部長、候補かも?
「ねーえ、まーだ? まーだ?」
キッチンの向こうのテーブルで、ジタバタする天使のような男の子。
フォークとスプーンを手に持ったフェイが、足をバタバタさせている。
──もー、あんたは小学生かっ!
「ほらっ、これがフェイの分ね」
わたしは、二人分作ったオムレツのうちのひとつを、フェイの前に置く。
「いい? これを、こうやって……」
ソースカップに用意しておいたケチャップを、スプーンですくって、オムレツにのせていく。
これは、トマトによく似た、ポロムの実でわたしが作ったものだ(えへん)。
目……鼻……口……。
「顔になった!」
フェイが声をあげると、メルグ先生が近づいてきた。
「あらまあ、かわいいのね!」
今日の実習は、<実用魔法>。聖シアルネ学院のカリキュラムでは、ときどきこうして、ちがう分野の魔法を学ぶ機会がある。
メルグ先生は、豊満な身体をゆすりながら、わたしが使っていたキッチン台を見渡して、笑顔を見せた。
「お料理ができたときには、同時にキッチンが片付いている──ミズハさんは家事に慣れていらっしゃるのね!」
「あはは、いえ、それほどでも……」
──言えない。一時期、実家を出て彼と同棲してたなんて……。
「……でも、上には上がいるものよ。ふふ、彼女こそ、将来の料理研究部長……!」
「はい?」
「ご覧なさいな……!」
うっとりしているメルグ先生の視線を追うと──
トン、トン、トン
軽やかな音を立てて、キッチン台の上に並ぶお皿。
ひらめくように、黄金色の料理がフライパンからお皿の上に舞い降りる。
いつの間にか整列したスープカップに、湯気をたたえたミネストローネが注がれていく。
──げっ、あっち一品多いじゃん。
余分な食材は、ひとりでに整頓され、流れるように洗われた調理器具が洗いカゴに収まっていく。
その中心で、鼻歌まじりに舞うように動いているのは──シャステル・マール。そばかすのかわいい、わたしの友達だ。
シャステルは、フェイと同じくオムレツ作りに失敗したクラスメイトの前に、流れるように料理をサーブした。
隣のテーブルにいる、わたしの鼻腔にまで、おいしそうなバターの香りがただよってくる。
「おいしそー! フェイもあっちがいい!」
「なっ、何を言うか、この裏切りもの! もう食べんでよろしい!」
わたしが、ケチャップで顔を描いたオムレツを取り上げると、フェイが「やだーたべるー」と駄々っ子のように暴れた。
<実用魔法>──。
それは、<物理操作>と<手続魔法>の混合体……っていうのは、メルグ先生の受け売り。
調理器具を、自らの手で使うように、繊細に制御するイメージ力。そして、料理が仕上がるまでのプロセスを<定式化>する力。そのふたつが、<実用魔法>には求められる、っていうんだけど、ほんとだよね。
シャステルの<実用魔法>は、見ていて惚れ惚れするほど美しい。
歌い出したいのをがまんしているように、フンフフン、と歌う鼻歌。そのリズムにあわせて優雅に手を動かすと、食材も食器も、いつの間にか理想的な配置に動いてしまう。シャステル自身もナイフを手に取って、野菜を刻んだり、鍋の中身を味見したり──何気ない家事の所作と、魔法が完璧に連動しているのだった。
「すごいよねー、シャステルは」
わたしは、彼女の作ったフワッフワのオムレツを分けてもらいながら言った。
「嫁にほしい友達ナンバーワンだわ。うんうん」
「そ、そうかな……たいしたこと、ないよ」
シャステルは、微妙な顔で笑う。
でも、実のところ、彼女ほど<物理操作>を使いこなしている生徒は、第4班には誰もいない。
そもそも、無事にオムレツができあがったのだって、数人だけだ。
フェイなんか、呼び出した<精霊>に卵をかき混ぜさせすぎて、ボウルの中身を炸裂させてしまったし。
ちなみに──フェイの得意な魔法は、<精霊魔法>。生命を模して、自発的に動く魔力の塊、<精霊>を生み出すのだ。
わたしは──<物理操作>の練習はそこそこに、29年の経験を活かして、ちゃっちゃとオムレツを作りましたよ。ええ。
最後の火入れは、ちゃんと<属性魔法>でやったから、許される、よね?
授業が終わって。
実習室の片付けを手伝ったわたしは、みんなより少し遅れて、教室を出た。
──えっ……何?
シャステルが、数人の男子生徒に囲まれている。
その中央にいる、リーダー格らしい背の高い男子が、彼女のあごを、いきなり片手でつかんだ。
「っ……! やめてください……」
「なんだい、シャステル。恥ずかしがるなよ。君とは、もともと身内みたいなものじゃないか」
シャステルが暴れるのも構わず、男子は彼女に──キスしようとしてる?
「ちょっとっ、あんたたち、何やってんのっ!」
「おっと……これは失敬。君も、今年からできたっていう、平民クラスのお友達かな?」
リーダー格の男子が言うと、周囲の生徒たちが嘲るように笑った。
シャステルから手を離した男子は、大袈裟に貴族的なおじぎをしてみせる。
「シューゼフ男爵家が長子、ロシマー。君の愛らしさにめんじて、今の無作法な叫び声は聞かなかったことにしてやろう。さあ、さっさと行きたまえ」
「なっ、何を言って──」
「わからない人だな。君は何も見ず、何も聞かず、まっすぐこの廊下を進んで、自分の部屋に帰るんだ。この僕が、それを許してあげようと言っているのさ」
──最っ低だ、こいつ。
「あんたが何さまでも関係ない。シャステルから離れて」
「ほう、それは、なぜ?」
「なぜって、いやがってるじゃない」
「なんだって? シャステル、君はこの僕がすることをいやがっているのか?」
シャステルは、おびえたように目を伏せる。
「見たまえ、君の友達は何も言ってはいないぞ?」
「そ、それは、あんたたちが怖いから──」
「怖いだって? 何を言っているのだ。シャステルは、我がシューゼフ家のメイド部屋で育ったのだぞ。子供の頃から一緒に過ごしたこの僕が、怖いことがあるものか」
「それって……」
──じゃあ、こいつが、シャステルのご主人さま?
「かわいい妹分が入学してきたと思ったら、逃げ回ってロクに顔を見せもしない。だから、こうしてわざわざ会いにきてやったのだ。なあ、シャステル」
ロシマーが髪をなでると、シャステルがビクリと震えて身をすくめた。そんなシャステルの様子に、ロシマーはなぜか余計にいらだったようだった。
「……いやならいやと言えばいいものを。そんなふうだから蔑まれるのだ、お前たち母娘は──」
髪に触れていた手を、ロシマーがグッと握りしめる。
「痛ッ──」
「学院でまで<メイドの歌>など歌いおって──」
「ちょっ、ちょっと、やめなさいよ!」
「ええい、うるさい! 平民は黙っていろ、<雷よ>!」
興奮したロシマーがいきなり、わたしに向かって魔法を撃ち込んできた。えええ! とパニックになりながら、咄嗟に、わたしはルブルグさんに習った氷の<属性魔法>を唱えていた。
「<氷壁防陣>!」
シュンッ
軽い空気音を立てて、目の前に厚い氷の壁が一瞬で構築される。氷の表面に触れた<雷>は方向を変え、地に向かって一直線に落ちて、バチンと音を立てた。
「な……平民クラスは<属性魔法>が使えない落ちこぼれなんじゃなかったのかっ」
ロシマーがわめき散らす。
「……あんたの成績は知らないけどね……人間としてどっちが落ちこぼれか、頭を冷やしてじっくり考えなさい! <1時間、動くな>!」
「カハッ──」
わたしが放った<禁則魔法>に一瞬でからめとられたロシマーは、何かを叫びかけた奇妙な形の口のまま、動きを止めた。
わたしが近づくと、ロシマーの取り巻き連中は、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
「……行こう、シャステル」
わたしが手を差し出すと、シャステルは力なく手を握り返す。
そして、固まったままのロシマーをわずかに振り返ると、か細い声で問いかけた。
「どうして……」