部長、警告する
旧約聖書で、モーセが大海の水を分けてみせたように──。
森の木々が、吹き下ろす強風を受けて、左右に押し分けられている。
リージス・ルドボロン──文藝部のリージス部長は、<風属性>の魔法を足元で器用に操って、一年生の陣地まで一気に飛翔してきたのだ。
すさまじい風の音が、リジーナが作った土の鉄壁、<イベリスタ・ドーム>の中にまで響いていた。
「やあ! そこの一年生!」
リージス部長は、空中から呼びかけた。
ドームの頂上に陣取ったサキ・ウィンテルが大声でこたえた。
「ごきげんよう!」
「すまないが、少しそこをどいていてもらえないだろうか?」
「そういうわけにはいきません!」
サキは、弓に矢をつがえるように、優雅に両手を動かして詠唱した。
「<飾紐雷撃>!」
複数の雷撃が並走して、ひらめくリボンのようにリージス部長を狙う。
だが、リージス部長はスッとホバリングしている位置をズラして、あっさりかわしてしまった。
「……致し方ない。悪いが、あまり時間がないんだ」
リージス部長は、さっと天に拳を突き出すと、肘をしぼるように、力をこめて胸に引き寄せた。
ドームの上の空気の流れが変わり、渦を巻きはじめる。スゥッと、空気が冷えた。
「諸君! ちゃんと避けたまえよ──<下降旋風>!」
天空から槍が落ちるように、竜巻の鋭い先端がバラのつぼみのような<イベリスタ・ドーム>の中央に向かって落下してきた。
花びらが重なる先端のように、わずかにすきまのあったドームの頂上が、ドリルのような風に突き破られていく。
「シャステル! イベリスタさん!」
ドームの中心に向かって吹き下ろす突風に押されて、わたしたちは壁際に押し付けられる。
すると、今度は突然、空気の流れが反転し、吸い上げるような上昇気流に変わった。
ドームの内部は、まるで洗濯機の中──わたしたちは、重なり合った土壁の継ぎ目に必死につかまった。
「ああっ──」
悲鳴が聞こえて、リジーナの足が、ふわりと地面から宙に浮くのが見えた。
壁につかまるリジーナの手が、ふっと離れた。
「危ない!」
わたしは、飛んでいきかけたリジーナの身体にむかってジャンプする。
──ウグッ……
リジーナを抱きとめたわたしが、地面に叩きつけられた刹那──竜巻が、唐突に消えた。
土埃で真っ白な顔になったわたしたちは、しばし、あっけにとられていた。
「ああ! いけない、ミズハさん、大丈夫ですの?」
「ゔゔ……イ、イベリスタさん、まずどいて……」
立ち上がってみると、バラのつぼみのようだった<イベリスタ・ドーム>は半分以上、削り取られて、お椀のような形になっている。
「みんな、大丈夫ーっ?」
崩れかけた土壁の上から、サキが顔を出す。負傷したらしい片腕をかばっている。
「わたしたちはなんとか……シャステルは、だいじょ──どうしたの?」
わたしは、呆然と立ち尽くしているシャステルに言った。
シャステルは、ドームの中央の何もない場所を力なく指さした。
「隊旗が──ありません……」
ヒュルルルルルルルルル──ガシャン
そのとき、ドームの外で、大きな音がした。サキが、ああ、もうっ、といらだった声を出した。
「隊旗なら、あそこ……陣地の外に、たった今、降ってきたわよ」
──陣地の外。じゃあ、これで一敗……。
<えー、第2フィールドは、2年生が一勝。各員、ただちに交戦を停止し、自陣に帰還してください。対戦再開は30分後です。繰り返します、ただちに交戦を停止し──>
どこにスピーカーが仕込まれているのか、あるいはこれも魔法なのか。すかさず、アナウンスが流れた。
フワッと、わたしの頬を風がなでた。リージス部長が、崩れかけたドームの中に降りてきたのだ。
「ミズハさん──マールさんも、大事ないかな」
リージス部長は、あたりを見渡してから、ふむ、と長い指で眼鏡を直した。
「……少々、やりすぎたか」
「少々って、部長、明らかにやりすぎですから……!」
ガルルルと噛みつきそうな顔をしているわたしを気にするでもなく、リージス部長は言った。
「<イベリスタ・ドーム>──鉄壁の守りを誇る、名高い魔法だ。術者が一年生でなかったら、突き崩すのは難しかっただろうが……」
金髪の巻き髪に積もった土を払いながら、リジーナが溜め息をついた。
「家名を背負ったものとしては、まだ未熟……そうおっしゃりたいのね」
「まさか──だが、ここはひとつ名家の誉れはおいて、我々、2年生に勝ちをゆずらないかね?」
「いったい、何を……」
リージス部長は、わたしとシャステルに向かって、目を細めながら言った。
「どうも2年生のチームメイトに、わけもなく血気にはやっているやつらがいるのでね……。彼らが妙な動きを見せる前に、わたしが速攻をかけて勝利すれば、君たちは面と向かって、危険な相手と戦う必要がなくなるだろう?」
──それって、やっぱり、あの卑劣なロシマー・シューゼフたちが、シャステルを狙ってるってことだよね。
「……だから、あまり頑固に守りを固めないでくれたまえよ」
「そうはいきませんわ!」
リジーナは、憤然と反論した。
「わたくしたちを守るために、勝利を奪う──そんなお話、納得できませんわ。第2戦では、さっきのように簡単には隊旗をうばわせませんことよ!」
「いや、イベリスタ公爵令嬢、ここはどうか──」
「その家名が軽んじられぬためにも、わたくしは今度こそ、鉄壁の守りを築いてみせます!」
メラメラと燃える闘志が、リジーナの周囲に浮かんで見えるような気がした。
リージス部長は、わたしに向かってこっそり苦笑してみせると、自分の陣地に帰っていった。
勝敗が確定するまで、最低でも、あと2戦。
こうなったら、わたしが目指すものは、ただひとつ──シャステルには指一本触れさせないこと。
そのためには、リージス先輩が言うように、早く模擬戦を終わらせてしまったほうがいいのかもしれない。
でも──
「わたくし、策がありますの!」
リジーナは、チームメイトを集めて、熱心に話し込んでいる。
とにかく、どうか無事に実戦実習が終わってくれますように──