部長、謁見する
「いいなあ、王宮。
わたしも行きたかったなあ……」
ルブルグ家の応接間。
わたしは、ソファの上でどんよりしていた。
ルブルグさんの外套を試着していた部長が、がはははは、と遠慮なく笑う。
「自業自得だ」
「どこがですかぁ」
「お前が<ホグワーツ送り>になったりするから、お貴族さまの前に顔が出せないんじゃないか」
ルブルグ夫人──ネルーさんが、わたしに聞いた。
「ホグワーツ?」
「……魔法学校ですよぉ」
「あら、じゃあ<あちら>にも魔法学校があるの?」
「ないない。それは、あくまで創作ですから!」
魔法が使えることがわかっても、いいことなんか何もない。
わたしは、主に貴族の子女が通う魔法学校・聖シアルネ学院に、身分を隠して入学する予定だ。
だから、貴族が集まる王宮での謁見の場に参加するわけにはいかない。
異世界人として、貴族に顔を覚えられて、得になることがないからだ。
だからこうして、部長が王宮に向かう準備をするのを、指をくわえてみているしかない。
「……段取りは、お話しした通りです。
大公殿下と王妃さまは、基本的には、直接お言葉を発されません。
ご下問があれば、執事長からになります。
献上の品は、先に宮中に納めてありますので、近侍の者がお披露目します」
ルブルグさんが、たんたんと説明する。
「献上品って、部長、何を差し上げたんですか」
「ふっ、もちろん、我が社の誇る<出版物>だ」
「……まさか、週刊TUESDAYのグラビア写真集とか、『寄生猫』とか『進撃の獣人』じゃないですよね……」
「そんな刺激の強いもの、こんなファンタジックな国の王さまに、いきなり献上できるかバカタレ。打ち首になるわ」
……わたしは知っている。出発前、部長が机の上にそれらを並べて悩んでいたことを……
「よかった。じゃあ、結局、何にしたんです?」
「政治体制も、思想宗教も異なる国家に、どんな書物を献上するか──。
そのチョイスにも編集者魂があらわれる。俺のチョイスは……」
その1: 瀬戸口寂仲訳『源氏物語』初版豪華版全10巻
「……1200年以上前の小説なら、<こっち>の倫理的に問題があっても、笑って流せる。
それに、お貴族さまの話なら、王族にも理解しやすいだろう。
さらに、一般人向けの我が社の出版物とはいえ、この初版本は外箱ありで、装丁に日本画が使われている。ま、ゴージャス感も演出できるというわけだ」
その2: 青柳鉄子著『窓際のポッポちゃん』
「あまり知られていないが、うちの出版物の中で、中国で圧倒的なロングセラー記録を打ち立てた作品だ。
子供のありのままの個性を受け入れる学び舎のあり方、その理想に、政治体制は関係ない。
大公ご夫妻には、まだ幼い姫君がいると聞いてな、念のために持ってきたやつだったが、一緒に献上した」
……うーむ、なるほど。
普段「エロとバイオレンスが足りない」とかダメを出しつづけて、新人漫画家の担当者に煙たがられている部長からは想像できない、教育的チョイス……
「……謁見の間での儀礼的なご挨拶が済んだら、夕刻からはレセプションとなります。
今回は立食で、舞踏の時間もありますが、セイジさんがダンスに参加される必要はありません。
殿下が臨席されるかは、そのときのご気分次第です。
ですが、失礼ながら王侯貴族の来訪や、外国大使の着任というわけではないので、まず、お出ましはないでしょう。
気楽に過ごされてください」
「気楽と言ってもな。まわりは大臣や貴族だらけなんだろう?」
「それはまあ……。
お取り次ぎはわたしがしますから、疲れたら言ってください。休憩できる時間を作りますよ」
さすがは男爵さま。
パーティーでの人のさばきは、慣れていらっしゃる。
「……いいなあ、パーティー。
この国のおいしいものとか、そろってるんだろうなあ」
「そうねえ。王宮のお料理って、あまりおいしくはないのよね」
ネルーさんが、ティーカップを手に取りながら言った。
「そうなんですか?」
「ほら……お台所が遠いから、お料理は冷たくなっているし。
お毒見が入るから、時間も経っているし……。
期待できるのは、お酒とデザートくらいかしら、ねえ、あなた」
ルブルグさんは、困ったように笑って言った。
「どうかな。この季節だと、森うさぎのパイが出るだろう。あれは、冷たくてもいけるよ」
「スコーンに、黒スグリのジャムがつくかしらね」
「うん、それに、あのホイップバターは悪くない」
「……おいしいもの、いっぱい出るんじゃないですか……」
ううううううううううう!
「やっぱり、わたしも行きたーい!」
ジタバタしていると、ネルーさんが見かねたように言った。
「ねえ、ペレル。ランはわたしと一緒に、参列者としてお城にあがってはどうかしら」
「だって君、ミズハさんの招待状がないじゃないか」
「入るときだけ、ニッケに頼めばいいのよ」
「そりゃ、内務省の通行証があれば、誰何されないだろうが……」
こうして、わたしは(こっそり)王宮にもぐりこめることになったのだった。
謁見の間。
ゴテゴテとした飾りはないけれど、磨き上げられた石の表面が光る、大きな玉座。
その隣に並ぶ、一段小さな玉座は、王妃さまのものなのだろう。
アーチ型の高い天井にはステンドグラスの入った天窓。
東西に広いバルコニーが取られて、山並みや、遠くの湖──わたしが入学する学校が湖畔にある<静謐の湖>レンリル湖だ──までが見渡せる。
床には色違いの石のタイルが、格子模様を描いて並べられている。
天井から垂れる緑色の幡印には、山並みから昇る太陽の紋章──レガシス公国を治めるモイヤー家のものだ──が金糸で刺繍されている。
集まった貴族や、その家族たち(意外なことに、子供も結構混じっている)は、思い思いに景色を眺めたり、立ち話をしていて、にぎやかだ。
厳粛な雰囲気というより、小さな国らしい、フランクな貴族社会が、ここにはあるのかもしれない。
街の教会や東の山の修道院から、<夕日の刻の1番>の鐘が鳴る。
つまり4時だ。
衛兵が大きな杖で床を2回突く。
金刺繍の上着をまとった初老の男性が、よく通る声で口上を述べる。
「異世界の商人、書物業者にして、ヒロシとミエコの子、トモヤ・セイジ殿!」
大扉が、重々しい音を立てて開く。
貴族風の衣装に身を包んだ部長が、神妙なおももちで入ってくる。
……うわー、わたしこれ、参加しなくてよかったわー。
お貴族さま方の面前で、父母の名前までさらされるとは、想像しなかった。
「介添えに、ルブルグ男爵ペレル・ギャガさま。
なお、お客人は異世界の御仁ゆえ、お集まりのみなさまには、儀礼習俗の違いがあっても寛容にあられたいと、大公殿下より、あらかじめのお言葉がございました」
なんと行き届いたご配慮。
部長、恥ずかしいことしないでくださいよ……。
「大公殿下、王妃殿下」
ご出座の声がかかると、広間に集まった貴族は一斉に膝を折った。
わたしもあわてて、あたまを低くする。
レガシス大公ジョゼ・ベルド・モイヤー3世。
長身。白髪混じりの髪をカッチリ整えている。
年齢は……50歳くらいかな。
銀色の宮廷服を着ていても、屈強そうな体つきが見てとれる。
口髭をたくわえた、イケメンおじさまだ。
王妃ルテシア・ガルシーン・モイヤー。
夫である大公よりは、だいぶ若く見える。30代?
豊かな黒髪。上品なプラチナゴールドのローブ。
薔薇のような唇。
そして──
……なんか、妓楼の主人デュルレさんに似てるんだけど。
この国の<美人>っていう定義が、ああいう感じなんだろうか。
両殿下が玉座につくと、脇にひかえた執事長が「御着座」と静かに言った。
貴族たちが身を起こす。ひそひそ声の私語も聞こえるようになった。
痩せた老人の執事長が、平伏したままの部長に声をかける。
「お客人も、面をあげられよ。殿下へのご挨拶を……」
「はっ」
部長も、さすがに緊張してるな〜。
「……太陽の昇る国、誉れたかきレガシスの統治者たる大公殿下、また大公殿下と双子の月のごとく添われたる王妃殿下に拝謁の機会をたまわり、恐悦至極に存じます。
わたくしは、異世界よりまいりました、書物を編み、商う者。
殿下のあたたかいご配慮と、商工大臣、文化大臣のご厚意により、王都に支社をおくご許可をたまわりましたこと、あつく御礼を申し上げる次第でございます」
おお、すごい、本格的!
練習の成果、出てるじゃないですかー。
執事長が、従者たちに合図をする。
「貢物をこれへ」
献上品の本が、うやうやしく運ばれてくる。
「なんだあれは」
「よく見えないわ」
と周囲からささやき声がする。
うーん……。
『源氏物語』10巻本、外箱つきは、日本だと<豪華版>だけど……。
この大空間に、これはちょっとショボかったかな……。
部長が、声を張って言った。
「これなるは、はるか異世界の品にて、1200年を超える古より、我が母国で愛読されたる物語でございます」
「1200年とな。では、神話伝説の類か」
「いいえ、これは宮廷につかえた女流作家の手になる、小説です」
「なに、小説」
「許されざる恋に身を焦がす、美貌の皇子が、苦難を経て栄華を極める、王朝の物語です」
まあ、と艶やかな声がした。
扇で口元を隠した王妃さまが、面白がるような表情を浮かべて、執事長に耳打ちした。
「その古の官女は、罰せられなんだか」
執事長が、王妃の言葉を代弁するように言った。
「とんでもない。彼女は、ときの権力者だった大臣の庇護を受け、皇帝までが、この物語を楽しんだと言われております」
「貴殿の母国の古代王朝は、実に寛容だったとみえる」
「は……古代王朝と申しましても、連綿と形を変えて、いまに至るまで続いてはおりますが」
「なんと」
場が静まった。
声をあげたのが、大公殿下その人だったからだ。
「そなたの母国では、1200年以上も、同じ王朝が続いておるのか」
「世界大戦ののち、その有りようは大きく変わりましたが……はい、同じ王朝が続いております。
神話の時代まで遡れば、その歴史は2600年を超えるとも」
「2000年を超えると……。
我が公国の歴史はたかだか600年。それ以前の王家も、騒乱つづきで100年ともってはおらぬ。
いや、実に興味深い」
大公殿下は、執事長を呼んで、小声で何かを話すと、部長に言った。
「異世界からの客人よ。今宵は宴の用意もあるが、滞在は長いと聞く。
機をあらためて登城し、我にそなたの母国の話を聞かせてはくれぬか」
「ははっ、よろこんで参上つかまつります」
すごーいじゃん。
なんか、えらいことになっちゃってますよ、部長!
でも、そうよねえ、王さまも大変なんだろうなあ。
王家を長続きさせるハウツー本があるわけじゃないし……。
わたしが、そんなことを考えていると、
チィ……
明らかに舌打ちする音がした(<こっち>の人も舌打ちするんだ)。
思わず、あたりを見回す。
けれど、人が多すぎて、誰が舌打ちの主か、わからない。
謁見の時間が終わり、レセプションが行われるホールへと移動したあとも、わたしの耳には、あの敵意のこもったイヤな舌打ちの音が残っていたのだった。