうやってそれを機能させるか、それを考慮してつくられている。豪雪地帯の住民も、大雪のなかでどうやって生活するのか、冬がくる前にその準備をする。
除雪のための除雪車といった装備や、予算や人員を確保しておくとか。建物や配管が冬でも凍らないように処置しておくとか。市町村は、前もってその対策を盛り込んで設計してあるし、降ったあとの準備もしている。
今回の雪害も、豪雪地帯にある都市の被害は、そんなに大きくならないだろう。豪雪地帯で暮らす人々なら、この自然災害をどうにか耐えて、無事に生き抜くだろう。
それとは対照的に、関東の都市は。特に東京は、そうはいかないだろう。被害の規模も、犠牲になる人々も、豪雪地帯とはくらべものにならないくらいに大きくなる。それは、雪への対策をおこたったからだ。
「東京の常識がこの国の常識になっているので誤解されているが。じつは日本という国は、雪が多い、国土の半分ちかくも豪雪地帯がある、世界一の豪雪国なんだよ。
今回のこの大雪は、気象庁でも気付けなかった、気象の変化が原因だろう。だからまずはさ。その気象変化を読み解くところから始めなきゃ、ちゃんと効果がある対策は立てられない。気象庁の職員として、恵子ちゃんにも、それくらいはわかるだろ?」
「……」
恵子は考え込む。耕一が言っていることは、間違っていない。大雪が降りだした原因をさぐり、そうなる仕組みをつきとめなければ、たしかに対策の立てようがない。
でもつきとめたとしても、そこから大雪を降らせないように、自然現象を制御できるとは思えない。だったら、雪害に苦しめられている都民を救うために、いますぐになにか行動した方がいいんじゃないだろうか。
悩んだすえに恵子は、耕一を見すえて、このようにたずねる。
「わかった。それで、そのためには、なにをしたらいいの?」
「まずはおれを、気象庁本庁に連れていってくれないか? おれみたいな現場を離れたやつのたわごとよりも、現役の専門家たちのがこの問題に、深い理解と造詣、それに見識を持っているはずだ。
彼らと話し合い、対策をたてるべきだ。もしかしたら、どうすればいいのかわかっていても、省庁は上下の力関係が絶対だから、進言できない、行動できない、そういうことになっているのかもしれない。政治的な問題で、身動きがとれなくなっているのかもな。
だけどもう、そんなことを言っちゃいられない状況だ。こうなったらいっそのこと、有名人の恵子ちゃんが先頭にたってさ。都民に呼びかけて行政側を動かしてさ。気象庁がそれを後押しするんだ。そうすれば、きっと……。って、なにをやってんだよ?」
耕一の進言を恵子は黙ってきいていたが、耕一のアイデアに同意したり、その意見に反論するかわりに、着ていた防寒着を、上着から次々に脱いでいく。
目を丸くして驚いている耕一の前で、恵子はボタンシャツの胸ポケットから小さくたたんだビニールパックをとりだすと、それを耕一にわたす。期待していた耕一の前で、これで用はすんだ、というように、恵子はまた防寒着を身につけ始める。
耕一はビニールパックをあけると、でてきたUSBメモリーを前に、その意味を問うように、服をまた身につけてしまった恵子を見やる。
「?」
「気象庁本庁は現在、計画停電の対象地域に入っているから、一部の予報業務をのぞいて、すべての業務を停止中よ。
行ったところで、保守点検管理のためのわずかな人員しか残っていない。あなたが期待しているような、そんな気象庁あげてのバックアップなんてできないのよ。まずそれを理解してもらわないとね。
気象庁に協力してもらい、この事態を解決できると考えていたのなら、それは無理だってことよ。なにかほかの方法をとるよりないのよ。わかったかしら?」
事情をまったく理解できていない耕一に、恵子は憂鬱そうな表情で、まずその事実を手短に伝える。
恵子が、気象庁本庁の現業室の面々から、有効に役立てるように、とわたされたUSBメモリーだが。
メモリーの内容を読み込むには、ノートパソコンでもタブレットでもいいが、読み込むためのポートがある端末を用意しなければならなかった。
耕一のねぐらには、そのどちらも用意されていた。とはいえ、どちらの端末もバッテリー切れだった。どうにかして充電しなければ、その用途には使えなかった。
しばらく悩んでから耕一は、これは緊急時用にとっておいたもので、できればこんなことで使いたくないんだがな、とぼやきながら部屋の奥に行って、肩からさげる大型のショルダーバックを運んでくる。
バッグをひらくと、耕一はなかから、両手で持てるコンパクトサイズのポータブル発電機をとりだす。
でもそれを動かす燃料はどうするのよ。闇市でガソリンを買ってくるの?
そうたずねる恵子に、耕一はくびを横にふってかえす。
必要になったら、たしかに闇市で買うこともできる。ガソリンは高価だから、それなりの量を購入しようとしたら、大金がかかるけどな。だからこいつを調達しておいた。こいつはガソリン以外の燃料で動くんだ。
耕一は説明を続けながら、バッグの横のポケットにつめこんでおいた、カセットコンロに使うカセットボンベをとりだす。
ポータブル発電機の上蓋をあけると、カセットボンベ二本を、内部にそれぞれセットする。続いて、発電機のコックを開にすると、ひっぱって始動させるレバーであるスタータグリップを、勢いよくうしろに引く。
ブォォォンというエンジン音とともに、発電機が動きだす。
「これはポータブルガス発電機ってものでね。ボンベ一本で30分間稼動する。今回の災害の前には、値段も八万円から十万円で購入もできた。あると便利な道具だが、発電できる電圧が低いから、ノートパソコンは無理かもしれないな」
耕一は説明を終えると、あてにはできない、といった態度で、充電ケーブルをつけたタブレットを発電機につないで、タブレットの電源ボタンを押す。
ここで本編を進める前に、耕一が言っていた、日本が世界一の豪雪国家だ、という発言について補足をしておく。
これについては語り手の下手な説明よりも、首相官邸HPに記載されている、雪害ではどのような災害が起きるのか、というページの冒頭にでてくる紹介文と、そのページある紹介図を見るのがわかりやすい。(できれば首相官邸HPを見てもらいたい)
「日本では、国土の半分以上が豪雪地帯に指定されており、約二千万人もの人々がそこで生活を営んでいます」
その紹介文とともに、紹介図となる日本地図が載っている。日本地図は色分けされていて、北海道がほぼすべて、ほかにも東北地方、北陸地方が色分けされた対象地域になっている。
この日本地図の色分けされている部分が、豪雪地帯と、特別豪雪地帯になる。そうでない部分は、日本地図の右側と、下半分しかない。これは大げさな表記ではなく事実で、日本の場合はなんと、国土の半分が豪雪地帯なのだ。
豪雪地帯と、特別豪雪地帯を数について、もっとくわしく解説すると、次のようになる。一部引き写しがあるが、許してほしい。
日本の豪雪地帯は、面積にして国土の半分にあたる、約19万平方キロメートルとなる。豪雪地帯にある自治体数は、24道府県、532市町村で、これは全国における約31パーセントにあたる。豪雪地帯に住む人口は、前述のように約二千万人だが、これは全人口の約15パーセントにあたる。
ではその豪雪地帯のなかに含まれる、特別豪雪地帯はせまいのかというと、そういうわけでもない。こちらは国土の約20パーセントにあたる、約7、5平方キロメートルとなる。自治体数にして201市町村で、これは全国の約12パーセントにあたる。人口は約321万人で、全人口のうちで約2、5パーセントが特別豪雪地帯で暮らしていることになる。
続いて、ナショナルジオグラフィックによる、日本の豪雪地帯の紹介記事をあげる。記事では、これだけ大勢の人が住んでいるところに、これだけ大量の雪が降るのは、日本だけしかない、と語っている。世界的にみても、これだけ人口が多い都市に、毎年こんなに大雪が降る国はほかにはない。そのように賞賛というか、あきれたような感想を述べている。
この紹介記事の裏付けとして、世界的に大雪が降る豪雪都市のランキングを調べてみると、そのトップスリーが日本の都市であるのがわかる。1位は青森市。2位は札幌市。3位に富山市だ。
1位の青森市は、過去30年間の降雪量の平均は646センチと、ひと冬で、六メートル越えになる。トップテンの資料では、年間降雪量が792センチで、八メートル近い降雪がある、となっている。(青森には八甲田山があって、樹氷にスノーモンスターが有名である)
2位の札幌市は、年間降雪量が485センチで、ひと冬で、五メートル近く降るのがあたり前だ。3位の富山市は、年間降雪量が363センチで、ひと冬で、四メートル近くなる。
世界全体でみれば、もっと降雪量が多い地域や地帯はあるかもしれない。だが人口が100万人を越える大都市で、これだけ大量の雪が降るところは、日本だけなのだ。
ちなみにこれは人口が多い都市部でのハナシなので、日本の山間部の積雪量は、これ以上のさらにとんでもないものになる。興味がある人は、富山県の立山黒部アルペンルートなどを調べてみると、よいかもしれない。
あわせて豪雪地帯と、特別豪雪地帯についても説明をしておく。
ウィキによれば、豪雪地帯とは、冬に大量の積雪がある地域をいう。
具体的には、積雪積算値の平年の値が50メートル以上の豪雪地域であり、日本の法制度では、豪雪地域対策特別措置法に指定された地域をいう、とある。
(積雪積算値とは、毎日の積雪をくわえていった値になる。大ざっぱに言えば、50センチの積雪が、100日続く地域が、豪雪地域となる)
豪雪地帯に指定されるのは、特別措置法の数値基準によれば、「過去30年間の累年平均積雪積算値が5000センチ日以上の豪雪地域が三分の二以上ある市町村」になる。
そしてこのなかに含まれる特別豪雪地域の指定条件は、「豪雪地帯のうちで、過去20年間の累年平均積雪積算値が15000センチ日以上の豪雪地域が半分以上ある市町村」になる。
豪雪地帯、特別豪雪地帯に指定された地域には、除雪や交通、通信の確保、地域の振興などのための豪雪地帯対策基本計画が定められていて、行財政上の特別な配慮が行われる。
そして、ここが重要だが、豪雪地帯と特別豪雪地帯に指定されているのは、そのほとんど日本海側にある都道府県になる。太平洋に面する都道府県では、北海道、青森県、岩手県の三道県のみが対象になる。
ほとんど全域が豪雪地域に指定されている北海道にしても、特別豪雪地域に指定されているのは、日本海側になる。
ここまでのことからわかるように、じつは私たちは、毎年たくさんの雪が降って、毎年たくさんの雪が積もる、それが当たり前の国に住んでいる。
同じ国のむこう側と、こちら側で、どうしてこんなに雪が降ったり、降らなかったりするのか、そのあたりを不思議に思ってもいいはずなのに、そういうことを考えてもみない。
日本海側では毎年大雪が降っているのだから、私たちがいる、太平洋側にだってなにか気候の変化があれば、大雪が降るようになる可能性がある。でもこうして実際に起きてみるまで、私たちはそういうことに、まるで無頓着なのだ。