部長、一筆啓上
一筆啓上──
よう、ミズハ。久しぶりの女子高生、楽しんでるか。
もっとうまい伝達方法がないか、あれこれ考えた──手紙は他人に読まれる危険もあるし、証拠が残りやすい。
だが、いまは王都で起きたことを、俺なりの言葉で伝えるのが最優先だ。
だから、この手紙では、隠語も暗号も使わん。読み終わったら、暖炉の火にでもくべて燃やしてくれ。
三日前、俺は突然、ルブルグ家に呼び出された。
執事に案内されて応接間に入ると、先客がいた。ルブルグの向かいに、ひとりの貴婦人が座っていたんだ。
俺がソファに近づくと、その貴婦人は立ち上がった。
腰のあたりまである長い黒髪に俺が気を取られていると、彼女は化粧ポーチからスッと何かを取り出した。
名刺だ。
「わたくし、こういう者です」
「……外務省 異世界情報統括官 第一異世界情報官室 主査 珠数屋町歌子」
「青児友也さん、ですね」
正直、驚いた。彼女の肩書きに、じゃない。
ドレスの着こなしが、昔のお前とは月とスッポン──どう見ても、この世界のお貴族さまって雰囲気だったからだ。
「うわさの異世界情報統括官、ですか。失礼ですが、外務省プロパーで?」
「異動前は、シアトルの総領事館におりました」
「なるほど──」
俺がにらんでも、顔色ひとつ変えやしねえ。
ミズハ、お前も気づいたかもしれないが、いまの答えは、答えじゃない。在外公館には、外交官だけじゃなく、警察庁や防衛省から出向した警備対策官もいるからな。
ウソはつかないが、真実は隠す──そういう官僚に、ロクなやつはいない。
そもそも、異世界情報統括官は、そうとうキナくさい組織だ。
建前上は外務省の部局だが、実質指揮権は内閣官房にあるらしい。メンバーには公安外事課から防衛省の制服組までいて、外務省プロパーの職員は、むしろ少数だ。大幅に増額された外交機密費がやつらのサイフだと言われている。
俺の警戒心を感じ取ったのか、ルブルグが一瞬、目を細めた。
「急にお呼び立てして、すみませんでした。……何しろ、まったく想定外のご訪問だったので」
「想定外──日本の外務省から、連絡はなかったと」
「そうなんです。ジュズヤ……ジュズヤマチさんは──」
ルブルグが言い直すと、彼女は薄く笑った。
「よろしければ、ジュズヤとお呼びください。<こちら>の方々には、そのほうが馴染みやすいようですので」
「では、お言葉に甘えて……ジュズヤさんは、プライベートで王都まで足を伸ばされた、ということで」
「プライベート? レガシス公国は、異世界からの観光客は受け入れてないだろう」
「いや、彼女は帝国の長期滞在ビザを持っているんですよ。帝国と公国の域内移動は比較的、自由ですから……」
ルブルグの言葉に、ジュズヤはうなずいた。
「普段は帝都イズナマニアに駐在しています。帝国には米国大使館があるので、文字通り、そこに間借りしていて」
「日本政府が帝国に? 初耳だな……すると、通商関係のない帝国に駐在員を置いて、レガシス公国には民間人の我々だけだ、と。それでは、公国を軽視しているとも受け止められかねないと思いますがね」
「ご批判は、甘んじてお受けします……ただ、何かと理由をつけて、大使館の設置交渉を遅らせているのは、レガシス公国のほう──わたくしは、そう聞いていますが」
いやはや、とルブルグは、いつもの困ったような顔で笑った。
「これは手厳しい……ただ、我が国は伝統を重んじ、古き良き生活を維持することをよしとしてきた国家です。異世界との全面的な交流を始めるには、さまざまな調整が必要なのですよ」
「社会や科学の進歩は帝国に任せ、レガシス公国はただひたすらに伝統を守る──200年間、ロード・ブランシェ協定は、この国の上流階級や教会の権威を保つ機能をはたしてきた。その本当の意味を、国民に伏せたまま……」
「ほう、よくご存知ですね」
ルブルグは軽く流したが、俺は内心、おだやかじゃなかった。
──こいつは、どこまで知っている、と。
その点、さすがは生まれついてのお貴族さまだ。ルブルグは、声色を変えるでもなく、会話を続けた。
「……保守派の貴族や、教会の一部には、実際、手を焼かされますよ。帝国と公国。その二者を中心に世界が回っているうちは、彼らは権力者でいられるのです。異世界などという不安定要因を受け入れたがるはずがない」
「だから、あなたがたは日本を選んだ。米国や中国が相手なら、主導権を握られてしまうかもしれない。日本が相手なら、異世界との通商関係を維持つつ、すべてはレガシス公国のペースで進めることができる──ほんとうに、わたくしたちの世界のことを、よく観察されたのね」
「それが、外交というものでしょう」
「たしかに。でも、見誤っていることが、みっつ──」
──みっつ、だと?
「ひとつ。帝国が<世界の境界>に穴を開けた理由。公式には、科学的な研究成果の帰結だと説明されている。けれども、あなたがたも、もちろんそんな話は信じていない──」
「この恒星系に、他に人類が生存可能な星はありません。帝国が物理的な移動距離の制約がない異世界に目をつけたのは、資源獲得や生存圏の拡大のためという説が有力です」
「帝国内部でも、そう考える人は多いようですわね」
「しかし、あなたの考えは、ちがう、と?」
ジュズヤは、ルブルグの問いには答えず、続けた。
「ふたつ。帝国と接近した<あちら>の世界──つまり、わたしたちの世界の国々が、まだ帝国の手のひらの上で踊っていると考えていること。ファースト・コンタクトから、もう10年以上……もちろん、世界間の移動者は全員、定期便を支配している帝国に把握されている。けれど、<こちら>の世界で協力者を確保するには、十分すぎる時間が経っている」
「待て待て。つまり、<こっち>の世界にCIAや人民解放軍のスパイがいるっていうのか?」
俺は、思わず口を挟んだ。ジュズヤは、話題に似つかわしくないほど上品に微笑んだ。
「いないと考えるほうが、不自然だとは思いませんか?」
「そ、それはそうだが……」
「とくに、レガシス公国では、10年前の激戦、南方戦役がいまだに社会に影を落としていますね。紛争と社会への不満。そういう闇が人の心につけいるスキを作るんです」
たしかに、とルブルグがうなるように言った。
「公国や、それを支援した帝国を恨む南方の民は少なくありません。異世界の諜報機関が、彼らに目をつけたなら、あるいは……」
「まさにこれが、今日、わたくしがうかがったいちばんの理由──警告、です」
「警告……」
「日本の外交安全保障にとって、極めて重要な人材に、超大国が関心を持ってしまった。どんな形かはわかりませんが、そう遠くない将来、何らかの接触があるでしょう──スカウト、誘拐、あるいは暗殺。自分にとって有益なら利用するが、脅威となるなら排除する。それが、彼らのやり方です」
そこまで言うと、ジュズヤは「お伝えするべきことは、お伝えしました」と立ち上がった。
玄関ホールまで見送りに出たとき、ルブルグがジュズヤにたずねた。
「そういえば……第三の考え違いについて、おうかがいしていませんでしたが」
「あら、そうでしたわね」
ジュズヤはそう言って微笑むと、ぶつくさと早口で何かを言った。俺に聞き取れたのは、こんな言葉だ。
<……惑を解き、疑を断め、神幽を察るべし>
「あとは、奥さまにお聞きになって。それでは──」
表にとまっていた馬車が去ってしまうと、ルブルグは途端に顔色を変えて、2階に駆け上った。
「ネルー!」
ドアをぶち破りそうな勢いで居室に飛び込む。
ネルーは、暖炉の前に立っていた。右手の人差し指を、くちびるに押し当てながら──。
「どうしたんだい」
「……やられたわ。ここから、あのご婦人を<感知>していたのだけれど、弾かれて──」
ネルーが差し出した指には、5ミリほどの切り傷ができて、血がにじんでいた。
「第三の勘違いってのは、まさか──」
俺が言うと、ルブルグは眉間にシワを寄せて続けた。
「……異世界人の魔導士は、ミズハさんだけではない、ということかもしれませんね……」
──これが、王都で起こったことだ。
ミズハ、俺たちが想像していた以上に、事態はややこしいことになってきちまった。
とにかく、くれぐれも気をつけて──
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大図書館の、屋外テラス。
少女は、読んでいた手紙をたたむと、しばらく放心したように<静謐の湖>、レンリル湖を眺めた。
ラン・ミズハ。
あの姿で29歳とは、アタシもその若返りの魔法にあやかりたいものだ──。
聖シアルネ学院の背後にそびえる、急峻な山の中腹。
その岩場のキャンプサイトで、女はひとり、溜め息をついた。
<遠隔感知>で文書を盗み読むと、いつも肩がこる。
「やるなら、さっさとやっちゃえばいいのに」
誰に言うでもなく、女は物騒な言葉をつぶやきながら、手紙の内容を報告書に書き込み始めた──




