第7話 リスタート
「ねぇ、帰るわよ」
突き刺すような冷たい声に呼び止められる。
握られた一ノ宮の手を離し、恐る恐る振り返ると怪訝そうにこちらを見つめるあの女がいた。
「一人で帰れよ」
俺は千咲を睨みつけて吐き捨てるように言う。
千咲はいつものように食いかかってきた。
「は? 私だって一人で帰りたいわよ」
「じゃあ帰れよ」
「だから! それが出来ないって言ってんでしょ!?」
千咲が拳を振り下ろそうとしたその瞬間。
「ストーップ!」
一ノ宮が俺たちの間に割って入ってきた。
「二人とも落ち着いて。それに、もう少し周りを見た方がいいよ」
軽く辺りを見渡す。
クラスメイトの冷たい視線が俺達二人に向けられていた。
「ちょっと来て」
一ノ宮は俺と千咲の手を掴み、小走りで学校を後にした。
学校から出ても立ち止まらない一ノ宮に問いかける。
「どこ行くんだよ」
「ちょっとそこのカフェ」
一ノ宮の視線の先には小さなカフェがあった。
一ノ宮は店へ着くなり、俺と千咲の背後にまわって背中を押してきた。
「お好きな席へおかけ下さい」
「はーい」
一ノ宮は再び俺たちの手を掴んで、店の角にある四人がけの席まで誘導した。
「じゃあ隼人はここで、水見さんはここね」
有無を言わさず俺達は並べて座らせられた。
千咲は露骨に嫌そうな顔をしたが、流石に店内で殴りかかってくるようなことは無かった。
俺達は適当に注文を済ませて一息つくと、千咲が口を開いた。
「初めまして、私は水見千咲と申します。
今回、このような形で私たちを連れ回したのには何か理由があるのでしょうか?」
千咲にしては偉く丁寧な言葉遣いだった。
…というか、俺以外にはこうなのか?
ただ、丁寧な言葉遣いではあるのだが、その声色は明らかに怒りを含んでいた。
一ノ宮はミルクティーを少し飲んで、俺の方をチラッと見て少しだけ笑った。
「初めまして。私は一ノ宮桃です。名前でも苗字でも好きな方で呼んでくれていいから。よし、自己紹介はここまでだね。
水見さんが知りたいのは、私があなた達を学校から連れ出した理由だよね」
千咲は特に何も言わず頷いた。
一ノ宮は続ける。
「理由は二つ。まず一つ目。あのままだと絶対喧嘩してたでしょ? てかもう喧嘩してたような気がするけど。あなた達だってクラスの人たちにそんな所を見られるのは嫌でしょ?」
千咲は明らかに動揺していた。
本当に周りが見えていなかったようだった。
ま、俺も人の事は言えないけど
「二つ目は、二人に聞きたいことがあって」
「何でしょう」
「担当直入に聞くね。あなた達って付き合ってるの?」
俺と千咲は声を揃えて言った。
揃える気なんてこれっぽっちもなかったけど。
「「だれがこの「女」「男」なんかと!」」
「ほら仲良いじゃん」
「「違う!」」
「へー。ふーん」
これ以上は何を言っても無駄な気がするので俺と千咲は黙る事にした。
まあ、机の下で足を蹴りあってるんだが。
「結局、聞きたいことはそれだけですか?」
千坂はもう怒っているのを隠す気が無くなったのか、責めるような口調で言う。
そんな事は気にも止めず、一ノ宮は笑顔のまま更に質問する。
「んーと。さっき水見さんが言ってた、帰るわよ。って隼人に言ったんだよね。付き合ってもないのに一緒に帰るって、おかしくない?」
「それを言ったら一ノ宮さんだってこの男と帰ろうとしてたじゃないですか。…手まで繋いで」
「妬いてるの?」
あーそれは言っちゃダメだ。絶対ダルい。
「違うわよ! 別にこの男が誰と付き合おうが知ったこっちゃない! 私が言いたいのは、一ノ宮さんが言ったことが矛盾してるって事よ」
千咲は、丁寧な言葉遣いなんてクソ喰らえ。とでも言いたげな表情で一ノ宮を責め立てた。
確かに一ノ宮が言った事は矛盾してる。ように見える。
付き合っても居ないのに一緒に帰るのはおかしい。と言うのが一ノ宮の主張だ。
だが、そう言った一ノ宮も俺と帰ろうとした。ように千咲からは見えただろう。
千咲はニヤリと笑った。
「別に私たちは一緒に帰ろうとしてた訳じゃないよね? 隼人」
「あ、うん」
「ほらね? 水見さん。私たちはあくまでともだちとして昼ご飯を食べに行こうとしてただけだよ?」
一緒に帰るよりも、昼食を一緒に摂る方がよっぽど恋人っぽいと思ったが、敢えて俺は黙っておいた。
普段高圧的な千咲が責められているのは見てて気持がいい。
千咲が小さくため息をついて言った。
「昼ご飯を一緒に食べる方がよっぽど恋人に見えますけど? まぁ、あなたが何を言いたいのか分かりませんが、仮にこの男と私が付き合ってたとして、あなたに何か関係ありますか?」
「それを言われちゃおしまいだね。でも、仲が悪いのは本当だったようだね。ごめんね隼人、疑っちゃって。あと、水見さんもごめん。野暮な事を聞いちゃったね」
一ノ宮は俺と千咲が不仲である事をやっと信じてくれたようだった。
まぁ千咲が俺を殴ろうとしてた所を見れば、不仲なんて疑いようの無い事実な気がするけど…。
「話は終わったようなので帰りますね」
千咲は一瞬俺の目を見てすぐに店を出ていった。
恐らく、「後で合流しろ」って事だろう。
「あー悪い。俺も帰るわ。昼飯はまた今度食べに行こう」
「そうだね。こんな雰囲気のまま食べに行くのも違うね。また後日誘うから、連絡先だけ頂戴」
「分かった」
メールアプリの友達が一人増えた。
その後、一ノ宮とはすぐに別れて千咲の所へ向かった。
…その途中、一ノ宮からこんなメールが来ていた。
『水見さんをちゃんと家まで送るんだよ。
彼氏じゃなくてもどうせ一緒に帰るんでしょ?』
結局全部見透かされていたらしい。
まぁ、一緒に住んでいる事さえバレなければ無問題だしな。
千咲からのメールは「駅」だけだったが、おそらく朝使った駅で間違いないだろう。
急いでそこへ向かう。
千咲は駅に繋がる階段の前で腕を組んで偉そうに立っていた。
「遅い」
「うるせぇ。お前が速すぎんだよ」
「早く帰るわよ」
千咲は足早に階段を降りていく。
いつものように少し距離を空けて後ろをついて行った。
目的の電車はすぐに来た。俺の地元と違って三時間に一本とかでは無いらしい。都会はすげぇや。
俺達はその電車に乗り込む。
平日の昼間だからか、普通に座れるぐらいには席が空いていた。
俺は一人、少し離れたところにある窓側の席に座った。
-スッ
「わざわざ離れてやったのに何で隣に座んだよ」
「好きであんたなんかの隣に座ってる訳じゃない。あんたの勘違いを正そうと思って」
そう言った千咲は地面をじっと見つめて、一呼吸置いて言った。
「一緒に帰るって言ったのは、お母さんたちが家で待ってるからよ。別々に帰宅したらうるさいでしょ?」
「ま、そんなとこだと思ったよ。で、勘違いってのは?」
何故か千咲は頬を赤く染めた。これから恥ずかしい事でも言うんだろうか。
「私があんたと帰りたいから呼び止めた。とか思われたくないってだけ。そこを訂正したかったの。
お母さん達が居なかったら別々に帰るつもりだったから」
そんな事かよ。つまんね。
「んな事分かってるよ。お前が俺の事を嫌いなのも、俺がお前の事を嫌いなのも、この先ずっと変わらない。それでも上手くやってかないといけない事は分かってる。だから、今回みたいな状況は仕方ないと思う。今後もその辺は割り切って考えるつもり」
少し間を置いて千咲は相槌を打った。
「…そうね」
「ああ」
「………」
次の駅に着くまで特に話をする事もなかった。
俺は窓の外を眺めて時間を潰した。
思ったよりも、都会の景色はつまらなかった。見渡す限り、建物と人ばかり。
山も川も田んぼも海も無い。
「帰りたい」そう思ってしまうのは俺が悪い。
*****
目的の駅に着いた。
駅から家まで歩いて十分ほど。この女と二人きりで十分も歩く事を考えると気が重くなる。
毎回こいつの後ろを着いていくのは癪なので今回は俺が先を歩く事にした。
二,三分歩いた所で千咲が喋りかけてきた。
「あの人と随分親しくなったのね。下の名前で呼ばれるくらいに」
あの人。というのは一ノ宮の事だろう。
千咲とはどうも馬が合わないようだが、俺にしたらそんな事はどうでもいい。
「まあな。それがどうかしたか」
「……別に」
「あっそ」
後ろに居る千咲の顔は大体想像出来る。
自分よりも先に友達を作った俺に対して怒ってんだろうな。どうせ。
確かめる為に一瞬だけ視線を後ろに送った。
……俺の予想は外れていた。
*****
-パンッ
玄関を開けたと共に破裂音が数回した。
「入学おめでとう! 隼人、千咲ちゃん!」
「おめでとう。隼人くん。千咲」
あー掃除ダルいって。
飛び散らないタイプのクラッカーにしてくれよ。
とは言えない。
俺と千咲は張り付いたような笑顔で二人の相手をした。
二人は流石に泊まることは無く、食事を摂ったらすぐに帰って行った。
やっと肩の荷がおりた。暫くはあの二人の顔も見なくて済む。そう考えるだけでかなり気が楽になった。
寝る前に千咲に一つだけ伝えて置くことにした。
「明日からは別々に行き帰りな。言わなくても分かってるだろうけど一応な。後、今日みたいに学校では喋りかけて来るなよ。変な噂たてられたくねぇし」
珍しく何の反論もしてこず、素直に頷いたのが妙に気持ち悪かった。
ただ、これでこの女と関わるのも必要最低限で済むだろう。
俺はこれから始まる高校生活に期待を膨らませて眠りについた。