部長、的中する
「うーーーん……うーーーん……」
わたしの手を握って、うなる女の子。
栗色のミディアムショートの髪に、少し古びた赤いカチューシャ。
そばかすがかわいい彼女に、わたしは言った。
「息をつめちゃダメよ、シャステル。呼吸を楽にして、まずは相手を<感知>るの」
シャステル・マールは、わたしの同級生だ。
図書館通信で文藝部のリージス部長がスッパ抜いた通り、魔法実習の授業では班分けが行われた。
およそ40人のクラスメイトは、4つのグループに分けられて、だいたい10人ずつ。それぞれに指導教官がふたり。
わたしたちの第4班は、中庭で<初級回復魔法>の練習をすることになった。
他の班は、どこで、どんな実習をしているのか、姿さえ見えない──。
「……ごめんね、足ひっぱっちゃって……」
念じるのをやめて、息をついたシャステルが、弱々しく言う。
「そういうこと言わないの、ほら練習練習!」
「だって……ミズハさんは、もっと上の班でもよかったのに」
第4班のメンバーは、だいたい、最初の実習で<初級回復魔法>が使えなかった生徒たちだ。
そして、これも図書館通信の記事通り、多くが平民の子供たちだった。
「ですから、さっきから言っているでしょう。これは、上とか下とかいう問題ではない」
宮廷医だったラミング先生が、溜め息をつきながら言った。
「この平和な時代に、古式ゆかしい<属性魔法>が、何の役に立ちますか。<回復魔法>こそ、いつ、いかなるときも、どんな土地でも重宝される、魔法界の最高技術ですよ」
シャステルは、ためらいがちに反論する。
「でも……他のみんなは<属性魔法>の実習をしているんですよね?」
「ナンセンス! ここのカリキュラムは実にナンセンスだとは思いませんか。わたしは、自分が学生だった頃から、そう思っていましたよ。<属性魔法>など、もはや貴族のお遊びだ。<火焔の家柄>だの<氷結の家柄>だのと、紋章がわりに属性をもてあそんでいるにすぎません」
──せ、先生、意外と過激発言……。
「その点、魔導医学には身分など関係ない。王侯貴族でも、傷を負い病を得たときには、癒しの力を求め、すがるのです。<属性魔法>に割く時間があるなら、少しでも<回復魔法>を学びなさい。わたしに言わせれば、他の班の生徒よりも、みなさんのほうが圧倒的に将来の可能性がある。本格的に学びたいなら、帝国の医科大学への推薦状だって、バンバン書きましょう」
わたしは、思い切って質問した。
「あの……じゃあ、<初級回復魔法>のテストを提案したのは、ラミング先生なんですか?」
「わたし? いえいえ、これはロベリーナ先生のご発案ですよ」
──シスター・ターニアの?
「彼女は、実習でケガをしても生徒自身で対処できるよう、最初に全員、<初級回復魔法>ができるカリキュラムにすべきだと唱えたんです。わたしの考えとは少々ちがうが……まあ、それも一理あります。教授会は紛糾しましたが、最後は校長先生が賛成されて、この形に決まりました──」
ときにミズハさん、と、ラミング先生はわたしを横目に見ながら言った。
「文藝部に入部したそうですね。ぜひ、正しい情報に基づく続報をお願いしますよ」
「な、なんでそれを──」
「あなたは、何かと注目の的ですからね。リージス・ルドボロンくんにも、よく説明しておいてください」
そう、ラミング先生は、わたしの正体を知っていて当然だ。
王宮で青児部長が刺されたとき、わたしたちの治療をしてくれたのが、宮廷医だったラミング先生なのだから。
でも──いまのって、わたし、監視されているってことだよね?
聖シアルネ学院で、わたしの素性について匂わせたのは、ラミング先生がはじめてだ。
わたしを受け入れるという大きな決断をしたはずのベッポ校長からは、なんのコンタクトもない。
特別扱いはしない、という意思表示かと思っていたけど、こっそり見られているのだとしたら……敵意なのか、警戒なのか。
──いずれにしても、やな感じ。
すっかり考え込んでいたわたしの耳に、かわいらしい声が聞こえてきた。
「えい!……いーい? よく見ててね。えい!」
わたしの胸くらいまでの背丈。
絵画に描かれる天使のように、ふわふわの髪。
第4班でわたし以外に唯一、<初級回復魔法>が使える男の子。たしか、フェイって自己紹介してたっけ。
フェイとわたしは、他の生徒に<初級回復魔法>のお手本を見せる係をおおせつかっていた。
だけど、わたしは天使のようなフェイの魔法に、どこか違和感を覚えていた。
フェイは、魔法を使うとき、「えい!」とか「ほい!」としか言わないのだ。
「フェイくん……だったよね? あなた、詠唱ってしないの?」
「んー」
フェイは、こくびをかしげる。
「しないかも?」
「どうして?」
「お姉ちゃんは、詠唱しないと、魔法使えないの?」
──よーしよし、このお姉ちゃんが一発殴る気にならないほど、同級生のあんたがかわいいことは認めよう……。
「そりゃ……使えないことは、ないけど」
わたしは、試しに<氷よ>と念じてみた。
掲げた手のひらの上に、氷の結晶が浮かんだ。たしかに、念じるだけで十分な気もする。
でも、とシャステルが遠慮がちに言った。
「うちでは、魔法は詠唱なしで使っちゃダメって言われたけど。はしたないって」
「はしたない?」
そこへ修道士風のアーガス先生が回ってきた。
「何やら、興味深い議論をしているようだね」
「せんせぇ、魔法は詠唱なしで使っちゃいけないの?」
フェイが、子供のように手をあげて聞いた。
「そうだね。いい機会だから、みんなに話して聞かせようか。ちょっと、みんな注目してくれるかな」
アーガス先生は、パンパンと手を叩いて生徒たちに呼びかけた。
「いま、とてもよい疑問が出てきました。魔法を詠唱なしで使ってはいけないのか。もちろん、君たちの中にも、詠唱なしで魔法を使える者はいるだろうね。だが、それを『マナー違反』と言われたことのある諸君もいるだろう」
多くの生徒は、同意するようにうなずいた。
「詠唱には、三つの意味があると言われている。ひとつは、まさにマナーだ。相手にかける魔法を<宣言>することは、一種の作法として定着している。 <宣言>なしでいきなり魔法を使うとしたら、どんな人物だろう。たとえば、暗殺者。犯罪者。そういう、強い悪意を持った人かもしれない。正々堂々と勝負をするなら、たとえ戦場であっても、魔導士は魔法を<宣言>する。無詠唱で魔法を使うのが無作法だという考え方は、そうした意識から生まれたと考えられるね」
わたしは、アーガス先生に聞いた。
「あとの二つは、どういう意味があるんですか?」
「うむ。二つ目の意味は、<定式化>だね」
「<定式化>?」
「たとえば、さっき君が使った<氷よ>は、きっとご縁のある、ルブルグ男爵家の薫陶を受けたものだろう。いわゆる、<古典的属性魔法>だが──どうかな、先生と一緒に唱えてみようじゃないか」
<氷よ>!
わたしたちが同時に<氷よ>を使うと、ほとんと同じサイズの氷が、先生とわたしの手のひらの上に浮かんだ。
「わかるかい、ほとんど同じ大きさだね」
「はい……」
「これが<定式化>の効果だ。『氷を作る』としか意識していないのだから、本来、サイズはなんでもいい。実際、意識的に魔力を操作すれば、氷のサイズを変えるのは簡単だ。しかし、単純に<氷よ>と思えば、だいたい、みんな、このサイズになる。同じ言葉で詠唱することで、魔法の発動イメージが共通化される。同じ名前で、同じ効果の魔法を呼び出している、と言い換えてもいいね」
──ふーむ。わかったような、わからないような。
よろしいですか、とラミング先生が割って入った。
「三つ目の意味については、ぜひわたしに説明させてください……。詠唱のもうひとつの意味、それは<回復魔法>においては、非常に重要なものです。<共鳴>と呼ばれます」
──<共鳴>。
「魔法にとって何より重要なのは、使い手の意識、イメージです。しかし、考えてみてください。魔法の使い手は、あなた自身だけとは限らない。あなたの詠唱を聞く人間もまた、魔法のイメージを持っている使い手かもしれません。さて、思考実験です。魔導士Aが、多少なり魔法の才能があるB氏に、<初級回復魔法>と言ったとしましょう。B氏は、何を意識するでしょうね──ミズハさん?」
「えっ、それは、『ああ、自分はいま<初級回復魔法>されているんだなー』とか、そういう……?」
「その通り。自分はいま、<初級回復魔法>されている。そういう意識が、詠唱を介して発生するわけです。すると、<初級回復魔法>されている側のイメージによって、回復効果が増強される。これは、魔導医学上、証明された効果です。詠唱による<共鳴>は、相手の意識に働きかけることで、魔法の効果が高まる現象と覚えてください。もちろん、回復だけでなく、一部の<攻撃魔法>や意識操作をともなう<支配魔法>などでも、<共鳴>が発生することが確認されています」
──<初級回復魔法>された人は、自分でも<初級回復魔法>する……。
うーん。
だったら。
先生たちの解説が終わって、実習に戻る。
わたしはシャステルの手を取って、言った。
「ね、試しに、わたしが<初級回復魔法>してみるよ」
「ミズハさんが?」
「シャステルは、<初級回復魔法>されてる感じに意識を集中してて」
「う、うん……」
わたしたちは、両手をつないで、向かい合う。
目を閉じて、シャステルの全身を<感知>する。
そして、ハッキリと唱える。
「<初級回復魔法>!」
シャステルの中にある力──生命力のようなものが、ぴくりとはねる感じ。
わたしは、そのまま繰り返し唱える。
「<初級回復魔法>!」
ぽこぽこっと、水の中から気泡が飛び出すような感覚。
「<初級回復魔法>!」
わたしが唱えると、その躍動するものが、わたしの魔力が触れるより早く、ぴくり、と震える。
これが──<共鳴>。
わたしの詠唱を聞いて、シャステル自身が揺り動かした力。
「シャステル、一緒に詠唱してみて。いくよ?」
「えっ、う、うん……」
<初級回復魔法>!
わたしたちの声が、ひとつになる。
<初級回復魔法>!
<定式化>された癒しのイメージが、ふたりの間で共有される。
<初級回復魔法>!
わたしの中の、魂のようなものが、ぽこり、と揺れ動いた──。
「……できたじゃん」
「……できた……!」
ぱっと、花が咲くように。うつむきがちだったシャステルが、笑顔になった──。
週末、ドタバタして投稿できず……反省です!(汗)
がんばって書き続けたいと思いますので、よろしければ、コメントやブックマーク、評価などなど、よろしくお願いします!