部長、爆笑する
「なるほど、なるほど。では、あなたがたは書物を、工業的に作っていらっしゃると」
卵のような丸っこい頭の、ログラード文化大臣は、もじゃもじゃのヒゲに埋もれたアゴをさすりながら、感心したように言った。
「はい。我が国は印刷技術が発達しており、大量の書物を製造、流通させています。
最新情報を扱う<週刊誌>と呼ばれる書物などは、毎週1回、万単位で生産され、全国に配本されるのです」
青児部長が、ワイングラスを片手に答える。
わたしは──。
息がつまって、こわばった微笑みを浮かべるので、精一杯だ。
晩餐会の直前。
わたしたちは、服を貸してくれるというルブルグさんの家に招かれていた。
ルブルグさんの家は、旧市街の中でも官僚や政治家が多く住む、ポーニア地区にあった。
「うちなんて、下級貴族ですから」
と本人は謙遜するけれど、このあたりで一棟まるまる、ルブルグ家の持ち物だというのだから、大したものだ(都心なのに前庭もかなり広いし)。
そんなルブルグ家の2階で、わたしは、うめき声をあげていた。
「はひっ……ぐふうっ……もう……もう、許して……」
「何をおっしゃるんですか、お嬢さま」
「こ、この歳で、お嬢さまは、ちょっと……ふぐぅ……」
「また、そんな情けない声をお出しになられて」
ルブルグ夫人の侍女はあきれながら、容赦無く、コルセットの紐を締め上げる。
まじか。コルセットか。
ルブルグ夫人は、髪の毛がくるっくるふわふわの、少女漫画から抜け出してきたような人だった。
その夫人に出迎えられたときから、いやな予感しかしなかった。
彼女は、ガチのドレスを着ていたのだ。
「ミズハさんは髪を短くされているから、このお帽子がいいと思うの」
わたしが悶絶しているのが目に入らないかのように、ルブルグ夫人は羽付きの帽子を差し出した。
ベレー帽風のその帽子には、黒いレースのヴェールがついている。
「そのぺたんこの靴もかえなきゃダメね……。サイズがあうとよいのだけれど」
はい、ヒールですよね、ええ、わかってましたよ。
……
応接間に戻ると、男性陣の談笑が聞こえる。
ルブルグ夫人が、いたずらっぽく笑うと、唇に指をあててシーっと、わたしを黙らせる。
夫人について、静かに応接間に入る。
猫足のシルクっぽいソファに、ルブルグさん。
そして、わたしたちに背を向ける形で、この国の衣装に着替えた、青児部長が座っていた。
「お待たせしました!」
夫人が、急に声をかける。
ルブルグさんが顔をあげ、わたしを見た。
「これは……」
「ミズハぁ、お前なんか、妙な声出してたけど、だいじょうぶ……か……」
振り返った部長は、目を丸くして、絶句した。
「なんですか……そんなに、見ないでください……」
わたしは、思わず目をそらす。
コルセットで締め付けられた腰。
肩まで開いた襟元……。
いやいや、わたし鎖骨とか見せるキャラじゃないから!
どうも、この国の人々には子供っぽく見えるらしいわたしは、「少しは大人らしく」ということで、光沢のあるパープルのドレスを着せられていた。
パニエをはいたので、ドレスの裾が鳥かごのように膨らんでいる。
ドレスグローブをはめた、わたしの手がスッと、取られた。
ルブルグさんが、手の甲にくちづけをする仕草をした。
「……お美しい。晩餐会にはぴったりですね」
いや、もう何、ドッキドキだからやめてーーー!
「あ……ありがとうございます、あははは」
わたしが言うのと、ブッ、と吹き出す下品な音がしたのが、同時だった。
部長だ。
「ブワッハハハハハハハハハハハハ」
ヒーヒーと、部長はソファの上で笑い転げる。
「馬子にも衣装、ミズハにドレスだな」
「……何、テンプレみたいなこと言ってるんですか。殴りますよ」
……
それから、数時間。
わたしは、コルセットのせいで気絶しそうになりながらも、どうにかディナーを終えた。
基本的なテーブルマナーが<あっちの世界>と同じなのは助かった。
結局、フォークやナイフできれいに食事しようしたら、やることはたいして変わらないのだろう。
部長が、給仕係にワインを注がれながら、大臣に話しかけている。
「それにしても、<こちらの世界>で使われる翻訳技術には、驚かされました」
「翻訳技術──? ああ、<通詞の魔法>のことですか」
「ええ、まさに魔術的ですな。こうして、わたしとあなたもなんの問題もなく会話できている」
「<通詞の魔法>は、言語が表す真のイメージを、聞くもの、見るものの意識に直接届ける術式ですからな」
「つまり、脳に直接干渉するシステムなんですね」
「システム──? ええ、まあ、そういう仕組み、であることは確かでしょうな。わたしも詳しくはないが」
酔い潰れているときは、だらしがなかったくせに、こういう場に出ると部長はしっかりしている。
堂々としていて、知らない人がみたら、どこかの貴族か何かに見えるのではないだろうか
「いいかミズハ、編集者ってのはな、ハッタリが大事なんだよ」
部長は、前からそう言っていた。
そもそも、編集者は、自分自身、たかだか一介の会社員にすぎない。
それでも、大作家や政治家、著名なビジネスリーダーを書き手にむかえて、本を作ることもある。
文芸賞のパーティーは一流ホテルのレセプション会場で行われるし、日本とは経済感覚のちがう海外セレブの取材をすることだってある。
おどおどしてばかりは、いられない。
ハッタリが大事なのは、大物相手のときばかりではない。
新人作家や、新人漫画家は、いつも不安を抱えている。
この作品は売れるだろうか、こんなテーマでいいんだろうか、このまま食っていけるだろうか──。
そんな彼らを励まし、ついてきてもらうには、自信なさげなところを見せてもダメなのだ。
──貴族相手なら、貴族らしく。
わたしも、がんばらなくっちゃ。
正面の席に座った大臣の奥方、ログラード夫人に、わたしは話しかけた。
「それにしても、こちらの図書室はとてもご立派で、感動しました」
「あら、それはありがとう。代々の蔵書で手狭になってしまって、困っているのよ」
「ああした書物は、どこでお求めになるんでしょう?」
「そうね──。ラバードの修道院にご寄進をして、修道士の方々に作っていただくことが多いかしら」
「しゅ、修道士……。じゃあ、ぜんぶ手作りですか?」
「ええ、そうよ。書物ですもの」
「ええと、印刷物は、置いていらっしゃらない……?」
「印刷物……そうねえ」
夫人は、レースの扇をふわり、と羽ばたかせてから、言った。
「あまり見かけないわね。街のほうでは、瓦版が出回っているけれど」
「かっ、瓦版?」
「そうよ、街の事件を面白おかしく書いたりして」
──瓦版。花のお江戸か!
いやいや、それはいくらなんでも、意訳しすぎだよ、<通詞の魔法>くん。
でも、たしかに中世ヨーロッパ風のこの国で、瓦版に相当するものを、なんと呼んだらいいのか、わたしは思いつかない。
<通詞の魔法>が、わたしの意識の中にある語彙で、意味を再構築する技術なら、「瓦版」しか出てこないのも、うなずける。
でもなあ。
わたしとしては、これから、この街で印刷物を扱う人と付き合う可能性があるわけで。
そんなとき、いつも「瓦版、瓦版」と言ったり聞いたりするのは、なんか微妙よね。
そこで、ふと、思った。
──ほんとは、なんて言ってるのかな。
この国の言葉で「瓦版」がなんと呼ばれているかわかれば、わざわざ単語を置き換えなくても、イメージは一致するはず。
あれ、でも、<通詞の魔法>が機能していると、わたしたちって、この国のほんとの言葉は聞けないのか……。
<通詞の魔法、一時停止!>
ものは試しだ。
わたしは、あたまの中で一時停止と念じてから、ログラード夫人に話しかけた。
「あのー、もう一度、『瓦版』って、言ってみてもらっていいですか?」
夫人は、めんくらったような顔をしたが、はっきりと口を動かして、言った。
「シアルチェ」
「へえ、<シアルチェ>って言うんですね! 全然ちがうんだ」
夫人が唖然として、何か言った。
ぜんぜんわからない。
そんなわたしを見て、ますます興奮した様子の夫人は、ログラード大臣に向かって何か言った。
大臣も目を見開いて、わたしに話しかける。
いや、ぜんっぜんわかんない。
わたしは、軽く目を閉じ、息を吐いて、意識を集中させた。
<通詞の魔法、再起動!>
「……何やってんの、おまえ」
部長の声。
これはわかって当たり前だ。
「お嬢さん、わたしの言うことがわかりますか?」
ログラード大臣の声。
わたしは目を開いた。
「あー……すいません、大丈夫です。再起動できました、あははは」
「……」
場が凍りついている。
給仕係の使用人たちが、化け物でも見るような目を、わたしに向けている。
何、なんなのーーー!?
「セイジさん、うかがいたい」
大臣が、打って変わって真剣な表情で、部長に言った。
「はあ、なんでしょう。うちの部下が、何か……」
「彼女は、魔導士ですか」
「ま、なんですって?」
「魔導士、です」
いやいやいやいや、と部長がヘラヘラ笑った。
「何をおっしゃっているんだか、あれはただのヒヨッコ編集者で……」
「いや、そんなはずはない……彼女は<通詞の魔法>を払って、またかけたのだ。どうなっている。異世界に、魔導士はいないと聞いていたのに」
ルブルグくん! と大臣は末席についていたルブルグさんに声をかける。
「これは一体、どういうことだ。君の報告にこんな話は出ていなかったぞ」
──報告……?
ルブルグさんは、困ったような顔をして笑った。
「大臣……そんなに取り乱されては、お見苦しいですよ」
やれやれ、と言いながら立ち上がったルブルグさんは、つかつかとわたしのそばまでやってくると、つと、わたしの手を取った。
「ミズハさん、しばらく、事情がわからなくなると思いますが、大丈夫です。
静かに、わたしについてきてもらえますね?」
そう言うと、ルブルグさんは、わたしの手首にずっしりしたブレスレット──手錠みたいなもの?──をはめた。
突然、みんなの言葉が、わからなくなる。
<通詞の魔法>が、強制停止されたみたいに。
「おい、ミズハっ、大丈夫かっ」
部長が立ち上がると、会場の小ホールのドアから警備兵が飛び込んできた。
そこからは、部長の言葉しか、わたしには届かなくなった。
「安全のためとはなんだ、これは外交問題だ!」
「部下をどうするつもりか、説明してもらいますよ!」
「……くそっ、離せっ、ミズハっ……!」
そんな声を背に、わたしはルブルグさんに手を取られたまま、晩餐会から連れ出された──。