第3話 ゆめ
「まずは買い物に行くわよ!」
借家に着いてやっと落ち着けると思ったらこれだ。
「一人で行けよ」
古くなって色が変わった畳に寝転がったまま、俺は答えた。
「は? 馬鹿じゃないの?
こんなか弱い女の子を、見ず知らずの土地で、しかも一人で、歩き回らせるつもり?」
何言ってんだこの馬鹿。
か弱い女の子は人を殴ったりしねぇよ。
「ふーん。か弱いねぇ…」
「んんんん」
顔を真っ赤にして、その場で地団駄を踏んでいる。
何これ、めっちゃ面白いんだけど。
動画撮りてぇ。
「何でもいいから、早く行くわよ!
アンタは黙って着いてくりゃいいのよ!
荷物持ちでもしてろ!」
本当に無茶苦茶だ。
でも断ったら殴られるよなぁ…
「はいはい。分かりましたよ。お嬢様」
「分かればいいのよ。アホ奴隷」
結局俺は逆らう事ができなかった。
痛いのは嫌だし。
*****
「わぁ、人がいっぱい!」
千咲は目を輝かせている。
子供らしい所もあんじゃん。
「田舎者ってばれるぞ。
せめて、その開いたままの口を塞げ。
ただでさえアホズラなのに、間抜けズラって。
救いようがねえな」
「……っるさいわね。早く行くわよ」
あー誤魔化した。
顔赤くなってんのバレてんぞ。
こうして二人きりで一緒に行動するなんていつぶりだろうか。
もう二度と無いと思っていたんだけどなぁ。
これから増えるんだろうなぁ。
はぁ。
千咲は何も言わずに前だけを向いて歩く。
そんな千咲の三歩後ろを俺は歩く。
やっぱりこの距離感が丁度いい。
お互い話さないで済むし、むやみに相手を傷つけずに済む。
俺たちが十数年かけて、やっと見つけた距離感。
暫く歩くと、家電量販店の看板が見えてきた。
「目的地ってのはここか?」
俺が尋ねると千咲は特に何も言うことも無く、店へ入っていった。
ここで待ってりゃいいのかね。
まぁ、二、三十分もすれば出てくるだろ。
俺は通路の壁に背中を預け、千咲を待つ事にした。
「なんで着いてこないのよ!」
一分ぐらいしてから、激昂した千咲が出てきた。
「おー、早いね。もう買ったの?」
「馬鹿じゃないの? アンタも一緒に入るのよ」
「何で?」
「何でって…私一人に全部選ばせるつもり?」
「別に俺はそれで構わないけど? お前の好きなようにしてくれ」
…あ、ヤバいか、コレ。
あと二秒後ぐらいかな。多分。
「その振り上げた拳を降ろして頂けませんか?」
「無理」
即答かよ。
*****
「良かったね。顔の形が歪まなくて。
あぁ、何もしなくても歪んでたわね。
アハハはっ。ごめんね」
店内ではしゃぐなよ。
声でけーよ。ってか、まじで右頬が熱い。
今日だけで何回殴られたっけ。
もう数えるのが面倒臭いや。
「で、何を買うつもりだ?」
一人でズンズン進んでいく千咲に聞く。
これ聞こえてんのかな。
「うるさい」
良かった聞こえてた。
じゃねえよ。なんだよ、うるさいって。
俺は黙り込んだ。
いつもの距離感を保ち、千咲の後ろを歩く。
「あった」
千咲の視線の方向には電子レンジがあった。
これネットで買った方が良くないか?
A〇azonなら一日足らずで届くだろ。
なんでわざわざ買い物なんかに…
「ほら、持ちなさいよ」
は?普通後で送って貰うんじゃねえの?
いや重てえよ。
腕が千切れそう。
「アンタ男でしょ? そのぐらい持てるでしょ。
だっさ。ってか何か喋ったら? 口すらも動かないわけ?」
お前がうるさいって言ったんじゃん。
とは言えない。
どうせ拳が飛んでくる。
「なに? 無視するわけ? もういいわ。
次、洗濯機よ」
は? 洗濯機? 借家だろ? 普通ついてるだろ。
俺は頭の中で、さっき見た借家を思い出す。
いや、なんもなかったわ。
「…はぁ」
ため息が止まる事はなさそうだ。
*****
「ふぅ、これで一通り買ったわね」
ものすごくやり切った感を出しているこの女は、実際の所何もしていない。
俺の腕が取れかけているのも、このクソ女のせい。
というかまだ繋がってるかな。
神経死んでねえよな。
「冷蔵庫とか、テレビとかの大型家電は今日の夜には送られてくるから。
取り敢えずアンタが持ってる電子レンジと炊飯器、それは持って帰るわよ」
どうしてコイツはこんなに偉そうなんだ?
何もしてねえじゃん。
「何よその目。文句あるわけ?」
「ないです」
俺がそう言うと、千咲はすぐに前を向いて歩き始めた。
労いの言葉の一つぐらい掛けてくれてもいいんじゃないか。
最もこの女に言われたところで、嬉しくも何ともないんだけど。
この女とあと三年間は一緒か…
「ちょっとここで待っておいて。お花を摘みに行ってくる」
お嬢様様気取りかよ。お花を摘みにって…
気色悪い。
俺は通路の端にある小さなベンチに腰掛けた。
「ふーっ…」
やっと落ち着く事ができる。
俺は目を閉じる。
結局今日一日、バスの中で、三十分ぐらいしか寝れてないんだよなぁ。
あぁ、まずい。もう…
*****
「はやとくん。これ、あげるね」
小さな手には、それ相応の小さな黄色い花が握られている。
「ありがとう。ちいちゃん」
男の子はそれを両手で受け取り、大事そうに恐竜図鑑に挟む。
「どうして、ほんではさむの! せっかくあげたのに!」
「こうすればずーっともっておけるの!」
二人は言い争っている。
顔はよく見えない。
「そうなんだ。ずーっとだいじにしてくれるんだ」
「うん。だいじにするね」
「じゃあ、おとなになってもそのはなをもってたら、わたしと…」
*****
後頭部に鋭い痛みが走る。
「何寝てんのよ」
後ろを向くと仏頂面でこちらを見つめる女がいた。
「わるい。ちょっと落ちてた」
「まぁいいわ。これあげる」
千咲が差し出した手の先には、タピオカドリンク?
「どういう風の吹き回しだ?」
「今日は付き合ってもらったから、その礼よ。
勘違いしないでよね。ただ、貸しを作りたくなかっただけだから」
「はいはい。分かってますよ。
それでも、ありがとな」
「……」
千咲は後ろを向いて黙り込んだ。
せっかく礼を伝えてやったのに無視かよ。
つくづく嫌な女。
俺は貰った飲み物を喉に通す。
「初めて飲んだけどめちゃくちゃ美味しいな。
これ、俺たちの地元には無かったよな」
「そうね、SNSかテレビぐらいでしか見る事なかったもんね」
片手でスマホを弄りながら、もう片方の手で飲み物を持ちながら千咲は答えた。
すげえ器用な事するな。
もしかして出来て当たり前なのかな。
俺も挑戦してみた。
-ゴトッ
「あんた相変わらず不器用ね」
「笑うなよ」
俺は落ちたスマホを拾い上げる。
ふと、さっき見ていた夢の事を思い出す。
あの後、あいつはなんて言ったんだっけ。
そもそもあれは現実だったのか?
俺はおもむろに自分の財布を取り出し、中身を漁る。
今にも崩れそうな萎れた花が紙幣の間に挟まれていた。
「まさかな…」