部長、奮起する
聖シアルネ学院。
創立から500年を超える歴史を持つ、レガシス公国の名門校。
王都リカルド旧市街から西方に60ミード(1ミードは大体0.9キロ)。
<静謐の湖>と呼ばれる、レンリル湖のほとりに建つ修道院・聖シアルネ修道院の付属学校。
卒業年限は3年。
希望者は研究生として、さらに2年の在籍が許される。
生徒の入学時年齢は、14歳から20歳までと幅広い。
表向き、それはこの学校が「上流階級に相応しい教養を身につける」ためのものだからと説明されているらしい。
つまりは、お貴族さまやエリートの子弟に、「箔をつけるため」の学校というわけだ。
でも実際は、子供たちが魔法に目覚める年齢が、それだけバラバラなのである。
さて。
そんなエリート校に、ちょっと変わった新入生がやってきました。
黒髪を揺らして、歴史あるゲートをくぐる、彼女は、誰でしょう?
……いや、あたしだよ。
29歳、独身。水波らん。
これから、わたしのティーンエイジャー生活がはじまる(……イタい……イタすぎる……)。
ただ、「学園編」スタートの前に、もうちょっと語るべきことがある。
さかのぼること、3ヵ月。
ルブルグ男爵家の遠縁の娘、ラン・ミズハとして聖シアルネ学院に入学するわたしの、設定年齢が告げられた。
それが、なんと16歳。
「いやいやいや、無理でしょう!?」
わたしは、そう絶叫したが、ルブルグさんは困ったように肩をすくめて、部屋を出ていってしまった。
あとに残ったルブルグ夫人いわく、
「18歳より上だと、社交界デビューしたあとになってしまうから、いくら地方出身ということにしても、貴族階級の誰にも会ったことがないのは不自然なのよ。
17歳だと、大舞踏会の準備をしないといけないし、16歳がいちばん落ち着いて勉強できるわ」
「だからって、29歳で16歳をやるのは、もはや罰ゲーム……」
「大丈夫よ。ランは十分かわいいのだから。
鏡に向かって、毎日念じるの。『わたしは16歳、わたしは16歳』って」
いやあ、それは余計にイタいのでは……。
わたしが毒の瘴気でも出しそうにドンヨリしていると、ルブルグ夫人は、こう耳打ちしてくれた。
「じゃあ、とっておきの魔法を、教えてあげましょうか?」
その、とっておきの魔法とは、<初級回復魔法>。
人間の細胞に働きかけ、その人の<自意識>が持つ、<本来の形>に修復させることをうながす魔法だ。
本人が意識の中で、<自分の姿>を認識している必要があるので、意識を失った人には使えない。
また、植物はもちろん、意識のありようが異なる動物の回復にも使えない。
そうしたものを癒すには、術者が知覚した<相手の姿>で、情報を<補完>する必要がある。
ルブルグさんがわたしに使った、<中級回復魔法>だ。
とにかく、<こっちの世界>の魔法は、基本的に<意識>との関係が非常に重要らしい。
で。
わたしにとって、<初級回復魔法>が重要な理由は、回復とは、まったく別のところにあった。
<自分が意識する姿>に、細胞を再配列させられるなら──。
16歳のときの自分をイメージしながら、自分を回復すれば、どうなるか。
<全回復>は望めなくても、理想の自分には、近づける──。
ルブルグ夫人、ネルーさんの見立てによれば、
「魔法をかけて、寝る。
これを2週間くらい繰り返せば、ちょっとは理想に近づけるかしら」
というのだ。
ってことは、猶予は2ヵ月半じゃないですかー!
29歳のまま16歳のフリをするという<地獄の状況>を回避するため、わたしの全力投球がはじまった。
どこで聞きつけたのか、わたしの計画を知った部長は、鼻で笑った。
「お前みたいな、校了紙まで真っ赤にしなきゃ連載を仕上げられないようなトンチキが、いきなり、魔法の習得なんか無理に決まってんだろ。
だいたい、動機が不純なんだ、動機が」
──ぐぬぬ、そもそも、誰のせいでこんなところに来たと思ってんの。
でも、いらいらしてもはじまらない。
こんな<究極の美容法>、存在を知ったら、試してみざるをえないでしょ!?
わたしは、毎日のように、支社とルブルグ家を往復した。
先生役を買って出てくれたネルーさんは、回復魔法のコツを、やさしく教えてくれる。
「まずは、回復される人の全身に、自分の<意識>を伝えることをイメージするの。
最初は、相手の身体に直接触れて、温度を感じたり、指圧をして、相手の不快感を取り除いてあげようとしながら練習するのも効果的よ」
──なるほどー。
子供の頃は、田舎のおばあちゃんの家に行くと、よく肩をもんであげたものだった。
コリコリと固まった筋肉や筋を押すとき、おばあちゃんは、よくこう言った。
「らんちゃん、コリはね、悪いものが滞って、溜まったようなものなのよ。
だから、ぎゅーっと押すだけじゃなくて、ながれろーながれろーって、悪いものが流れていくように押してあげるの」
大人になった今は、なんとなくわかる。
たしかに、コリは筋肉疲労の結果の乳酸や、リンパ液の流れが滞った結果、生じる症状らしい。
雑誌の編集をしていた頃、健康特集の取材で、お医者さんが言っていた。
指先から。
血管の向こうへ。
リンパ管の向こうへ。
神経の向こうへ。
相手の身体の中へ、遠く、深く。
<気>……じゃなかった、<魔力>を送り込み、影響させる。
「……うん、ランは<魔力>を届けるのが、とても上手ね」
練習開始から5日目。
わたしの先生兼実験台になってくれるネルーさんは、そう褒めてくれた。
もともと、ネルーさんは<感知魔法>、つまり、魔力の流れや乱れを知覚するが得意なのだとか。
わたしが、魔力を相手の身体の隅々にまで届けられるようになったのは、たしかなようだ。
「でも、肝心の回復は、まだ掴めないみたいね」
「……相手の全身を<意識>するまでの流れは、なんとなくわかったんです。
でも、自意識の中にある<本来の形>に戻すっていうところから、どうイメージしていいかわからなくて」
「うーん……」
ネルーさんは、唇に人差し指を当てた(考え込むときの彼女のクセだ)。
「ランは、ちょっと頭でっかちになりすぎかもね。
人が思い描いている<本来の自分の姿>を、他人が全部、理解して受け入れることなんて、できないと思う。
そこには、歪んだ思いや、醜い欲望も潜んでいるかもしれないし。
だから、相手の意識に踏み込みすぎる必要はないのよ。
こう考えてみればいいんじゃないかしら──」
──あなたの身体は、あるがままでいいんだよ。
「そう伝えてあげれば、身体は安心して、あなたの魔力を養分にして、回復していく。そんな感じかしら」
うーん、そんな乙女チックなことで、いいんでしょうか。
いや、ネルーさんみたいな、おっとりふんわり女子が<許して>くれるなら、誰の身体でも、理想の自分に向かって動き出すだろう。
でも、わたしがブリッ子アイドルよろしく、「いいんだぞ☆」なんて伝えても、相手はゲロゲロだ。
どんな身体でも、拒絶反応が起こるんじゃないんだろうか?
わたしは、ここで大きな壁にぶちあたったのだった。
「はあ……」
夕食どき、支社の机の上に突っ伏したわたしは、すっかりやる気を失っていた。
ドン。
扉が無遠慮に開く音がして、ドタドタと足音が響く。
「おい、ミズハ。ついに、俺のパーフェクト企画案が指導するぞ」
「部長ぉ、いまは勘弁してください……」
「おまえの<邪道魔法>のスランプなんて知らねえよ。いいから聞け!」
あれ。部長、なんかやる気になってるし。
「ミズハ。お前、この国には、いくつ救貧院があるか、知ってるか」
「きゅーひんいん?」
「要するに、孤児院だな」
「さあ……10軒くらい?」
「114だ」
「え、そんなに?」
「王都にいると感じないが、<こっちの世界>の山や海には、とんでもない巨大生物がはびっこている。
地元の人間は<魔物>と呼んでいるらしいが──まあ、魔法があるくらいだ。魔物がいてもおかしくない。
とにかく、地方を中心に、突然親をなくす子供が、あとをたたないんだそうだ」
「……かわいそうな話ですけど、なんでそれがパーフェクト企画案になるんです?」
「まあ聞け。電子デバイスが一般的でない以上、この国で売るとしたら、紙の本しかない。
だが、まず、この国の市中には、本屋がない。
書籍は貴族の持ち物で、高級品だ。だから、いきなり市民に本を売ろうとしても難しいだろう。
一方、貴族は貴族で、俺たちが扱うような印刷物は、廉価版として見向きもしそうにない。
やつらにとって、書物は高級な芸術品であることに価値があるからだ。
じゃあ、廉価版の本でも金を出すやつがいて、かつ、確実によころばれる場所はどこだと思う?」
「それが、救貧院、ですか?」
部長は、その通り、と机を叩いた。
「いいか、救貧院ってのは、お貴族さまの寄付で成り立っている。チャリティーだ。
子供たちがよろこぶ、善人らしいネタを、パトロンたちは常に求めてるんだよ。
そこに、ビジネスチャンスがある」
「……人の善意も、部長にかかると、とたんにゲスっぽくなりますね……」
さらにだ、と部長は胸をはる。
「半年後に、何があるか、お前知ってるか」
「半年後?」
この国には四季があるというから、今からだと冬の終わりだろうか。
「わかりません」
「聖ロマリア祭だ」
「聖ロマリア祭?」
「かつて教会の司祭だったロマリア神父が、冬越しの祝いのために、当時、重い税が課されていた市場からの税の徴収をタダにした、という伝説がある日さ。ようするに、市場の祭りだな。
人々は、この日に街に繰り出して、家族への贈り物を買うんだ」
「クリスマスみたいなものですね」
「そう、クリスマス商戦ならぬ、ロマリア商戦があるわけだ。
そこで、俺の目論見はこうだ。
まず、救貧院へのチャリティーとして、子供向けの絵本を貴族に購入させる。
その上で、子供たちの反応を見て、いちばんウケのよかった商品を、ロマリア商戦に投下する。
つまり、救貧院への販売は、市場調査でもあるってことだな。
文化大臣には、ロマリア祭の前に、識字率向上運動の一環として、絵本の読み聞かせを奨励するキャンペーンを張ってもらう。
この国の庶民が、自分から手頃な値段の本を買おうとする、そういうムーブメントを起こすわけだ。
これは売れるぜ、なんせ、ブルーオーシャンだからな」
うーん、とわたしは唸った。
「部長の考えた大仕掛けは、まあ、わかりました。
でも、肝心の絵本は、どうやって作るんですか?
<あっちの世界>の絵本を取り寄せても、カルチャーが違いすぎて、ウケるかどうか。
それに、子供は語彙が少ないから、<通詞の魔法>で<あっちの世界>の言葉を読ませても、ちゃんと意味が伝わるのか、ちょっと心もとないというか……」
「バカ、そこでお前の出番じゃねえか」
部長は、べしべしとわたしの頭をはたく。
「いいか、よく聞け。
お前は、ルブルグか奥さんと救貧院にいって、子供たちの話を聞くんだ。
子供たちの間では、ぜったいに『定番の物語』がある。昔話とか伝説、怖い話とかな。
それを、お前とパートナーとが、それぞれ紙にメモする。
内容がぴったり同じことを確認したら、お前は<通詞の魔法>を解く。
するとどうなる?」
「……パートナーの書いたものは、<こっちの文字>に見えるはず……」
「そうだ、完璧な対訳が完成する。で、お前、それをもとに、<こっちの言葉>で原稿を仕上げろ」
「はあ!?」
「いいんだよ、子供の本なんだから。難しい単語なんか出てきやしない。
それくらいの編集者魂、見せてみろよ」
「いや、それは、翻訳魂なんじゃ……」
「ぐだぐだ言わねえで、使える能力はなんでも使えって。
お前が原稿を書いてる間に、俺はこっちの絵師にイラストを描かせる。
それをあわせたら、スキャンして本社に送る。
本社のオンデマンド印刷機なら、100部200部の小ロットで、すぐ製本までできるはずだ。
俺たちは動けないから、ロジはこっちの内務省に依頼して、シンガポールで受け渡す。
入校から納品まで、2週間。長くて3週間。これはいけるぜ」
「こっちの絵師なんて、どうやって見つけたんです?」
「瓦版屋だよ。ここ数日で版元を見つけて、行ってきた。
こっちの印刷はモノクロだが、絵師は4色でも原画が描けるって話だ。
原画は買い取り。つまり、絵本がいくら売れても、イニシャルコストだけでいける」
……もう、話、つけてきちゃってるし。
相変わらずの暴走ぶりにあきれながらも、なんだかわたしは日常を取り戻して、少しホッとしていた。