部長、あやしむ
「うーんとねえ、それでねえ、ウサギさんが出てきて、うんとこしょ、ってするんだよ」
「ちげぇよバカ、森からクマが出てきて、うんとこしょだろ?」
「えー……ウサギさんだよぉ」
王都の一角。
旧市街の外れにあるレダニス救貧院。
わたしは、ネルーさんに付き添ってもらい、ルブルグ家の遠縁の娘として、ここにやってきた。
貴族のチャリティーの一環という名目で、子供たちの「好きなお話」を取材しにやってきたのだった。
意外なことに、子供たちが語る物語は、どれも<あちらの世界>の童話と似ている。
いま、子リスのような女の子と、子グマのような男の子が、喧嘩しながら教えてくれた話は、「大きなカブ」そっくりだ。
それ以上に、驚いたのは──。
子リスと子グマ。
これは、必ずしも比喩ではない。
子供たちの耳は、人間の自然な耳の位置よりも、やや上についている。
しかも、毛に覆われて、モフモフしている。
そんな子供たちを、この救貧院のあちらこちらで見かけるのだ。
「あの……この子たちは、人間、ですか?」
わたしは、ネルーさんにこっそり耳打ちする。
「ええ、もちろん。人間だって、環境に適応して、いろいろな形をとるでしょう?」
「え、あ、はあ……」
「あの女の子は、チター族。東方の大樹地域に住んでいて、樹上都市を築いている種族ね。
男の子はロッブ族。北方の山岳地帯の出身じゃないかしら」
「でも、王都では、こういうモフモフな子は、あまり見かけないような……」
「わたしたちは、都市生活者の一族ですもの。
でも、王都にだって、よく見ればいろいろな人がいるものよ」
ううむ。
なんだろう、この違和感。
<こっちの世界>は、進化のスピード感が、わたしたちの世界とは全然ちがうのかな。
環境に適応して、身体が変わる。
お互い、「同じ人間が変化しただけ」という記憶が残るような、短い歴史の間に?
いやいや、いまはその違和感はおいておこう。
わたしは、ふくれっつらになってしまったふたりに言った。
「ミリちゃん、トビくん。ウサギさんとクマさんは、どっちも正解かもしれないよ?」
子リスのようなミリちゃんが、こくびをかしげた(かわいすぎる)。
「どうして、お姉ちゃん?」
「ミリちゃんの覚えているお話は、東の国のお話。トビくんが覚えているお話は、北の国のお話。
お話が人から人に伝わる間に、ちょっとずつ違う物語になっちゃうことは、よくあるのよ」
「ふーん。じゃあ、ミリとトビのお話は、どっちがご本になるの?」
む、鋭い。
それは悩ましい問題だよね。
昔話を出版物に落とし込む行為は、大きな目で見ると、実は結構、インパクトが大きい。
もし、わたしが、この「3番目にカブを引っ張る登場人物」をウサギにしたら。
本が広まったあかつきには、「ウサギ」が定番になって、「クマ」だった地域の文化を侵食するかもしれない。
人々の記憶は、「ウサギ」で上書きされて、「クマ」だった物語は消えてしまうかもしれない。
シンデレラだって赤ずきんだって、別のバリエーションが存在したかもしれないのだ。
「ご本は、みんなのものだから、たくさんの人に聞いてみて、多くの人が知っているお話を選ぼうかな」
「そっかぁ」
「ふたりの他に、このお話が好きな子はいるのかな?」
「ユーナちゃん!」
ミリちゃんが即答する。
わたしは、付き添ってくれた修道女のアステルさんにたずねた。
「ユーナちゃんという子にも、お話を聞くことはできないでしょうか?」
「いえ……それは、難しいかと……」
ネルーさんが、声のトーンを落として聞いた。
「……何か、ご事情が?」
「ユーナは、急な病で倒れて、意識が戻らないのです」
「まあ……」
「実は、このところ、そうした子が、たびたびおりまして……。
あわれに思し召して、ルドボロン伯爵さまが別館を医療棟に改装してくださったのですが、今では10人ほどが眠りから覚めぬまま。日に日に弱っていくばかりです」
なんだろう。
あやしい臭いがする。
わたしは、なるべく自然に聞こえるように言った。
「では……せめて、彼女たちのお見舞いだけでも、させていただけませんか」
「ええ、もちろん。ありがとうございます」
修道女のアステルさんは、微笑んで言った。
医療棟。
もとは礼拝堂だったのだろうか。
天井の高い2階の大部屋に、ベッドが並べられている。
白いカーテンがはためいている。
換気もいいし、まぶしくない程度に明るい。
環境は、悪くない。
衝立で仕切られたベッドのひとつに案内される。
寝かされているのが、ユーナちゃんだという。
天使のように、くるくると巻いた、明るい栗色の髪。
子供らしく丸みを帯びた顔。
でも、その顔からは血の気が引いていて、青白い。
何かにさいなまれるように、目をぎゅっと閉じている。
ネルーさんが、修道女のアステルさんに聞いた。
「<神の御恵>は……」
「使ってはいるのですが、スポンジに吸い込まれる水のようで……。
身体は一時的に活力を取り戻すのですが、すぐに弱ってしまうのです」
え、なんだって?
「えーっと、すみません、いま、なんて?」
「ええ、ですから……回復魔法は、効果がないのです」
「いや、その前のところを……」
いやだわ、ランったら、とネルーさんが大袈裟に声をあげた。
「すみません、この子は田舎から出てきたばかりで……。
王都では、教会の方は、魔法のことを<神の御恵>とおっしゃるのよ」
あ、なるほど、隠語ですか。
いちおう、魔法の存在は一般市民には秘密なんだもんね。
わたしはふと思い立って、青ざめて冷たくなったユーナちゃんの手を取った。
ユーナちゃんの全身を<意識>する。
──回復魔法なんていう、すぐれものがあっても、治せない病気もあるんだな。
魔力の流れを感じる。
血管の向こうへ。
神経の向こうへ。
小さな身体の奥底、このネットワークの先に、ぼんやりと見えてくる、塊のようなもの。
それが、人の<意識>らしい。
いまのわたしでは、ユーナちゃんの自意識にたどり着いても、それを揺り動かすことはできない──。
──?
明るい雲のようなユーナちゃんの<意識>に、いくつか、食い込んだツタのようなものが見える。
他の魔力の流れより、少し太くて、テラテラとギラついた感じ。
その流れをたどる。
ユーナちゃんの<意識>の中心からは、どんどん遠くなる。
カヤックで急流をくだるように、次第に流れが速くなる。
滝つぼに落ちていくように、暗い穴が目の前に広がり始める。
あれは──どこかの──部屋──?
わたしの意識も、吸い出されてしまいそう──。
「ラン、戻りなさい!」
ネルーさんの厳しい声で、ハッと我に返った。
わたしは、ユーナちゃんのベッドの脇に座ったままだ。
「どうかしたのかね」
低い声がして、灰色がかった髪をした初老の男性がやってきた。
修道女のアステルさんが、深々と頭を下げる。
「リース先生……ルブルグ男爵家の方々が、子供たちをお見舞いに」
「おお、そうでしたか。わたしは医師のリースと申します。
ルドボロン伯爵さまのご配慮で、この子たちの治療にあたっております」
「あの……」
わたしは、思わず聞いた。
「子供たちの、エネルギーが、流れ出る道があるみたいですけど……」
「ほう」
リース医師は、目を細めた。
「あなたは、それを<感知>したと」
「ええっと、ええ、まあ……」
「我々も、そこまではわかっているのです。回復魔法をかけても、生命力が奪われる経路がある。
問題は、それがどこに通じているかだが……おわかりになりましたか」
「いえ、そこまでは……」
「なるほど」
一瞬だけ、ジトッと、見られた気がした。
リース医師は、ユーナちゃんの脈をみると、わたしたちに言った。
「とにかく……治療は我々に任せて、むやみに魔法などおかけにならないようにお願いします。
回復魔法は、魔法をかけられた子供たちの心身も消耗させますからな」
ルブルグ家に戻ってドレスを脱ぎ、支社に戻ったわたしは、原稿のまとめ作業をはじめた。
でも、気になるのは病室に寝かされたユーナちゃんたちのことだ。
「おい、お前さっきから、完全に手が止まってるぞ」
部長が、どこかから手に入れてきた香草茶を持ってきてくれた。
「うーん……気になることがあるんですよね……」
わたしは、救貧院で流行っているという病の話をした。
部長は、腕組みをして考え込む。
「なるほど……それはクサいな」
「でしょう?」
「倒れたのは、みんな、女の子か」
「たぶん……そうです」
「他の共通点はどうだ。そうだな……たとえば、そのユーナちゃんは、何族なんだ」
「何族って、耳は普通でしたから、たぶん王都の人たちと同じです」
「他の子はどうだ」
「そういえば、たぶん、普通の耳の子ばかりだったと思います」
「年齢は。髪の色は。髪型は。瞳の色はどうだ」
「ちょっ、ちょっと待ってください。そんなのわかりませんよ」
「なんで取材してこない。それでも雑誌やってたのか」
わたしはふくれっつらで言った。
「なんなんですか、俺のグレートでパーフェクトな絵本企画の取材に行ってこいって言ったくせに。
わたしは事件取材に行ったんじゃありません」
「けっ、絵本の原稿だって、ろくに進んでいないくせに、いっちょまえなこと言ってんじゃねえよ」
くーっ!
「だいたい部長! わたし、気がついたんですけどっ」
「なんだよ」
「これ、効率悪くないですか? わたしが<こっち>の言葉で原稿書くより、最初からネルーさんにでも書いてもらったほうが、絶対早いですよ」
やれやれ、と部長は肩をすくめた。
「ばーか、お前、それじゃダメなんだよ。
まあ、しかし、気づかれたか……。
これは、お前には言わないでおくつもりだったんだが、説明しないと納得しそうにないな」
「……なんですか?」
「お前、<通詞の魔法>って、妙だと思わないのか」
「妙?」
「目の前にいる相手が伝えたいことを、俺たちの脳内で、俺たちの言葉に変換する。
なるほど、それはそれで、納得だ。
だが、その説明が成り立つのは、会話のときだけだろう。
なぜ、書かれた言葉でも機能するんだ?」
「それは、書いた人の<意識>が……」
「なんだよ。文章に乗っかってるってのか? 印刷された言葉や、ディスプレイ上の文字にもか?
残留思念か? それじゃあ、サイコメトラーだろうが」
たしかに。
じゃあ、いったいどうして、読むことができるんだろう。
「いいか。俺たちは、自分たちで思っている以上に、<統制された情報>の中にいる可能性がある。
仮に<通詞の魔法>の正体が、俺たちに聞かせたいこと、読ませたいものだけを伝える、<こっち>のやつらに都合のいい魔法だったとしたら?
俺たちの思考は筒抜けで、逆に、向こうからは制限された情報しか与えられていないとしたら?
それを確かめるためには、あいつらの生の言葉を理解しないと、立ち向かえない」
「つまり、絵本の執筆にかこつけて、<こっちの言葉>を学べってことですか?」
「<通詞の魔法>を無効化できるのは、いまのところ、お前だけだからな。
それに、数ヵ月後には、お前はひとり、敵地で寮生活だ。言葉がわかって損はない」
敵地って……。
だが勘違いするなよ、俺のパーフェクトな出版計画は本物だからな、と部長は付け加えた。
「それにしても……なんで最初から、今の話も教えてくれなかったんですかっ」
「バカだなあ、相手は<意識>に働きかけられるんだぜ?
最初から余計なことを知らなければ、お前からは秘密の漏れようがねぇじゃねぇか」
……なるほど……。
「とにかく、お前は余計なことに首を突っ込んでないで、しっかりお勉強するんだぞ。
そっちは、俺が探りを入れてみる」
部長は、空になった木製のマグをブラブラさせながら、部屋を出ていった。
──探りを入れるって、どうするのよ。
一向に集中できないまま、時間だけがすぎていく。
やがて、わたしは睡魔に負けて、蝋燭の灯りの下で、目を閉じてしまった。
ちょっとずつ話が複雑になってきました(汗)。
がんばって書いていきます!