部長、敵になる
風にはためく旗──。
わずかに銀色にきらめく白い布に、湖のように深い青の縁どり。
聖騎士団の軍旗を模した実習用の旗を背に、マントをたなびかせる騎士が壇上に立った。
「みな聞け!」
シスター・ターニアの凛とした声が響く。
学院から歩くこと1時間、裏山の中腹に切り開かれた広大な演習場に、わたしたちはいた。
第一教室、第二教室の1年生。リージス部長やポーニア先輩たち2年生。
こんなにたくさんの学生が並んだのを見るのは、入学式以来かもしれない。
「これより、今年度の実戦実習をはじめる。最初に断っておくが、今年度は実習における生徒諸君への評価の仕方を変更する──アーガス先生、お願いします」
シスター・ターニアが言うと、戦闘用の魔法装束をまとったアーガス先生が壇上に歩み出た。
「えー、例年、実戦実習では、1年生のチームが勝利した場合のみ、メンバーの成績に加点することとしていました。しかし、それでは2年生の本気を引き出すことができないという強いご意見がありまして、本年度は2年生の評価にも、勝敗による重みづけをすることにしました」
アーガス先生は、ひと呼吸おいて言った。
「……1年生は、勝てば10点加点、負けても減点はありません。2年生は、勝てば5点加点、負ければ5点減点とします。学期中の実戦実習10試合の総合得点を学期末試験の得点と合算し、みなさんの成績評価を行います」
どよめきが起こった──とくに、2年生から。
「うろたえるな!」
シスター・ターニアが一喝する。場が静まりかえった。
「さいわいにして、この10年、レガシス公国は戦乱に見舞われてはいない。だが、この先も穏やかな日々が続く保証はどこにもない。この学院に学ぶ諸君は、万が一、公国に禍いが訪れたときには、率先して民を守り、戦の先頭に立たなければならないだろう。学生同士の模擬戦だからとあなどっていては、諸君の将来のためにならない。今年は、1年生も2年生も、持てる限りの力を使い、本気でぶつかりあってくれることを我々は望む!」
そう宣言して、シスター・ターニアは、ふいに兜を脱いだ。
青みがかった豊かな銀髪が、ふわり、と風に泳ぐ。
生徒たちの、おお、という溜め息がさざ波のように広がった──騎士姿のシスター・ターニアの美貌が、いつもに増して神々しかったからだ。
「各チームのメンバーは掲示を確認せよ。先生方の指示を聞いたら適時、散開。代表者は隊旗を受け取りにくること。以上!」
こうしていよいよ、実戦実習の時間がはじまった。
チーム編成は、意外にも、普段はバラバラに実習を受けている各班の混成になっていた。
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第1回 実戦実習
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第2チーム
第1班
ベルファイ・アルネス(代表)
リジーナ・イベリスタ
第2班
ディーズ・イダイア
ヒューレン・デルセン
第3班
ヴィダル・フォンテン
サキ・ウィンテル
第4班
フェイ・グラード
シャステル・マール
ラン・ミズハ
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「ディーズが一緒のチームでよかったよ〜」
掲示板を確認したわたしは、支給された肩当てを直しているルームメイトのディーズを見つけて飛びついた。
「……あいつがいるは、微妙だけど」
ディーズは、灰色の髪の上に突き出た猫耳をぴくぴくと動かした。
「あいつ?」
「ヒューレン・デルセン」
ヒューレンは、最初の実習でわたしが大失敗した原因を作った、いけすかない男子だ。いきなり戦闘用の<魔法剣>を見せびらかした、銀ピアス男。今日もスカした態度で、チームに合流しようとするでもなく、眼下に広がる<静謐の湖>を眺めている。
「ランは苦手だよなー、ヒューレンのこと」
「ディーズは?」
「うーん……ウチは普通かな。それに実戦で組むなら、わるくないと思う」
──そうなんだ。ヒューレンって、第2班では、そんなに活躍してるのかな。
「ええ、ではみなさん、集まってください」
宮廷医だったラミング先生が、1年生を集めて言った。
「事前にも説明した通り、今日の模擬戦のルールは簡単です。敵方の隊旗を奪い、陣地の外まで持ち出すこと。3回先取したチームが勝者。勝敗が決さずに日没まで対戦が長引けば、1年生の勝ちとします。攻守ともに、使える魔法は何を使っても構いません──まあ、当然の注意ですが、相手を死亡させたり、重傷を負わせるような魔法は使わないように。入学時に致死性の魔法は<魔術封じ>で封じていますが、物理衝撃をともなうような魔法では事故も起きますからね」
先生──と手をあげた生徒がいた。巻き髪のお嬢さま、リジーナ・イベリスタだ。
「このチーム編成の意図を教えていただけませんでしょうか。わたくしたちはそれぞれ、班ごとにまったくちがう実習を受けているはず──とくに第4班の方々は、<属性魔法>をほとんど学んでいらっしゃらないとか。そんな状態で先輩方と本気で戦えとおっしゃるのは、少々酷ですわ」
──苦手といえば、この子も同じチームだったよ……。
ラミング先生は、大きく溜め息を吐いた。
「それを考えるのも、実習の一部だとは思いませんか、リジーナ・イベリスタ……模擬戦の開始時刻は正午。それまでに昼食をとるとともに、各チームでよく作戦を練ってください」
シャステルと並んで座ったわたしは、サンドイッチをつまみながら、演習場を眺めた。
1年生の陣地は、1チームあたり、陸上競技場の1つ分ほどもある。だいたい150m四方だろうか。
森を挟んだ反対側には、これとまったく同じ形の、2年生の陣地があるはずだ。
陣地同士の間にある、500mほどの鬱蒼とした森。ここで、どう守り、どう攻めるかが勝負の行方を決める最大の要素なのだろう。
陣地にまで侵入されれば、隊旗を隠すものは基本的に、何もない。ディーズのように剣術のたしかな腕があれば、近接戦闘で敵を撃退することができるかもしれないけれど、わたしにはそんな自信はない。
「みんな、ちょっといいかな」
第1班のベルファイ・アルネスがチームのメンバーに声をかけた。
アルネス伯爵家の次男で、いかにも好青年らしい男子だ。
「僕なりに作戦を考えたんだが──前衛と後衛、大きく2隊にチームを分けたらどうかと思うんだ」
「分けるんですの?」
リジーナが聞くと、アルネスはうなずいた。
「前から感じていたんだが……僕らの班分けには、みんなが思っているのとはちがう意味があるんじゃないかな。たとえば、第2班のふたり、イダイアさんとデルセンくんは、剣技にたけている。第3班のヴィダルとウィンテルさんは火や風の遠隔攻撃系の魔法が得意だ。第4班のみんなは──ひたすら<回復魔法>の練習をしているんだろう? それがこうやって集まってみると……」
「指揮官に近接、遠隔、回復。パーティーを組むのに、ちょうどいいわね」
目尻に濃い赤のアイシャドウを入れた、サキ・ウィンテルが続けた。
アルネスは、その通りだ、と2本の指を立てた。
「だから、メンバーをふたつのパーティーに分けて考えてみたんだ。前衛は、僕とイダイアさん、ヴィダル、フェイ。このメンバーで森から向こうへ攻め込む。基準はフットワークの軽さだ。このゲームは、隊旗を陣地から持ち出せば勝ち──つまり、最後はスピードがものをいうからね。後衛は、イベリスタさんを中心に、みんなで陣地を守る。万が一、森を突破されてもデルセンくんとウィンテルさんがいれば、足止めできる可能性は高い」
──なるほどー。なんか、わたしとシャステルが戦力外みたいになってるのは癪だけど、筋は通ってるわ……。
アルネスは、ひとり離れた場所で草むらに寝転がっているヒューレンに呼びかけた。
「デルセンくんも、異論はないかな」
「ああ、別に……」
リジーナが金髪の巻き髪を揺らしながら、わたしとシャステルを振り返った。
「そういうことなら、ミズハさん、マールさん、お二人のことは、このわたくしがイベリスタ家の誇りにかけて、しっかり守って差し上げますわ」
「え……あ、ありがとう」
──なんで、そこで家の誇り?
「第2チームも、揃っていますね。対戦チームの抽選結果です」
演習場をまわってきたラミング先生が、亜麻紙に書かれた相手チームの名簿を渡してくれた。
「……リージス・ルドボロン。あちゃー、部長が入ってる」
「ラン……そのふたつ下……」
シャステルが、消え入りそうな声で言った。
──ロシマー・シューゼフ。
シャステルに歪んだ感情を抱いているらしい、主家シューゼフ家の次期当主。
こうならないことを祈っていたのに──わたしは、こわばったシャステルの手をぎゅっと握りしめた。