部長、胸を張る
手を取られたまま、引きずられるようにルブルグさんのあとを歩く。
警備の兵士がふたり、抜き身の剣をたずさえて、わたしの両脇を固めている。
広い邸の廊下を、延々と。
みんな無言だ。
こわい。
わたしは、何か禁忌に触れたのだろうか。
このまま、ここで斬られて、死ぬのだろうか。
トントン。
扉を叩く音で、我にかえった。
ルブルグさんが、部屋の中に声をかける。
室内からも返事が聞こえる。
扉を開けたルブルグさんは、困ったような顔で、やさしく微笑み、室内に入るようにうながした。
来客用の部屋だろうか。
だだっぴろい、ホテルのスイートルームのような部屋。
その応接セットのソファに、足を投げ出して、男がひとり寝そべっていた。
ルブルグさんは、わたしにはめたブレスレットに、何かを呟く。
カチリ、と留め金が外れる。
「<魔術封じ>は外しました。さあ、もうわたしの言葉がわかりますね?」
ルブルグさんが、微笑みかける。
「は、はい……」
「この部屋には、<拘禁の魔法>が何種類かかけられています。あなたが何者でも、簡単に出ることはできません」
「何者って……わたしは、ただの編集者で……」
「あー、そういうの、いいから」
ソファに寝そべった男が、気だるい声で言った。
よいしょ、っと起き上がったのは、赤毛でそばかすのある、鋭い目つきの男だった。
「正体見せろよ、異世界人」
「ニッケ、彼女に敵意はないよ」
「うるせえボンボン、お前は甘いんだよ」
ニッケと呼ばれた赤髪の男は、片手でひょいとわたしの顎を掴む。
「やっ……」
「子供みたいな顔しやがって」
「……離してよっ……」
わたしは、ニッケの手を振り払おうと、暴れる。
その拍子に、ポキッ──。
ヒールのかかとが、はずれた感覚。
「あっ……」
ゴンッ。
壁際のワードローブの角に、わたしは顔から激突した。
視界に、星が飛んだ。
「ニッケ! 乱暴はよせ!」
「なんだよ、こいつが勝手に……」
「お前がいきなりあんなことをするから、驚いたんじゃないか」
そんな会話が、ぼんやりした意識の中で聞こえた。
「……大丈夫だろ、あんなかすり傷、すぐ治る」
「待て……彼女、出血している」
ルブルグさんが、驚いたような声を出した。
「おいおい、大袈裟だな。演技じゃないのか?」
「ミズハさん、聞こえますか、ミズハさん」
「おいおいおい、まさか異世界人は、そんなに軟弱なのか?」
「額の傷口が再生していかない……どうも、わたしたちとは回復能力がちがうようだな……」
「うそだろ、まさか、あれで死ぬのか?」
死ぬ──。
そうなのだろうか。
身体が浮いた感覚。
抱き上げられている。
ふわりと、やさしくベッドに横たえられた。
「……」
ルブルグさんが目を閉じて、手をかざす。
わたしの身体が、熱くなる。
体育の時間、長距離走を走ったあと、耳の奥がドキドキして、頭がぼうっとしたような、あの感覚。
きっと、血圧とか脈拍数が、すごい勢いで上がっている。
「……汝、汝自身の、あるようにあれ」
……
それから、どれくらい経ったのだろう。
目が覚めると、誰かが温かい蒸しタオルで、わたしの額をやさしく拭っていた。
目の焦点が合う。
それは、あの乱暴な赤髪の男だった。
「……っ!」
反射的に身を起こすと、ガンガンと頭痛がする。
「待て待て、無理すんなって。その疲れっぷりじゃ、はじめてだったんだろ?」
「……なんか、言い方やらしい」
「ばっ、おまえ、回復魔法は慣れないと疲れるんだよ。回復を受けるほうも、身体が急に活性化するからっ」
赤髪のニッケは、手鏡を出して見せた。
「ほら、もう傷もない」
「これ……どう……して……」
わたしが、声を震わせると、ニッケは取り繕うように言った。
「悪かったよ。異世界人が、そんなに身体の回復が遅いって……知らなくてさ」
「これ……わたしの、わたしの顔!」
「だーから、悪かったって言ってんだろ? 傷はないんだから、勘弁してくれよ」
「毛穴!」
「はあ?」
「毛穴とか、小ジワとか、ない!」
そうなのだ。
気になっていた小鼻の毛穴とか、疲れると目尻に出るようになっていた小ジワが、ない。
それどころか、頬骨の上のシミもなくなっている。
お肌、つるっつるだ。
しかも、なんだか、ちょっと鼻も高くなったし、目も大きくなった気がする。
そして──童顔トラウマのわたしは余計なんだけど──ますます子供っぽくなった気がする……。
ガリリ、と妙なものを噛んだ気がして、口を開けてみる。
ポロリ。
小学校のとき以来つけていた、セラミックの詰め物が、転げ落ちてきた。
──何、なになに、なんなのこれ…… !?
「ああ、すみません。違和感がありますか。少し、わたしの意識が混じってしまったので……」
声の主を見る。
応接テーブルで、ルブルグさんがティーカップを口に運んでいた。
「ど、ど、どういうことですか、これ」
「回復魔法は、本来、その人の意識にある自意識にあわせて、身体を修復するものなんです。
ただ、あなたの意識が混濁していたので、わたしから見たあなたのイメージで補いました。
ズレがあったら、申し訳ない」
「か、回復、魔法……そういえば、わたしが、魔導士だとかいうのは……」
そうだった。
わたしは、何か魔法を使ったとか言って、責められていたのではなかったか。
「寝ている間に、あなたの魔法残渣を調べさせていただきました。
<通詞の魔法>を一時停止して、再起動したらしいことはわかりましたが、それ以外は何も。
つまり、あなたが魔導士と言われて、めんくらったのは、本心からだろうと、今は判断しています」
ほっ。
じゃあ、死刑とかじゃないんだ。
「ただ、あなたは難しい立場になってしまった」
「え……」
「異世界人で初めて、魔法をコントロールした人間。
これが漏れれば、<こっちの世界>でも<あっちの世界>でも、あなたには政治的な価値が出てしまう」
「政治的な……」
「その通りだ」
別の声がした。
「部長……」
「お前なあ、コミック編集者が魔法が使えるとか、どんだけネタになるか、わかってんのか。
K川とかS学館が、引き抜きに来るに決まってんじゃねえか」
「……いや、いま、そこじゃないと思いますけど……」
「お前がぶっ倒れている間に、最低限の説明は受けた。
<あっちの世界>には伏せられているが、<こっちの世界>の魔法はすごいぞ。
医療、戦争、製造業……<あっちの世界>のあらゆるものが、ひっくり返っちまうことは、容易に想像できる」
ですから、とルブルグさんが言った。
「あなたがたを、簡単に帰すわけにも、この国の外に出すわけにも、いかなくなってしまいました」
「どういう、ことですか……」
わたしは声を絞り出す。
「最善の道が見出せるまで、あなたがたには、この国にとどまっていただきます。
おいそれと<こちら>の秘密を漏らされても困るのです。
それに<あちらの世界>に戻ったところで、魔法が使えることが知られれば、おそらく各国政府や科学者たちは、あなたを放ってはおかないでしょう……。
いずれにしろ、ご商売が成功すれば、何年かはこちらにいらっしゃるご予定だったんですから、不自然なことではないでしょう?」
「商売……でも、王国で出版ビジネスは、難しそうなんですけど……」
「それは、俺がなんとかする」
部長が、腕組みをして言った。
「魔法という秘密を知った以上、俺たちが生きる道は、当面、他にない。
こいつらだって、親切顔で言ってくれているが、この国にとって、いちばん安全な選択肢は、いますぐ俺たちを殺して、事故死にでも見せかけることだろう」
ルブルグさんは、困ったような笑顔を浮かべた。
「そんな、事故死なんて味気ない。せめて、ホームシックになった上司と部下が、道ならぬ恋の果てに心中した、くらいのロマンチックな物語にしておきますよ」
……死んでんじゃないのよっ!
ルブルグさんは、続けて言った。
「とにかく、出版ビジネスについては、王国も支援の方法を考えます。
あなたがたの警護と監視には、ニッケたち内務省の特務班があたります」
わたしは、ふと、小学生のように手をあげて、たずねた。
「あの……まだ、わからないんですけど」
「ええ、なんでしょう?」
「魔法は、<こっちの世界>でも本当に秘密なんですか?
さっきルブルグさんも使っていたし、 <通詞の魔法>は、異世界を移動するみんなにかけられている。
そんなに大規模に、いろいろな人が使えるなら、秘密にしておくのは無理なんじゃ……?」
ああ、とルブルグさんは微笑んだ。
「そもそも、魔法を使えるのは、<こちらの世界>でもひと握りの人間だけなんです。
突然変異的に、魔法を使えるようになる者もいますが、多くは血縁に魔導士のいる者ですね。
旧時代に魔導士の社会的地位が高まった影響で、多くの家系は、現在、貴族として認識されています」
「つまり、魔法を使えるのは、主に、お貴族さま……?」
「まあ、そうなります。
魔導士は社会的な影響が大きいため、表社会では魔法を使わず、隠密理に行動します。
文化大臣が、あなたのことを恐れたのも、一部の魔導士が暗殺者として活動しているからです」
「あ、暗殺者……」
「あなたがたが通ってきたゲート、<宇宙レンズ>には、能動型通詞術式がかけられています。
そこを通過する者に、相手の意識に自分の意図を伝達できるようにする能力を付与する術式ですね」
あれだけ大規模なものを見ると、さすが帝国魔導団という感じですが、とルブルグさんは目を細めた。
「しかし、あなた方の世界にだって、科学者はいる。
<通詞の魔法>が、ただの高度な科学技術というわけではないことは、やがて解明されてしまうでしょう。
ゲートを開いた帝国が、その問題をどうするつもりなのか、いずれ魔法の存在について情報公開するつもりなのか、読みきれない状況です」
だからこそ、ますます、あなたの立場は難しいのですよ、とルブルグさんは、わたしをじっと見つめて言った。
「それでだなあ、ミズハ」
青児部長が、鼻の頭をかきながら、言った。
「お前、これからちょっと、学生生活な」
「はい?」
学生生活? 何、言ってんの?
「そうなんですよ」
ルブルグさんが、ますます困ったような顔をして言った。
「これは、突然、魔法が使えるようになった子供たちにも言えることなんですが──。
各国には、魔法の才能のある者を教育する、特別な養成機関がありまして。
我が国では、聖シアルネ学院という、表向きは教会付属の学校なのです」
「いやいやいや、わたし、仕事したほうがいいですよね? なんで学校?
てか、魔法のせいで立場が微妙なら、魔法の養成受けなくていいです」
ニッケが、チッと舌打ちする。
「あのなあ、魔法の素質があるやつが、ちゃんとした使い方を知らねえと、あぶねえんだよ。
暴走して家は壊す、街は焼く、人は氷漬け、井戸水が毒に変わる……。
おまえだって、そんな状態で、<あっち>に帰されても、困るだろ」
……<あっち>に、帰る。
あまりの展開に、パニックになっていた心の闇を、その言葉がスッと切り裂いた。
とにかく、帰ろう、生きて。
「……わかりました。
教えてください。これから、どうしたらいいか──」