部長、伝言する
桟橋のたもと。
<静謐の湖>を見下ろす堤にめぐらされた柵に手をかけて、わたしは深呼吸する。
「気持ちいいねぇ」
「ああ、ほんとだなー」
灰色の髪に猫耳を生やした、褐色肌の少女──ルームメイトのディーズが、腕のストレッチをしながら言った。
──この子は、基本、動きが体育会系なのよね……。
第二近衛師団長をつとめる歴戦の騎士、サー・イダイア。その娘であるディーズは、近頃ではすっかり剣術部で新入生のエースになっているらしい。
週末、聖シアルネ学院の生徒たちは、思い思いの時間を過ごす。
でも、ここは、お貴族さま中心の、全寮制の魔法学校。さぞや閉鎖的で秘密主義なのだろう──と思いきや、意外なことに、近隣の村まで自由に外出することも許されるという。
そうと聞いては、じっとはしていられないでしょう……!
わたしは、ディーズやクラスメイトたちを誘って、早朝から学院の近くを散策することにした。もちろん、私服で。
学院に隣接する小さな集落は、リル・シアルニアと呼ばれている。「リル」は、この国の古い言葉で「前」という意味だから、「シアルネ門前町」とでもいったところ。
学院の敷地正門につづく街道をいけば、歩いて15分ほどだ。
でも、街道には目新しいものはなさそうだったので、わたしたちは<静謐の湖>、レンリル湖の周遊道から回り道をすることにした。
「ここは、漁が盛んなんですね」
桟橋に戻ってきた小舟から、次々と魚が水揚げされていくのを見て、そばかすがかわいいシャステルが言った。
ディーズが、少し膨れっつらをしてシャステルの顔を見た。
「だーから、ウチにもタメ口でいいって言ってんじゃん」
「あ……ごめん……」
シャステルが苦笑いする。
どうも彼女は、サー・イダイアのように高位の騎士の娘がいるというだけで、自然と敬語になってしまうらしい。
「おじさーん、これはなーに?」
「おう、坊主。ビドを見るのは初めてか」
いつの間にか、桟橋の上に駆け出していたフェイが漁師に話しかけている。
「びど?」
「まあ、すぐに傷んじまうから、ここいらのもんしか知らねえかもな」
「フェイ、何してるの」
わたしたちが近づくと、漁師のおじさんがおっと、いけねえ、と頭をかいた。
「思わず弟さんを坊主なんて言っちまいやしたが、学院の生徒さんで。堪忍しておくんなせえ」
「いや、弟じゃないんで。それと、わたしたち、そういう家の子じゃないので、気にしないでください」
──うーん、身分社会、慣れないなあ。
フェイがのぞきこんでいた、藤のような草で編まれたカゴの中を見る。
豆粒ほどの生き物がビッシリ。わずかに乳白色をおびた、透明な殻。カブトガニの赤ちゃんのような丸っこい生物、それが「ビド」というものらしい。
「これ、食べられるんですか?」
「食ってみるかい」
「いいんですか?」
「おお、お嬢さんが平気ならな。俺たちゃこうやって──」
漁師のおじさんは、カゴに手を突っ込むと、2、3匹のビドを捕まえて、ポイと口に放り込んだ。
なぜか、どうだ、というように挑戦的な笑顔で、ボリボリと噛み砕く。
なるほどー、漁場の地元グルメきた!
「いただきます!」
わたしもマネをして、1匹パクリといただく。ふむふむ。殻はコリコリしていて、そんなに硬くない。旨みだけでなく、うっすらと甘みもある。やわらかいサワガニ料理みたい。
「おいしい! 甘みもあるんですね」
「へえ、お嬢さん、いけるくちじゃねえか。漁師町の生まれかい?」
漁師のおじさんは、目を丸くしていた。
「いいえ、全然。どうしてですか?」
「陸では、生で魚介が食えるやつは少ねぇからな。うしろ、見てみなよ」
──うしろ?
振り返ると、シャステルやディーズが微妙な顔でわたしを見ている。
あー、あはは、そうよねー、これってほとんど、ジャパニーズ食習慣よね……。
リル・シアルニアは、小さな漁村だ。
ただ、きれいに石畳の敷かれた街道沿いには、聖シアルネ学院に出入りする学生や貴族の一行をあてこんだ商店も並んでいて、街並みは変化に富んでいた。
小間物屋には、腕輪やネックレス。裁縫店には、色とりどりの刺繍糸。
ガラス細工の店で、わたしとシャステルが値札とにらめっこしている間に、ディーズとフェイは帽子屋で麦わら帽子を買ってきた(ちゃんと、獣耳が出せる穴の開いたデザインもあるのだ!)。
そして、昼過ぎ。
「いやー満喫満喫。こんなにいろんなお店があるとは思わなかったよー」
学院に戻る道すがら、わたしはホクホク顔で言った。
街道には、学生や旅行者、荷馬車などが行き交っている。
「……どうでもいいけど、ラン、それどうすんの?」
ディーズが、わたしの抱えた木箱を、あやしむような目で見た。
「それは、できてのお楽しみ、さっ!」
箱の中身は、遅めの昼食の材料だ。
村には、いかにも中世という雰囲気の、魅力的なレストラン兼酒場もあった。わたしだけなら入ってしまうところだったが、シャステルに止められた。
「……お酒を飲むようなところは、やっぱり……」
って、そだねー。わたし、いま16歳設定なのを忘れてたよ(てへぺろ)。
学院のほうから、別の集団がやってくるのが目に入った。
色とりどりの日傘をさして、歩きにくそうなフリルのスカートを揺らしている。
中心にいるのは──金髪の巻き髪を束ねて、帽子をのせたお嬢さま、リジーナ・イベリスタだった。
わたしたちに気がつくと、リジーナの取り巻きの女子たちが、ひそひそと耳打ちをしあう。
「ミズハさん、イダイアさん、ごきげんよう」
リジーナが鷹揚に声をかけてきた。ディーズはおっす、と片手をあげてこたえる。
わたしは、無理に笑顔を作った。
「ごきげんよう……」
「お買い物でしたの?」
「ええ。イベリスタさんも?」
「いいえ、わたくしたちはカフェでお茶をいただくつもり」
「へえ、カフェもあるのね。見つけられなかったわ」
「よかったら、今度ご一緒しましょう」
リジーナが言うと、周囲の女の子たちが顔を見合わせた。
──なんなのよ、そのリアクションは。
わたしがイラッとしたのに気がつく様子もなく、リジーナが言った。
「それにしても、重そうな荷物ですわね。店の者に届けさせればよろしかったのに」
──あー、ダメだ。やっぱ、わかりあえない。
「そうかしら、よけいなおせ──」
「ランお嬢さま」
わたしがぶつけかけた言葉をさえぎって、呼ぶ声がした。
「はっ? えっ、何?」
「こちらでしたか。ちょうど、よろしゅうございました」
馬から、ひらりと舞い降りたのは、赤髪のニッケだ。
「ニッケ! どうしたの?」
「ご学友とご歓談中、失礼いたしました。旦那さまからのお言伝がございまして──みなさまのお荷物、寮までお持ちいたしましょう」
従者の演技をしながら、ニッケがめくばせしてくる。小さなことでイラついた自分が、馬鹿みたいに思える。
「私のはいいから、みんなの荷物をお願い」
「お嬢さまは、よろしいのですか?」
「勉学ばかりで、身体がなまってしまったの。ちょうどいい運動になるわ」
「左様でございますか。それでは、みなさま──」
ニッケが優雅に振り返ると、お貴族女子たちからも甘い溜め息が漏れた。
どうしたことか、なんだかシャステルも頬を赤らめているような──なんだこれ、ニッケってば、めっちゃモテてない?
ディーズが歩み寄って、ズイッと、握手を求めるようにぎこちなく手を出した。
「あっ、あのっ、ディ、ディーズ・イダイアです。よろしくっ」
「ルブルグ男爵家で、ランお嬢さまのお世話をさせていただいております、ニッケと申します。以後、お見知りおきを」
ニッケは、ディーズの手を取って、サッと片膝をついた。まるで、ダンスの相手にかしずくように──。
……数十分後。
聖シアルネ学院、大食堂。
その厨房に、わたしとニッケはいた。
料理番のおばさんに頼み込んで、広大なキッチンの一部を使わせてもらっていたのだ。
「鍋の油は煮立ってきたが──これで、どうするんだい、お嬢さま」
「何よ、自分だってノリノリだったくせに」
わたしは、村から持って帰ってきた木箱の中身を、ざるにあける。なんだそりゃ、とニッケが不審そうな顔をする。
混ざっている氷をあらかた取り除くと、おけにくんでおいた清水でさっと洗う。
あらかじめ、刻んだ玉ねぎを混ぜておいたタネに、それを加えて、お玉ですくって油に落とす。
キツネ色になったら、揚げ網をしいたバットに移して、油を切る(異世界にも、この道具があってよかったよ)。
「で、これは、なんていう料理なんだ?」
「ビドのかきあげ。食べてみて」
ニッケが、熱々のかきあげをつまんで、かじりついた。サクッという音がする。
「……うまっ」
「よかった。小エビみたいな食感だから、いけると思ったんだよねー」
大食堂では、お腹をすかせたシャステルやフェイ──そして、あっけなくニッケに骨抜きにされてしまったディーズが待っている。
「でも、わざわざ学院に来たってことは、わたしの顔を見にきただけじゃないんだよね?」
「ああ……少しやっかいなことになってな。ひょっとしたら、一時、王都に戻ってもらうことになるかもしれない。それをお前に伝えるように、セイジに頼まれた」
「何があったの?」
「王都に、招かれざる客が来た──いや、そっちの言葉じゃ、<好ましからざる人物>って言うんだったか」
<好ましからざる人物>──。
ニッケが、突然使った地球の外交用語からは、不安な響きしかしなかった。
5月はハイペースだったので、ちょっと落ち着きながら書いていきます。
次回からは、「わたし」視点だけではない書き方になっていくかもです。
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